策略

駅ナカでパンとコーヒーの朝飯。曳舟から永田町で有楽町線に乗り換え、地下鉄赤塚まで。

地下鉄赤塚という駅は初めて降りるが、少々違和感のある駅名ではある。頭に地下鉄と付いた駅は、この駅と隣の地下鉄成増駅のほかにあるのだろうか。

調べると、頭に地下鉄と付く駅は、当駅と地下鉄成増の二駅だけ。当駅は以前は営団赤塚という駅名だったのが、営団が民営化されて東京メトロになった時に、地下鉄赤塚という駅名に変わったらしい。地下鉄成増も同様。

東京メトロの会社名は、東京地下鉄株式会社である。だから、頭の地下鉄は、会社名のつもりなのかも知れない。会社名を冠するということでは、京成曳舟とか京急蒲田とかと同じようなものだが、地下鉄というのが会社名ではなく普通名詞のように感じられてしまうから、しっくりこないのだろう。ここはむしろメトロ赤塚でもよかったか。

地下鉄赤塚駅を出て北に歩くと、程なく東武東上線の下赤塚駅に出くわす。こちらのほうは赤塚駅ではない。てっきり東武線にも赤塚という駅名があるのかと思っていた。地下鉄成増のほうは、先に東武線に成増駅があったから、それと区別するために頭に地下鉄と付けたという理屈が成り立つ。

それなら地下鉄下赤塚駅にしてもよかったのではないかと思うが、同じ駅名にするには微妙な距離ではある。当方の近所でいうと、東武線の牛田駅と京成線の関屋駅のようなものだろうが、むしろ牛田と関谷の間のほうが近い。一方で、地図を見ると下赤塚の下に赤塚があるというのも難しい。駅名ひとつ決めるのにも、地域外の者には伺い知れない事情があるのだろう。

赤塚というのは歴史のある地名らしい。赤塚餅というのも売っていた。

通りがかりのコンビニの入口に、トイレの貸し出しを中止する旨の張り紙がされているのが目に留まった。このような掲示は他のコンビニでもしばしば見かけるが、ふと、ここで貸し出しという言葉を使うのは正しいのだろうかと思う。

本来「貸し出し」は「図書館の本の貸し出し」のように、何かをある場所から外に持ち出して使わせることを言うのではないか。「トイレの貸し出し」といっても、コンビニのトイレを店の外に持ち出して使うわけではない。貸し出し用の携帯用トイレでも用意してあれば別だが。それではどう言い換えればよいか。中止という難しい言葉を使うからいけないので、ここは「トイレはお貸ししません」で構わない。

ずいぶん立派な門のお寺が見えてきた。松月院といって、このあたりでは由緒のあるお寺らしい。

境内に印象的な形の銅碑があった。

高島秋帆という名前は知らなかったが、幕末の砲術家で、日本で初めて西洋式の砲術訓練を行った人だという。砲術訓練が行われたのは今の高島平のあたりで、高島平の地名は、この人の名前に因んでいるのだとか。板橋区では地域ゆかりの偉人として扱われているのだろう。

板橋区立美術館は何度か訪れたことがあるが、これまでは毎回、都営三田線の西高島平駅から歩いていた。確かに一番近い駅はそうなるのだが、今回の赤塚からのルートのほうが、歩いていて楽しい。

以前はもっと薄暗い感じの建物だった気がするが、ずいぶん見違えた。聞くと、三年ほど前にリニューアルしたということで、ということは少なくとも三年もご無沙汰していたのか。

「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」と題された展示を見た。

戦前の日本で前衛画家たちは過酷な社会情勢の下でも制作活動を模索していた。日本や西洋の古典芸術といった、当時許された芸術の表現や活動に入り込むことで、むしろ表層的な前衛芸術受容を超えて、芸術の核心に接近しようとしていた。ここには日本の固有性を追求することで、却って普遍性に至る逆説がある。

戦前・戦中期は概して前衛芸術運動の断絶期として語られていただろうし、作家たちの表現も表面的には転向と捉えられることが少なくなかったと思うが、戦前から戦後の前衛芸術を連続体として捉える見方を提示されたように感じた。

むろん、画壇全体というより個々の画業に着目すべきだろうし、当時の状況の困難さは繰り返し確認する必要はあるけれど。

地下鉄赤塚まで戻って、有楽町線で東池袋に。

タイムズ スパ・レスタに行ったら、男性客だけ入場制限をしていた。40分から一時間待ちになるという。レスタで入場制限に遭うのは初めて。待つ気はしないので、またの機会に。

入場制限が分かっていれば東池袋で降りることはなかった。ついでに、レスタの隣のすき家で牛丼を食うこともなかった。

池袋から山手線で鶯谷へ。金美館通りから一葉桜・小松橋通りに入る散歩道に。一葉桜の花もくたびれてきた。

いつもの銭湯に寄った。あちこちに「黙浴」を呼び掛ける張り紙がある。最近目にするようになった言葉だ。

馴染みの飲み屋に。

緊急事態宣言が明けてからは定休日を除いて連日夜9時までの営業になっていたのが、今度の週明けから、例のまん防というのが始まるので、夜の営業はランチ営業日だけの週三日に戻すという。土曜日はランチ営業日ではないので、この次に土曜の夜に飲む機会は当分なさそうだ。

今日は試食会ということで、新しいつまみが次々出てくるので、お酒が進んで仕方がない。あるいはそういう策略だったか。

千鳥足で桜橋を渡った。18,714歩。

葉桜

朝は家にある物で済ませた。ゴミ出し。外出。

墨堤の桜並木は、すっかり花が散って葉桜の装いである。

この道は遠回りなようで、途中に信号はないし車も通らないから、すいすい歩けて気分がいい。でもこうやって歩けるのも暑くなるまでだろうな。

ミズマチを横目に水戸街道に出た。

本所吾妻橋駅前の交差点で声をかけられた。スマホの画面を見せられて、この住所はどこかという。近くのマンションの建築現場を探しているらしい。口調からすると日本語のネイティブではなさそうだ。住所をぱっと見ただけでは、にわかに場所が分かりかねたので、適当にあしらってしまったが、後から考えたらもう少し丁寧に応対すればよかったか。ま、こちらは気まぐれな散歩者なのだから勘弁してほしい。

横川の親水公園に入った。時間帯もあるのか、自転車に乗る人が多い。

カラスがあまりにも堂々としているので作り物かと思った。

昼はラーメンを食ってコーヒー。

夜は諸事情で某所。

終わって曳舟で降りたら雨がぽつぽつ。幸い傘が要るほどではない。

帰宅して玄関の鍵を開けていたら、後ろから車のライトで照らされた。お向かいさんが何度も声をかけてくれていたらしいが、ヘッドホンを着けていて聞こえなかった。失礼。13,649歩。

葛藤

今朝は目を覚ましてから寝床でだらだらしない。早々に身支度を済ませて6時前に家を出た。

夜がまだ明けきっていない。

こんなに早く家を出るのは魂胆があるので、錦糸町まで歩いて、楽天地スパで朝サウナに入ろうと思う。

朝の空気は肌寒いが、錦糸町まで歩いたら少し汗になった。

楽天地スパに到着。

がらんとした浴室に朝の光が射し込む。客の姿はひとり、ふたり見える程度。実に気分がいい。

水風呂の水が緑色である。4月の毎週水曜日は緑茶水風呂のイベントだというから、清掃で風呂を空にするまでは前日の水が残っているのだろう。もっとも、緑茶の香りはすっかり抜けてしまっている。

水の色だけを見れば、先月のイベントのレモン風呂と変わらない。推察するに、入浴剤の成分は同じようなもので、香りで変化をつけているのだろう。水をなめればレモンや緑茶の味がするのか、試していないからわからない。

ところで、サウナ施設や銭湯の水風呂で、水の中に潜ったり、頭を入れたりすることを禁じている場合がままある。楽天地スパもそのひとつだが、多くの施設同様、必ずしもこのマナーが守られているとは言いがたい。なぜ水風呂の中に頭を入れる人が後を絶たないのだろうか?

私見だが、冷たく透明な水は清浄であるという思い込みがあるのではないだろうか。これは、清らかな水に恵まれたわが国ならではの感覚かも知れない。

問題は、今回のイベントのように、水風呂の水に色がついた場合である。私など、仮に清潔な水であっても、緑色の水を頭からかぶったり顔を漬けたりするのには抵抗がある。

しかし、それでも緑色の水をかぶっている人もいた。内心の葛藤はないのだろうか。

1時間で退館。外に出ると、すっかり明けて空の色が青い。

駅前の喫茶店でモーニング。

セットのコーヒーをホットミルクに換えてもらっている客がいた。今度試してみよう。

昼のコーヒーは持ち帰りにした。

夕刻、外に出たら雨が降っている。昼までの好天からは信じがたい。朝のサウナ室のテレビで見た天気予報が当たってしまった。歩くうちにどんどん雨粒が大きくなって、雷が轟き出す。こんな日に限って折り畳み傘を忘れた。

錦糸町行きのバスを目の前で逃した。雨に降られながら次のバスを待って、オリナスの前でバスを降りた。雨風にビル風が合わさったのが身体に吹き付ける。

どうやら天気が一番荒れた時間に外に出てしまったようだ。所用を済ますうちに雨は上がっていた。

パルコの無印で少々買い物して、電車で帰宅。夜はそのまま在宅。11,985歩。

んじゃ

いい天気に誘われるように歩き出した。

近所の空き地に板が敷かれていた。工事でも始めるのだろうか。

猫。この家の飼い猫かな。

「もんじゃ」の「も」が抜けたのだろうが、他の可能性もあるだろうか。

朝はコンビニ。昼は急遽、カンパチ漬け丼。その後コーヒー。

夕刻、錦糸町に。今日はバスに乗らず歩いてみた。時間的にはあまり変わらない。それならバス代がかからない分、歩いたほうがいいし、途中で拾い物もある。

「家庭ゴミを捨てるな」と居丈高な調子なのに、その隣は「ペットのフンはお持ち帰り下さい」と下手に出ていて、いかにもバランスがよくない。ここは調子を合わせて、「ペットのフンは持ち帰れ」とするか、「家庭ゴミを捨てないで下さい」とすべきだろう。

錦糸町で所用の後、地下鉄で帰宅。特に寄り道はなし。夜の散歩も省略して、そのまま在宅。11,459歩。

茶碗酒

昨夜のうちに洗濯機を回しておいた。洗濯物を干してゴミ出し。少しだけ早く起きられたので気分がいい。

去年から家の前に置いている鉢植えの椿に新しい葉が生えてくるようだ。暑くなる前に早く育って、夏の日射しに負けない葉になってくれたらいいのだが。

さまざまな花が街のそこかしこに咲くのを見ると、春の訪れを実感する。

この花は造花かな。

思い立って、向島の弘福寺に。ここにも見事な桜があった。ソメイヨシノと交代するように八重桜が盛りの時期を迎えている。

小沢昭一さんの墓に詣でた。湯飲み茶碗の水は昨日の雨だろうか。お酒をほとんど嗜まれなかったという小沢さんにしては、茶碗酒のようで可笑しい。何か俳味を感じなくもない。

もう藤が咲いていた。ふじのき公園の藤はまだだったように思うけれど、この株が早いのか。もう少ししたら亀戸天神に藤を見に行こうかな。

通りすがりの家の玄関先。まるでお重に詰められたみたいに花がちんまりと収まっているのが可愛い。こういうのは試してみたくなる。

昼を済ませてからコーヒー。メニューにはない青汁のサービス付き。

夕刻、月いちのかかりつけ医に。診察の行き掛かり上、採血されることになった。医者の後は錦糸町でサウナもいいかなと思っていたが、血を抜かれたし、今夜はいいや。薬局に寄って薬を貰って、その足で帰宅。

吾妻橋のたもとに、何やらいわくありげな石柱が立っている。前からあったのだろうが、このあたりには折に触れて来ているはずなのに、全然気づかなかった。

「隅田公園入口」と読める。確かにこのまままっすぐ歩いて枕橋を渡れば隅田公園だが、入口というには少し距離があるように思う。語感の問題だろうか。

その枕橋は何やら櫓を組んで工事中。

帰宅後は確定申告に手をつけた。億劫がって先伸ばしにしていたけれど、4月15日が締め切りだから、そろそろ作成しないといけない。とはいえ、e-Taxで作成してマイナンバーカード方式で提出するから、作り出せば早い。去年とe-Taxの画面が変わっていたようで少々戸惑ったが、まずまず提出。

ついでに机の周りの不要書類の処分などしつつ在宅。夜の散歩は省略。12,782歩。

胞子

昨夜はお酒を飲んで早寝した。夜中に何度か目が覚めたような気もするけれど、はっきりしない。

5時前に目が覚めて、ラジオのスイッチを入れた。といっても、すぐには起き出さない。寝床の中でウトウトしながら、ラジオを聞くでもなく聞いている。

ここ10年余り、平日の朝はTBSラジオで固定している。つまり、生島ヒロシから始まって、森本毅郎に至る流れ。10年のうちに森本毅郎の次の時間帯は大沢悠里から伊集院光に替わったけれど、その時間にはもう外出していることが多い。

今日はその生島ヒロシの番組が放送開始から6,000回を迎えるというので、せっかく番組が始まる少し前に目が覚めたことだし、このまま起きて聞いていようと思ったのに、結局いつものようにウトウトしてしまった。

昨夜の雨は上がっていたので、コンビニまで朝飯を買いに出た。

近所の大きな家を壊した後の空き地に水溜まりが出来て、水の色がうっすらと緑色になった。どこからか藻の胞子が飛んで来たのだろうか。冬の間は水が溜まることがあっても、緑色にはならなかったのに。こんなことにも、ささやかだが春を感じる。

巣ごもりのうちに、また雨が降り出した。昼は有り物で済ませる。

夕刻には雨が上がった。いつもより少々早いが、夜の散歩に。

最初、パーカーの下にTシャツ1枚で出たが、これだけだと心もとなくて、一度戻って、もう一枚長袖のシャツを着て出直した。このくらいで正解。

今日はすぐに隅田川に出ないで、墨堤通りを白鬚神社の脇を掠めてから、明治通りに折れて白鬚橋を渡った。

荒川区側の堤防の上を歩くと、少々風が出ている。汐入公園の手前、瑞光橋を渡ったあたりで引き返した。

台東区側に入って、橋場、清川から、アサヒ会通りに。

なんで「く」を隠すのかな。

日本堤から千束通りに入って、いつもの銭湯に。

まだ7時台。この時間は空いていて気持ちがいい。

帰宅して適当に飯を食って、YouTubeの米朝事務所チャンネルで米紫・吉の丞の㊙ワールドニュースなどを見ているうちに、もう今日はいいやという気分になって就寝。12,951歩。

具有

就寝前に空き缶を玄関前に出した。二度寝して目が覚めたら8時20分。やはり昨夜のうちに出しておいてよかったということになる。洗濯二回。

正午から錦糸町で所用。だらだらしていたら遅くなったので、久し振りに自転車で出掛ける。

一旦帰宅。スーパーに寄って、昼飯と週刊文春を買った。「川柳のらりくらり」のページを開くと、確かに特選は兵庫県の富谷竜作とある。つまり桂吉弥師。かねて吉弥師は本名で本欄に投句を続けていて、ついに初めて特選に選ばれた由。選者の柳家喬太郎師も編集者も投句者の正体には気づかなかったということか。

飯を食ったら眠くなってきた。歩いて墨堤に。

桜が満開になってから、明るいうちにこのあたりに来るのは今年初めてだが、やはり昼間は人が出ている。とはいえ、例年と違って町会の模擬店はないし、桜の下で飲み食いしている集団も見当たらない。皆、桜の前を歩いて行き過ぎるばかりである。これはこれで、悪くない風景だと思う。

桜橋を渡って、山谷掘公園から一葉桜・小松橋通りに入った。八重の一葉桜が見事である。ここまで来れば花見客の姿はない。

思い立って、いつもの銭湯に行くことにした。まだ開店して間もない時間なのに、もうずいぶん客が入っている。

湯上がり、一葉桜に誘われて吉原弁財天のほうまで足を伸ばして、弁財天向かいの喫茶店に入った。今シーズン初のアイスコーヒーで水分補給。

吉原弁財天の境内には、吉原についての新聞記事や家田荘子のインタビュー記事が貼ってあるのだが、その中にこの喫茶店に触れた記事もある。それによると、以前はこの店は情報喫茶だったらしい。雰囲気が普通の喫茶店とはどこか違うと感じたのは、そういうことだったのかと思った。もっとも私は情報喫茶を利用したことはないけれど。

この店のママのことは前にも書いたが、歌舞伎や落語に通じた粋な人で、国立演芸場2月恒例の金原亭馬生師の鹿芝居を当方が見に行くようになったのは、以前この店を訪れた時に、話好きのママに勧められたから。別の意味で情報喫茶と言えなくもない。

当方の顔は覚えられていないようだが、それはそれで気が楽である。テレビの相撲中継を見ているうちに、ママのお孫さんなのか、小さい子が二、三人店に入ってきたのをしおに、失礼することにした。お勘定に千円札を出したら、男の子がママに届けて、お釣りを持ってきてくれた。

浅草を縦断して蔵前までぶらぶらと歩いた。大江戸線で森下へ。開座のアトリエ公演に。

黄色のオブジェが置かれた室内に黄色の衣装を纏った踊り手が現れると、まるでこの部屋がひとつのキャンバスで、そこに黄色の絵具が散らされたと見える。それも、画家が絵筆を揮って画布に色をつけているのではなく、画布の上で色自体がうごめいているようである。画家はむしろ絵具に翻弄される。

コロナ以降、ウイルスは生物か非生物か、といった話を聞くようになったが、今私の目の前でうごめいている黄色についても、同じようなことが言える。この黄色は生命を持っているのか、それとも生命を持っていないのか。あるいはそのような問いは意味をなさないのか。つまり、生命を持ちながら、同時に生命を持たない物質でもあるという存在。

両性具有という存在があるが、踊り手は踊ることによって、生命性と物質性を具有するのかと思った。

森下から夜道を一時間程歩いて帰宅。途中で日付が変わった。15,133歩。

青い光

今朝も公園の桜を横目に駅に。

持ち帰りサンドイッチ屋に寄ったら猫と出くわした。

以前はこの公園にも立派な桜の木があったのだが、去年公園を整備した時に切り倒してしまって、今は新しく植えた苗木が二、三本、わずかに花を咲かせるのみ。毎年桜の時期が楽しみだったのに、どうして切ってしまうのかな墨田区。

昼は結構なものをいただく。

夕刻、錦糸町まで歩くついでに錦糸公園の様子を確認。青く光る提灯が異様である。

青い光には防犯の効果があると聞いたことがある。錦糸町でも総武線の高架下の歩道の照明に導入されている。緊急事態宣言は解除されたとはいえ、花見客がバカ騒ぎしないように、青い光で落ち着かせようというのか。 と思ったら、どうやら医療関係者等へのエールということらしい。

確かにそういう趣旨の青い光もあるけれど、表向きはそう言っておいて、一石二鳥を狙っている可能性もある。

楽天地スパに。フロントのポイント3倍の立て札を見て、今日が26日だったことに気づいた。私のように何年もサウナに通っていると、意識せずとも毎月26日になるとサウナに足が向いてしまうものらしい。

レストランの営業時間が一時間延びて、夜9時までの営業になっていた。料理もタケノコや菜の花を使った春のメニューを始めている。せっかくなので少々腹に入れておこうと思う。むろん料理のお供はオールフリー。

10時のロウリュを受けた。なかなかの盛況で、あと二、三人で締め切りというところに滑り込んだ。

冒頭、スタッフのひとりが「今回のロウリュ、初めてという方いらっしゃいませんでしょうか」と言った時、手を挙げる客は誰もいなかったが、私は、これまでロウリュは何度も受けているけれど、今回のロウリュを受けるのは今回が初めてである、と言おうとしてやめた。

このような誤解を避けるには、どのように言い換えればいいのだろうか? 「今回が初めてのロウリュという方はいらっしゃいますか」、すなわち「今回のロウリュが、あなたにとって初めてのロウリュ体験であるという方はいらっしゃいますか」と言えば、誤解はない。

久し振りの上段で、皮膚を刺すような熱さだが、瞬間の刺激は強いけれど、身体の芯から熱くなる感覚はない。それでも、二回目、おかわりと進むにつれて、耐えかねた客がぽろぽろと退出していく。

11時のロウリュにも出たら、いつもより多めに扇いでくれた。スタッフにいじられたということではあるが、こちらのことを認識してくれているのは、悪い気はしない。

深夜料金が加算される前に退館。

地下鉄のホームのベンチに座って終電を待とうと思ったら、汚物で近づくことができない。道理でその周りの席が空いているわけだ。 青い光の効果はなかったのだろうか。

11,741歩。

拮抗

桜と椿の花が並んで咲いている。このふたつが同じ時期に花をつけるとは考えたことがなかった。

椿は冬の花という思い込みがあった。寒椿という言葉に引きずられているだろうか。また、サザンカと混同しているかも知れない。一方、桜の開花が早くなっているということもあるように思う。

朝は持ち帰りサンドイッチ。昼は揚げ物。食後のコーヒーは省略。

夕刻に出た。午後の雨は上がっていたが、ぐっと冷える。雨が気温を持っていったか。くたびれて甘いものを食べたい気分。

諸事情で某所。速やかに終わって帰宅。しばらくだらだらしてから夜の散歩に。

墨堤の桜の花が盛りになったが、夜の墨堤は人影も少なく、静まり返っている。なんだか満開の桜をひとり占めしているようで申し訳ない。もっとも、昼間の状況は知らない。明るいうちはもう少し人が出ているのだろうか。

コロナ以前の桜の時期なら、夜までしつこく花見を続けているグループもいただろうし、そうでなくても昼間の喧騒の気配は残っていただろう。お酒や焼きそばのにおい抜きに桜を見るのもいいものだと思う。

桜橋を渡って、一葉桜・小松橋通りに入った。浅間神社の桜が見事である。街路樹の一葉桜と拮抗するよう。

いつもの銭湯に。ロビーに湯上がりの若者がたむろしている。最近若い客をよく目にするように思う。

同じ道を引き返して帰った。16,231歩。

和装に革靴

そこそこ早く目が覚めたのに、二度寝してしまった。ようやく起き出して洗濯物を干して、だらだらしていたら、いい時間になってしまった。最初は、天気はいいし今日も歩いて行こうかなと思っていたのが、時間がないから、やっぱり電車で行こう、となり、そのうち電車も怪しい、バスにしよう、そのバスが渋滞で遅れて来ない、となって、結局タクシーに乗ってしまったのは、ここだけの話。

タクシーの後席に乗り込んで、ため息をついたら、運転手さんに同情された。わかりますよ、テレビを見てもいいニュースがないですからね、私は最近はケーブルテレビばかり、なんて、話好きの運転手さんには時々出くわすけれど、個人タクシーじゃなくて法人タクシーの運転手で話好きの人は珍しい気がする。

コロナ禍で満員電車を避けてタクシーで通勤する人もいるだろうから、景気はいいんじゃないですか、と聞いたら、去年の4月の緊急事態の時はそういうお客もいたが、近頃はそうでもないとか。コロナ慣れというやつだろうか。

タクシーを降りたら、袴姿の女性の姿がそこかしこに見える。そうか、卒業式の季節か。しかし、どこの学校だろう、このあたりに大学や専門学校はないし、と思って、彼女たちの顔を見ると、思いの外、幼さを残している。隣には母親らしい年長の女性を伴っている。もしかすると、高校生、あるいは中学生? 袴姿の女子といえば大学の卒業式という印象があったが、昨今は中高でも袴を着けるのだろうか。

ふと彼女たちの足許を見ると、草履を履いている人もいるが、革のブーツが多い。袴にブーツを合わせるスタイルが、ひとつの型になっているようだ。

和装に洋風のアイテムを合わせる装いの面白みは分かる。和服の自由な着こなしに取り組んでいる知り合いもいる。が、これだけクリシェになってしまうと、正直興ざめではある。

ところで、和装に革靴の組み合わせといえば、ホテルで就寝中に火事に遭って、浴衣に革靴姿で逃げ出してきた人だろう(そんなネタが昔の『気まぐれコンセプト』にあった気がする)。

朝はコンビニ。昼は適当に済まして、場所を移してコーヒー。

夕刻、バスで錦糸町に。所用。

カイリー・ミノーグというと、私が高校生の頃に洋楽番組でアイドル的な扱われ方をしていたのを覚えているが、ラジオで彼女の新曲を聞いて、まだ現役でやっているんだ、と懐かしく思った。しかも、まだ現役どころか、現役ばりばりであって、去年も新作アルバムがイギリスで1位を獲ったらしい。これで、1980年代、1990年代、2000年代、2010年代、2020年代と、五つの年代に亘って全英No.1ヒットの記録を持つことになったというから、たまげてしまう。

さあ、日本にそんな歌手がいるだろうか? ひとり挙げれば、松田聖子という歌手は、80年代アイドルとして、稀に見るしぶとさを持った人だと思うが、今もオリコン1位を獲れるかというと、微妙ではないかと思う(松田聖子ファンの方には失礼)。

そんなわけで、もしカイリー・ミノーグが来日する機会があったら、ぜひ見に行ってみたいものだ。むろん、コロナ禍の収束後ということになるだろうが。

錦糸町からの夜道を歩いていると、横から自転車に乗った男がこちらを見ているので、気持ち悪いなと思ったら、お向かいさんだった。あれこれ雑談しながら帰宅。なぜかタバコの話。

帰宅してしばらくしてから、夜の散歩に。

墨堤の桜がいい具合に咲いている。人影は少ない。時々散歩やジョギングの人と出くわす程度である。これがコロナ以前の年なら、遅い時間まで酔客の影は途絶えなかっただろう。これからしばらくの間、夜桜が散歩者の目を楽しませてくれるのは嬉しい。

桜橋を渡って、一葉桜・小松橋通りに入った。街路樹の一葉桜は、まだ少し時期が早いようだが、すでに見事な花をつけている木もある。開花の進み具合が木によってずいぶん違うと思った。

いつもの銭湯の前で若者がたむろしている。路上でスケートボードに興じている者もいる。この場所で若者の姿を見るのは珍しい。彼らを避けるように銭湯の暖簾をくぐったら、後からその若者たちもぞろぞろ中に入ってきた。皆一様に番台で大小のタオルを借りて、サウナに入るらしい。大勢の若者と居合わせることになるとは、タイミングが良くなかった。

スケートボードで遊ぶような、今ふうの若者がつるんで銭湯サウナに来るというのも、昨今のサウナブームの表れなのだろうか。

湯上りに脱衣場で足の指に水虫の薬を塗っているおじさんがいる。正直見たくない光景である。そういう人は銭湯に来るのを控えてほしい。さもなければ、薬は家に帰ってから塗ってほしい。

浅草警察署のはす向かいの浅間神社の桜も美しい。

14,329歩。朝タクシーに乗った分の出遅れを、錦糸町からの帰りと夜の散歩で挽回した。