東京アラートビート

諸事情でお休み日。まず昨日行けなかった期日前投票からと、ユートリヤに。ここで期日前投票するのは初めて。

途中、修学旅行かと思うような高校生ばかりの行列と出くわす。隅田川高校の学生なのだろうが、普段この時間に近所を出歩かないので新鮮に映る。三密は考慮されていないようだ。

その後かかりつけの医院と薬局に。

北品川駅から歩いて、原美術館に。森村泰昌氏の「エゴオブスクラ東京2020」を見に。

森村氏が過去作を自ら読み解きながら、そこに込められた日本論、日本文化論を開陳するという趣向。

昭和天皇がマッカーサーを訪問した際の写真が結婚写真のように見えたという記憶から、戦後生を受けた自分は日本とアメリカとの子供だと氏は言う。

戦後の日本が、アメリカとのハイブリッド的なものであるというのは、そうなのだろう。では、アメリカの場合、片親がヨーロッパの文化だとして、もう片親は誰か。アメリカのある種の純粋さと、同時に無根拠性がそこから発しているように思う。そう考えると、本当に特殊なのはアメリカで、日本を過剰に特殊なように言い立てるのは違うという気もしてくる。

北品川駅の近くに戻ったら、雨がぽつぽつ降り出したので、昼飯がてら休憩。旧東海道沿いの商店街に、どこか親しみを感じる中華料理屋を見つけた。

少し歩いて、寺田倉庫のChim↑Pomの展示「May, 2020, Tokyo / A Drunk Pandemic」に足を伸ばす。

五月中は私はほぼ自宅近辺にしかいなかったから、Chim↑Pomが都内でこんな制作を進めていたというのは知らなかったな。キャンバスに塗られた青焼きの感光液が発色したのが、履き古されたデニムの風合いのようにも見える。

もうひとつの、彼らが去年マンチェスターで行ったプロジェクトを再構成したインスタレーション。2019年の段階でパンデミックという言葉を使ってたんだね。かつてのコレラのパンデミックも、今回のコロナ以降改めて口の端に上るようになったけれど、予見的というか。

テイ・トウワのLUV PANDEMICと掛けてるということはあるかな

ところで、東京で新たに確認された新型コロナウイルスの感染者数が二日連続で100名を超えたということだが、今こそ本当に「東京アラート」を発令すべき時なのではないかと思う。都が躊躇しているようなので、民間の立場から以下のプロジェクトを提言したい。

○東京アラートビート

東京のアラートシーンを伝えるウェブサイトを開設。全てのサービスを日本語と英語で提供。中立の立場から大規模なクラスターも小さなクラスターも同等に掲載します。都内の感染状況を可能な限り網羅的にカバーします。

○東京アラートポイント計画

東京アラートポイント計画は、地域社会を担う「夜の街」とアラートプロジェクトを展開することで、無数の「アラートポイント」を生み出す、東京都とアラーツカウンシル東京による事業です。アラートプロジェクトを担う人材の育成や活動基盤の整備も重視しています。

雨模様だけど、北品川近辺を歩くのは楽しいですね。

錦糸町に戻って、楽天地スパで60分コース。所用を済ませて帰宅。13,748歩。

早く真夏になればいい

梅雨の晴れ間というやつ。洗濯物を片付けて外出。

朝は駅の立ち食い蕎麦。オクラ、とろろ、納豆のネバネバ系三点に温泉卵を追加。冷やし蕎麦も店によって冷え具合が違うものです。早く真夏になればいい。

昼はスパゲッティー。こってりチーズのソースに、数種のズッキーニのグリルを乗せて。行き掛かり上、朝昼続けて麺類になってしまった。

夕方、錦糸町で所用を済ませた後、歩いて帰宅。あ、期日前投票するのを忘れてた。一旦家に入場券を取りに帰って出直しても、近くの投票場に間に合うかな、と思って早足気味で歩くも、時間切れ。8,487歩。

ところで六月末の数日間、七月になるのが待ち遠しかった。というのも、私は外でのインターネット接続にWiMAXを使っていまして、それが月間7GBのデータ量の上限に達してしまったのですね。公衆Wi-Fiのある場所では、なるべく切り替えて使うようにしていたのですが、その努力も及ばず。

こういう場合、スマホに新しく入れたアプリが容量を食っていることが多いのです。以前、Lightroomのアプリを入れて、撮った写真をAdobeのクラウドに保存する設定にしていたら、てきめんに上限到達ということがあった。写真データというのは何気に容量が大きいのです。

今回は何かなと考えていたら、最近入れたSpotifyのアプリが思い当たった。この春の在宅中、Spotifyの有料会員になってPCであれこれ音楽を聞くようになったのだけど、スマホでもアプリを入れて聞くようになったのが原因ではないかと推察しています。音声データならそんなに容量を食わないだろうと油断していた。

というわけで、Spotify、結構楽しいです。今さらながら、これならCDが売れなくなるのも仕方ないなと思うくらい。私の場合、ラジオで耳にしていいなと思った曲を、Spotifyで探して聞き直すという使い方をしています。ちゃんと聞きたいけど、CDを買うほどでもないかなという曲を聞くにはぴったり。

夜の街

七月。といっても代わり映えせず朝はドトール。昼はカツ丼。たまにはこういうのもいいでしょう。

この店はいつも前を通っているのだけど、何年も入っていなかった。実は数日前にも覗いたら、近所の工員らしい人たちで満席だったのだ。大衆食堂然とした店構えの中は、あらゆるものが使い込まれたように年月を感じる。年配の女性とそのご子息らしい二人で店を切り盛りしていた。滅多に来ない客の口が言うのも恐縮だが、こういう店は続いてほしい。

夜は錦糸町のニューウイングに。三ヶ月振り、いや四ヶ月近いか。良くも悪くもコロナ以前に戻っているという感。館内には会話を控えるよう求める掲示があちこちに貼られているが、目に入らないのか、もう惰性になっているのか、グループ客が話をやめない。コロナどうこうというより、サウナで喋る客が気に入らないし、つるんでサウナに来る感覚が分からない。

ニューウイングのある、錦糸町のこのあたりは、いわゆる「夜の街」だろう。キャバクラらしい店先には、客を見送りに出たのか、それとも出迎えなのか、若い女たちの姿が見える。街角には客引きの男があちこちに立って、駅に向かって真っ直ぐ歩くのにも難渋しそうだ。この街のニューノーマルがどんな様相になるのか、正直見当がつかない。

ニューウイングにいる間に降ったようだが、運よく雨に逢わずに帰ってこられた。7,861歩。

黄色い影

今朝も家の有り合わせで。出掛けに近所の猫におはようと言ってもつれないね。

昼は行き掛かり上、中華。多分初めてか、一度来たことがあるかどうか、この界隈にありがちな定食中心の店。どうということはありません。食後に河岸を変えてコーヒーを飲んでいたら雨が降り出した。午後はずいぶん激しく降っていたようだ。

昼の中華もそうだが、コロナ以降、窓や入口を開けて営業している店が増えた。換気のためだろうが、そのコロナ対策の効果の程はともかく、これだけ盛大に開け放っても、蠅が入ってこないことに感心する。

私が子供の頃までは、食事中気をつけていないと、必ず蠅が入ってきたものだが、いつからか見なくなった。当時は蠅よけのために傘のように広げて食卓を覆う道具があった(調べると蠅帳というらしい。昔は何と呼んでいたのか、記憶にない)。それに蠅とりリボン。今となっては、いかにも昭和の懐古の対象ですな。

昨今では蚊も少ない。外でヤブカにやられることは今でも時々あるが、昔家の中でよく刺されたハマダラアカイエカは本当に減ったと思う。しかし、これだけ蠅や蚊が絶滅に近い状況に追いやられているのに、G(特に名を秘す)が減らないのはどういうことなのか。

夕方外に出たら雨は上がっていたので幸いと思ったが、歩いているうちに、またぱらぱらと来た。慌ててオリナスのスタバに入る。その後錦糸町で所用。

帰路、押上駅での停車中、私の乗っていた車両の離れたドアのあたりで、ゴツンという鈍い音がした。振り向くと黄色い影が見えた。どうやら人が倒れたらしい。誰かが非常ボタンを押して、構内に警報音が鳴り響いた。係員が集まってきて、倒れた人は車両の外に連れ出された。若い女性のように見えた。程なく電車は動き出した。

この気候だから散歩ははかどらない。銭湯もパス。7,801歩。

結果論

結果論だが、こんなに天気が持つのならもう少し早起きして洗濯物をいくらかでも片付けておけばよかった。朝は家の有り合わせで済ませて、昼は毎度の鯖塩焼き定食。

夕刻、区内の南端をぶらぶらと歩いて、初めての銭湯に入る。

水風呂が程よく冷えていた。水温計の目視では20℃だが、銭湯でこれだけ冷えていれば有難い。朝から冷却機を動かさないとこの温度にはならないのだそうだ。夏場は常温だと30℃以上になるとか。そんな話を聞くと、余計に水風呂の有難味が増す。

本当は、こんな明るいうちから銭湯に入っていることに多少の罪悪感がなくもないのだけど、日が長くなっているんだから仕方ないでしょう。

森下の開座、三ヶ月ぶりのアトリエ公演に。しばらく来ないうちに、部屋の中がずいぶん片付いて、広々としている。前は他人の家の押入の中を覗き込むような感じだったのに。

「付加体」と題された今回の公演は、三部構成というのか、まずアオモリさんの踊りに、渡部みかさんがキーボードの前で演奏と歌(ボイスパフォーマンスというべきか)、続いて渡辺さんの踊り、最後に岡庭秀之さんの踊りに渡辺さんの演奏。通しで伊藤啓太さんのコントラバス。

開座で渡部みかさんに会うたび、張力を漲らせた人という印象がある。踊りの場ではない、公演後の打ち上げの席でもそう。ひょっとすると彼女は、常に気を抜けない危険物を内側に抱えていて、普段はそれを外から抑え込むことで、辛うじて暴発を免れているのではないか。彼女の静かな笑みからは、そんなぎりぎりの均衡を感じ取ってしまう。

それが、踊りの場では、踊りを通じて、彼女の内側が外側を簒奪し、反転するようだ。その危うい反転は岡庭さんという先達に導かれて起こるのだろう。

今日は飲まずに帰った。10,801歩。

右往左往

雨音の大きさに目が覚める。昨日洗濯しておいてよかった。

ヒガムコでコーヒーを飲んでマスターとお喋りしているうちに雨が上がった。

新宿三丁目のKEN NAKAHASHIに。コロナ以降、このギャラリーは完全予約制になっていて、同時に一人(一組)しか入場できない。おかげでオーナーの中橋さんと気がねなくお話しすることができた(むろんマスク越しで)。

今回は写真家の森栄喜さんの展示だけど、出展されている写真は小品三点のみ。展示室内には大きなラウドスピーカーが置かれ、さまざまな人の声が途絶えなく流れている。

日本語の声からは、それが日本語を母語とする話者によるものでないことがわかる。たどたどしさの残る、どこか不安を抱えたような声。英語やフランス語、中国語らしい声も聞こえる。何語か推察できない言語の声も。

これらの声は、作家によるテキストを、作家の友人25人に、それぞれ自分の母語ではない言語で朗読してもらったものだと中橋さんが教えてくれた。

時節柄、時折窓の外からは選挙の街宣車の音が入ってくる。換気のためにギャラリーのドアは開けられているので、階段を掃除する音も聞こえる。そういったノイズも含めた環境の中で、さまざまな背景を持つ人たちの声を聞いている。

展覧会名の「シボレス」は、旧約聖書の物語にある、異民族を暴くために用いられた言葉から取られているのだという。

新宿御苑前の蒼穹舎に。多々良栄里さんの写真展の最終日、残り30分程というところで滑り込み。多々良先生は、数年前に私が四谷三丁目の現代写真研究所の基礎科に通っていた時の講師の一人。

「文と詩」という展覧会名から、文芸的な内容なのかなと思うと、先生の旧友の女性と彼女の亡くなったパートナーの二人の名前から取ったのだという。

写真は、伊豆半島の南端、南伊豆市の山中で狩猟に携わる人々の姿を捉えたもの。古くからの地元の猟師もいれば、猟の行われる時に東京から参加する人もいるとか。その二人もまた猟に参加していた。

山の中では生と死が近い。野生動物が相手では、猟犬がいなければ人間は無力に等しいのだとか。思えば狩猟は人間と犬の関係のはじまりだった。獲物を捌き、酒を手に火を囲む。まるで神話の登場人物のよう。さらに、そこに件のパートナーの死が重なる。確かにこれは詩的な情景かも知れない。

銃とカメラの共通点という話になった。なるほど、銃と弾丸の関係はカメラとフィルムの関係と通じるようだ。そう言えば射撃も撮影もshootという。

実はKEN NAKAHASHIの後、一旦帰宅してから蒼穹舎に出掛けている。そのまま向かえば歩いていける距離なのに、右往左往した日。8,168歩。

ご神木

朝から洗濯を二回。下着組とワイシャツ組。日曜は雨らしいので多目に。

新宿末廣亭六月下席昼の部に。この席は落語協会の芝居。主任は古今亭菊志ん師。少々遅刻して入場。前座さんは聞き逃した。

落語 古今亭 志ん吉「寄合酒」
口跡滑らかでいい格好の噺家さん。
漫才 浮世亭とんぼ・横山まさみ
レストランの店員と客の会話。コロナネタ。
落語 柳家小はだ「真田小僧」
はん治門下、今年5月に二ツ目昇進、当席から二ツ目の初高座という。やや声が小さい?私が最近イヤホンで大きい音を聞いてばかりいるせいだろうか。そのためかだんだん集中を欠いてしまう。「おっかさんが男を引っ張りこんでいたんだって?」からスパッと入るのは新鮮に感じた。「うちの真田も薩摩に落ちた」でサゲ。
落語 三遊亭萬窓「紀州」
折り目正しい感じ。
音楽 のだゆき
鍵盤ハーモニカ。リコーダー二本使いから、アルトリコーダーにホースを突っ込んで演奏を試みるが本人やや不本意そう。
落語 古今亭菊之丞「短命」
この人が美人を演じるとハマりますね。横倒れになってしなをつくりながら、この姿勢でご飯をよそえるのかというのが可笑しい。
落語 柳家小里ん「夏泥」
小声で話を進める中に「殺せ!」と大声になるのがアクセントなのだろうが、聞き取りにくいと感じてしまうのは、やはり私の耳の調子のせいなのだろうか。「今年の大晦日にもういっぺん来てくれ」でサゲ。

曲芸 ストレート松浦
中国コマ、ビニール傘を使ったジャグリング。
落語 金原亭馬の助
昔ながらの寄席芸「百面相」を見せる。大黒様、閻魔様、達磨様、線香花火。
落語 柳家小団治「子ほめ」
紙切り 林家正楽
まず線香花火、客席から題を募って、七夕(笹の葉を切るのが大変そうだ)、金正恩(隣に金与正を従えて)、コロナウイルス(アマビエ)、シャンシャン(パンダ)
落語 柳家小満ん「あちたりこちたり」
石鹸箱を手に銭湯に出掛けた男がタクシーで銀座の寿司屋に行ったり上野広小路のクラブ「スペード」に行ったり。軽みがあって瀟洒で、こんな都会の真ん中の寄席で聞くのにぴったり。
落語 古今亭志ん陽「猫と金魚」
番頭の抜け具合がいかにも落語国の住人という感じでいいですねえ。屈強な大工の虎さんが猫に弱いのは実は魚座だからというサゲ。

近所の猫。「猫と金魚」で金魚を食べた猫じゃないよ

俗曲 柳家小菊
「並木駒形」「大津絵 両国」等。
落語 春風亭一之輔
一之輔師の自作なのかな?旅の噺家が田舎村で「七度狐」のように赤土と藁の入った雑炊を食べさせられ、腹が減って近くの浜で漁師から魚を買おうとすると、貨幣価値が違うのか、一銭で鯛が買える。噺家はお大尽のように扱われて…という噺。
落語 三遊亭歌奴「宮戸川」
大分出身の噺家市馬、文治、歌奴の三人会を地元で開いた時、危険を感じない限り吠えないはずの盲導犬が文治師の発声に驚いて吠えたというまくら。「宮戸川」にはこの人らしいクスグリも入る。一組しかない布団に同衾することになったお花半七、布団の真ん中の線は浦和と大宮の境界線、でも両市は合併したという、当夜の二人の成り行きを暗示するような?
太神楽 鏡味仙三郎
社中仙成、仙志郎のご両人。
主任 古今亭菊志ん「明烏」
菊志んさんは童顔で小柄な風体だし、ずっと若い印象があったけど、調べると私と同学年なんだ。家で本を読んでばかりの奥手すぎる若旦那の時次郎は、やや幼く作りすぎ(おネエっぽい?)とも思えたけど、この人のニンにははまるのかも。遊び人の源兵衛と多助に頼まれて、お稲荷さんの「お巫女頭」となった吉原の大店の女主人が、時次郎の前で笑いを堪えながら役になりきる姿には人情のようなものも感じたけど、一転正体が明らかになった時の態度からは、この商売の厳しさが漂うようにも思われた。

芝居がはねて、久し振りに紀伊国屋ビル地下のモンスナックに。

寄席の余韻を抱えて帰宅後、隅田川を渡って、かつての山谷堀、今は山谷堀公園から吉原近辺まで散歩の足を伸ばす。

隅田川の夕景
かつての山谷堀は埋め立てられて公園になっている
こんな猪牙舟に乗って吉原に向かったのだろうか
「明烏」のご神木こと見返り柳

落語ならこのまま中へくり込むところだが、今日のところは近くの銭湯に。15,088歩。

未踏峰に挑む

また近所の駐車場に猫が三匹いる。今朝は写真を撮ってみました。拡大写真と併せてご覧ください。

左奥に黒っぽいのがいるのもお分かりいただけるだろうか

朝はドトール、昼は鯖塩焼き。代わり映えしない風景。

暑い、というより蒸す。冷たい飲み物を置いておくと途端に結露して机の上に水溜まりができる。マスクをつけて外を歩くのがうっとうしくなってきた。

アートトレイスギャラリーに。今日までの展示、有原友一さんの「ふるまいとピント」を見てから、引き続いて同氏と永瀬恭一氏の対談を聞く。

展示を見ている時は、これらの作品が、すでに描かれてここにあるものという以上の感じは受けなかったが、対談の中で、制作途中のキャンバスを捉えた写真が何点か映し出されて、キャンバスの左上方から右下方に向けて、淡い色の筆致の繰り返しが徐々に画面を埋め尽くしていくのを見た時、そのような過程で作品が描かれていたことも驚きだったが、それ以上に、制作過程ということ自体に思い至らず展示を見ていた迂闊さを思い知らされた。

対談後の質疑応答で、登壇者と客席の間で二つの異なる見方が提示されたのも興味深かった。ひとつは、氏の方法がルーティンの回避なのか、それともルーティンの中で何ができるかの試みなのかという点。もうひとつは、氏の方法には原理的に失敗はないとするか、あるいは原理的に全部失敗であるとするかという点。

対談の中で登山の比喩が出ていたが、その伝でいえば、未踏峰に挑む登山家の歩みは、延々の繰り返しであると同時に、どの一歩も、みずみずしく生々しい体験なのだろうと思う。では登山家は頂上をどこに見定めるのだろうか?

両国からひと駅電車に乗ろうかとも思ったけど、気が変わって錦糸町まで歩くことにした。そして楽天地スパに寄って60分コース。水風呂でしっかり身体を冷やしてから、ぬるい夜の空気の中に入っていくのが気持ちいい。今年もまたこんな季節になった。10,073歩。

鍼初体験

雨。ちょいと寝坊気味。朝はコンビニ。昼は冷やしたぬきそばと焼肉丼のセット。

蕎麦屋で飼ってる亀。カメ吉、25歳。独身。

鍼を打ってもらうことになった。まったくの初めて。先週、ひょんなことから若手の鍼灸師さんを紹介されて、肩が凝るだの、ふくらはぎがダルいだのとうだうだ話しているうちに、それが問診ということになって、とんとん拍子に治療の日が決まった。今日がその日。

鍼といえば落語の「たいこ腹」を思い浮かべる。暇を持て余した若旦那が、退屈だから鍼でも打ってみるかという調子で鍼を始めて、相手をさせられた猫や幇間の一八はいい迷惑という噺。かつてはそれだけ鍼治療が大衆的だったという表れでもあろうか。

で、私の場合。上半身の服を脱いで診察台の上にうつぶせになった。鍼灸師さんにあれこれ質問したり雑談したりしているうちに、首筋から背中、ふくらはぎあたりに50本程の鍼が刺さった。と言っても、こちらはうつぶせの姿勢だから、刺さっている様子を見たわけではない。

鍼が刺さる時は、そう言われなければ分からないくらい微かに感じる程度。ただし時々、チクリというのとも、ピリリというのとも違う、何かかたまりのようなものが、ぬるりと鍼のまわりに生じるような感覚がある。

こんな鍼が50本程私に刺さったらしい

ずっと喋っていたつもりだったのに、どうやら治療が始まって程なく、うとうとと寝てしまったようだ。鍼灸師さんから声をかけられて目が覚めた。その間10分程。われながら暗示に掛かりやすいのか、終わってしばらくの間、体が診察台に貼りついたように起き上がれなかった。

本当は治療後にお酒を飲んではいけないけど、血行がよくなるから、お酒を飲むとすぐに回りますよとおどかされた。この種の治療だから、直後に効果が現れるものではないだろうけど、体調の変化が楽しみではある。

帰宅してから銭湯。さすがに鍼を打った穴からお湯は入らないよね。8,452歩。

バカッピラッパッパ

ひとことで曇りと言っても、スカイツリーの展望台が隠れるほど雲が下界まで降りてきている曇りもあれば、空の高いところにグレーのフィルターが貼られたような曇りもある。今日は後者。今にも雨が降りそうという切迫感がなく、洗濯しておけばよかったかと思う。

今朝もドトールだが、これも持ち帰りにする場合と、店内で食べる場合がある。今日は中。

ところで、例えばドトールでミラノサンドとアイスコーヒーを頼んで、店内で食べたいんだけど時間がないので食べられなかった分は持ち帰りたい、あるいは端的に、ミラノサンドは店内で食べてアイスコーヒーは持ち帰りにしたい、という時の機微を、皆さんは、どう店員さんに伝えているんでしょうか。つまり税率が混在している場合。

昼飯を食べてふわーっとした気分になっている時、不意に頭の中にバカッピラッパッパという言葉が浮かんだ。バカッピラッパッパ。何だろう。

そんなに暑くないのでぶらぶらと歩いて帰宅。

ご近所の直やさんのところに写真を見に。一階が広々とした展示スペースに様変わりしていた。狭い階段の壁の両側に大きな写真が掛かって、写真に視界を包まれるような感じになる。明かりは電球ひとつで、陰影が際立つ。和服というのは男女差が少ない作りになっているせいか、被写体の性別にも眩惑される。

ひと月ぶりに外でビールを飲んだ。私には初めての店。

よく言われることだが、年を取ると固有名詞が出なくて困る。「ほら、あの人、あの人…」と顔を見合わせることになる。辛うじてそれらしい名前が出てきても、国本武春のことをタケモトクニハルと言ったり、武原はんのことをキタハラハンと言ったりする。何とかならんのか。

雨が強くなる前に帰ってこられた。11,356歩。