ロダンとカリエールとエロ

上野の西洋美術館に「ロダンとカリエール」展を見に行ってきた。
ま、タダ券をもらったからですが・・・。
西洋美術館はかなり久しぶり。
先に全体の感想をいうと、実は結構よかった。感動しました。
これは、ぼくがこの展覧会についてまったく予習せずに出かけたのが、結果的によかったのかもしれない。ロダンについては通り一遍のことしか知らないし、カリエールという画家については、その名前さえ知らなかった。てゆうか、うちに帰って手持ちの西洋美術史の本を見たけど、全然名前が出てないよ。

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東京−ベルリン往還

もう4月かよ。
って、先月も「もう3月かよ」って書き始めようと思って、そのままズルズルとタイミングを逸してしまったような気がする。
森美術館に「東京−ベルリン/ベルリン−東京展」というのを見に行ってきた。
これはまだ会期があるし、あと1、2回は見に行くことにするから、細かい話は後にして、ざっと印象を覚え書きしておく。
展示室に入って、最初はどういうポイントで見ればよいのかよくわからなかった。

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ヴィトリーヌ再見

ヴィトリーヌという作品を、ぼくは誤解していたと思った。
そうか、これは光の中で見るんだ。
本当は、こんな暗いところで見るものじゃないんだ。外光でも人工光でもいい、とにかくまばゆい光を当てて、これらの作品を見直してみたい。そうすれば、ずっと当時の人たちの目に近づけるのではないだろうか。
そんなことを思った。

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Birthday Cake

梅若猶彦氏の公演の話だった。
しかしあれは能なのか、能を知らないぼくには、そこからしてよく分からない。
夕方の6時過ぎに会場のBankART1929に着いた。
受付で話を聞くと、開演は7時半というので、それまでしばらく、1階のホールで梅若猶彦氏の前作を上映するので、それを見てくれとのことだった。
ごちゃごちゃとマーケットの屋台が並んでいる中に大きなプロジェクターと椅子が搬入されて、即席の上映会場がしつらえられた。

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一泊二食付き

あーっと、前回書き忘れたことから書いておくと、BankART1929で見た眞島竜男氏のインスタレーションで、ピザを何度も繰り返し切り刻んでは重ねて、最後に犬がガツガツ食う映像は、結構衝撃的でした。
だんだんピザがピザの形をとどめなくなっていって、最終的には人の食べ物と犬の食べ物の境界線を乗り越えていくというか。そうか人の食べ物=犬の食べ物であり、犬の食べ物=人の食べ物なんだなあという、実は当たり前の事実に気づく。

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美食同源、か。

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横浜のBankARTに「食と現代美術 Part2」という展示を見に行ってきた。
サブタイトルで「美食同源」なんてシャレてもいる。
そもそもぼくは、食べることも飲むことも大好きだが、食べることや飲むことについて書かれた文章を読むのも大好きである。
では、食べることや飲むことについて描かれた美術作品を見ることについてはどうか。
ま、あんまり考えたこともなかったけれど・・・。

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オール讀物2月号484ページ単独完全読破挫折

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今週は、小沢昭一的こころのストリーミング放送の更新がなくて寂しい一週間ですが。
実は最近、毎朝歯を磨いたり髭を剃ったりしてる間じゅう、BGM代わりに昭一的こころを流しっぱなしにしておく習慣がついてしまったもので、余計にそう思う。
おかげで、ちょうどいいタイミングだったというか、先週届いた「唄う小沢昭一的こころ」を流しっぱなしでありますよ。

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小沢昭一的マニア的近況

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イーブックオフのサイトを覗いてみたら、小沢さんのCD「唄う小沢昭一的こころ」が出ていたので、即買いしてしまった。
このCD、例のラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」の平成4年の年末から翌平成5年のお正月まで3週間分の放送をそのまま収録したもので、今となってはもう13年前の放送だから、中古で買っても許していただけるのではないかと、勝手に思っている次第なのですが。

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「私は官憲などというものは、いっさい信用していないのですよ」

今朝の「愛の流刑地」もいいねえ。末尾の一文を引用する。
「いまの菊治には、哀しいけど自慰することだけが、尊大な法に逆らう唯一の手段である」
こんな文章初めて見た。そうか、人間(あるいは男だけか)にとって、自慰こそが極限状況下における国家権力への最後の抵抗手段となるのであったか。うーむ。
堀江社長にも、ぜひ実践していただきたいものだと思う。
ま、そんなことはともかくとしてですな。

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「愛の流刑地」とライブドア

日経の「愛の流刑地」を流し読みしながら、ぼんやりとそんなことを考えているときに、例のライブドアへの強制捜査が報道された。
ライブドアの関係者が、実際にどんなことをしていたのか、それは知らない。
が、それはそれとして、前回書いたように、どんな事件であっても、検察の見方はあくまでひとつの見方にすぎないのだから、常に相対化して見る視点が必要だ、とは常に思っている。
だが・・・。

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