突発的本所居酒屋紀行

ここでは基本的に、時局論評のようなことではなくて、自分が直接体験したり、見聞きしたりしたことを書こうと思っている。
そうなると、どうしてもお酒を飲んだとか飯を食ったとかいう話が多くなってしまうが、まあそういう生活を送っているということで、ご容赦願いたい。
よく、自分のサイトに飲み歩きの体験記を掲載されている人がいるが、店の名前はもちろんのこと、注文した酒や肴の種類や金額まで克明に書き残されていることに驚く。
ぼくの場合、何という店で何と何を飲み食いしたということは、あまりはっきりと書かないことが多いけれど、それは、あえて明記していないというよりは、まず自分が無頓着でそうことをあまり気に留めていないということと、酔っ払ってしまって結局よく覚えていないということでしかない。
例えば、最近何度か書いている、うちの近所にあるおばあさんが一人でやっている居酒屋、その店の名前さえ、正直言ってよく覚えていない。看板は出ているから、店の前に行けば、ああそうだったということになると思うのだが。
ということで、今朝も少し前夜のお酒が残った頭でキーを叩いている。
帰り際に会社でビールを2、3本飲んだら、勢いがついてしまうというか、うちに帰って着替える間も気もそぞろに、こうなったら今夜は飲むぞ、という気持ちになる。
さて、これまで近所で飲むとなったら、あまり深く考えずに両国や錦糸町のあたりに出かけていたのだけど、そういえば吾妻橋のあたりにだってたくさん店はあるし、そんなに距離が違うわけでもない。むしろ近いくらいだ。
それで、今夜はうちを出て北のほうに向かうことにした。
一軒目、春日通り沿いにある古い木造の店。白い暖簾と赤い提灯が灯る。店の名前は、やはり覚えていない(すみません)。前からこの店のことは気になっていたけれど、入るのは初めてだ。
勇んでガラガラと玄関を開けると、いきなり店のおばちゃんから「定食はやってませんけど、いいですか」と聞かれた。なるほど、定食屋と間違えて入ってきたと思われたか。ということは、あまりふりのお客がひとりで酒を飲みにくるという店でもないのだろうか。ま、そのときはパーカーにジーンズというラフな格好だったし、スーツのまま行っていればまた違ったかもしれない。お酒をいただきますから、と答えて中に入る。
店内は8人掛けくらいのテーブルが二つ、それから小上がりのお座敷がある。厨房は店の奥で、カウンター席はない。店員はおばちゃんが二人で給仕をしている。厨房にはまだ誰かいるのかもしれない。
手前のほうのテーブルに腰を落ち着けた。テーブルの上には、前に座っていたお客さんのものか、お皿やとっくりがいくつかまだそのままになっている。
平日の夜というのに結構お客さんが入っていて、奥のテーブルには背広姿のおじさんが二人、もうかなりの数のお銚子を並べている。障子の陰でよく見えないが、小上がりにも二組ほどお客さんが入っているようだ。テレビでは巨人中日戦を流している。
まず瓶ビールを頼むと、「キリンでいいですか」と聞かれるので、咄嗟に、ええ、はい、と答える。
おばちゃんがテーブルの上のお皿を片付けて、ビールとお通しの柿ピーを持ってきた。
さあ料理だが、壁に品書きを書いた紙が張ってあり、きれいな白い紙だから、毎日か、少なくとも定期的に書き換えているのだろう。値段は高くもないが、さして安いわけでもない。例えば、肉豆腐が780円、菜の花の辛子和えが550円、といったところ。
肉豆腐780円というのは判断に迷うところだが、まあ無難な料理だろうと思って注文。
しばらくして、3人連れの客が入って来て合席になった。
ビールを三分の二ほど飲んだ頃に肉豆腐到着。丼鉢一杯に入っていて、思ったよりボリュームがある。これなら780円でも納得かもしれない。あと、この店の七味唐辛子はなんだか風味がいい。ビールが終わったのでお銚子を頼む。
小上がりの客が一組帰ったので、後から来た相客はそちらに移った。
店のおばちゃんと相客の会話。
「ビールはキリンとアサシ、どっちにする?」
「やっぱりアサシだろ、地元だから」
そうか、このあたりはアサヒビールの地元だった。
肉豆腐でお酒を飲んでいると、玄関が開いて、これから10人で来るが大丈夫か、という声が聞こえる。おばちゃんはゆっくり召し上がってください、と言うが、そろそろ潮時だろう。
お勘定をお願いすると、ビールとお銚子、肉豆腐で1,600円ほどだったか。

北斎がらみ

(きのうの話の続き)まあ北斎展の中身の話といっても、モンガイカンの私にたいしたことは書けません。
うちの近所に、北斎通りという名前の通りがあるということはきのうも書いたけど、墨田区と地元の人たちで「北斎通りまちづくり協議会」というのをやっていて、そこの主催でたまにイベントや講演会を開催しています。
これまで「北斎通りまちづくり講演会」というのを3回やったそうで、私はその一番最初のは聞き逃したが(ちなみに講師は海老名香葉子)、去年の第二回、それから今年2月の第三回の講演会はしっかり聞いています。
講演会といっても、ほんとに地元のヒマな人しか来てないような感じで、3、40人も集まっていればいいところなんだけど。
第二回の講演会では、法政大学の陣内秀信先生が、都市の公共空間の使い方みたいな話をイタリアとの比較でやってました。
まあ墨田区亀沢とイタリアを比べても仕方ないかなという気もしますが、でも話自体は面白かった記憶があります。
で、先日の第三回の講演会が、それがいよいよ本命、葛飾北斎についての講演だったわけなんですな。
ということで話はまた続く。

北斎展

ご近所シリーズ第二弾、今回は葛飾北斎です。
ま、というわけでもないですが、墨田区役所の隣にある、すみだリバーサイドホールというところで「北斎展」というのをやっていたので、ささっと自転車で見に行ってきた。
ここも、この前の江戸東京博物館ほど近くはないけれど、それでもうちから自転車で5、6分も走ればゆうに着ける場所です。
さて、なぜ墨田区で北斎かというと、葛飾北斎という人は、墨田区にかなり由来のある人だったらしくて、まず生まれたのが現在の墨田区亀沢。
このあたりに、今はすっかり埋められてますが、戦前くらいまでは南割下水という水道が東西に掘られていて、どうも北斎はこの界隈で生まれたらしい。
江戸東京博物館を両国駅と反対側に出て、清澄通りを渡ると、錦糸町の方向にまっすぐ続いている道があって、その通りの名前が北斎通り。しばらく前までは割下水通りと言っていたそうですが、北斎にちなんで名前を変えたみたいです。
清澄通りとの交差点から北斎通りを少し入ったところに、葛飾北斎生誕の地という小さな碑が建てられている。
生誕の地だけじゃなくて、北斎は生涯で93回も転居したと言われていますが、その多くが現在の墨田区の本所地域にあるそうです。
なるほどねえ。なんだかだんだん墨田区の観光ガイドみたいになってきたぞ。
ともあれ墨田区は、地域の生んだ世界的な画家である葛飾北斎の作品を収集していて、今回の「北斎展」で公開された作品もその一部なのです。
どうやら年に一回くらい、こういう形で区所蔵の北斎の作品を公開しているらしい。
さらに、北斎の作品を常設展示するための美術館、その名も「北斎館(仮称)」というのを建てる計画があって、墨田区はもうすでに建設用地も北斎通りから少し入った場所に確保しているのだけど、あいにくこの財政難で、いつまで経っても予算がつかない。
墨田区の人によると、全然着工の目途は立ってないそうです。
実はこの建設予定地というのが、実は私の勤め先の目と鼻の先なんですな。今は仮設の立体駐車場になってます。
それにしても北斎館(仮称)、一体いつになったらできるのか。
ということで今日の話はここまで。って、北斎展の中身の話には全然入れなかったぞ。