満開

朝のラジオが東京の桜の満開を告げていた。少し早く家を出て、道すがら桜を見て行こうと思う。

近所を歩いていたら、後ろから来た猫に追い抜かれた。写真を撮ろうとスマホを取り出す間、こちらを見て待っていた。むしろ写真に撮られたかったのだろうか。

首都高の高架下の桜が咲いている。満開と言われるとそうなのかなと思うが、満開の桜というのはもっと豪勢なものではなかったかという気もする。調べると、80%以上のつぼみが開いた状態で満開と宣言するらしいから、これからさらに花が開くということだ。もっと言えば、散り初めの頃が、私の思う満開に近いように思う。

朝はコンビニ。昼はみそラーメンからの、コーヒー。

夕刻、バスで錦糸町に移動して、所用。

私はコロナ以降酒量がぐっと減ったが、世の中には逆に増えたという人もいる。むしろそういう人のほうが多いかも知れない。酒量が増えた人は家飲みをするんだろうね。私は家では飲まないから。

バーモスという名前のお酒は初めて聞いた。普通に店でも売られているし、バーでも飲めるというのだが。お酒の種類の一般的な名称か、それとも個別のブランド名か何かだろうか。帰ってから調べると、何だ、ベルモットのことだった。

錦糸町から歩いて帰宅。

今日はこのまま在宅。机の周りの片付け物などしているうちに時間切れ。11,126歩。

分不相応

昨夜振られた雨は上がっている。念のため、折り畳み傘を鞄に突っ込んで外出。

普段より少々早い電車に乗った。緊急事態宣言解除というが、普段と比べられないのでよく分からない。

朝はコンビニ。昼はそば。河岸を変えてコーヒー。

夕刻、暗くなってから外に出た。出掛けの小雨が、歩いているうちに本降りになってきた。途中で折り畳み傘を出した。今朝出掛けに鞄に入れて良かった。

この時間に私が錦糸町駅近くにいるのは、案外珍しい。

黒靴が欲しい。がしがし歩いて履きつぶせるやつ。手頃な値段なら尚いい。そこで、前から気になっていた靴屋を覗いた。

実は閉店時間ぎりぎりである。急かされるまま、出された靴を試し履きして、急かされるまま、分不相応な値段の靴を買ってしまった。確かに歩きやすそうな履き心地なのだが、この値段ではがしがし歩けない。

まあ、丁寧に履くことにしましょう。しかし、これはこれとして、普段履きにする靴も別に欲しい。私の思っていた値段の靴は、今日覗いた店にはなかった。

雨だし、少々値の張る買い物もしたし、このまま家に帰ることにした。スーパーにだけ寄って、適当なものを買ってきて食べた。夜の散歩その他は省略。6,530歩。

春の嵐

雨の朝。本当は思いっきり早起きしたかったが、まあこんなものでしょう。

家を出て、駅ナカでパンとコーヒーの朝飯。

永田町で有楽町線に乗り換えた。目の前に眼鏡をかけた女の子が座っている。中学生くらいの年格好だろうか。

しばらくスマホに目をやって、ふと顔を上げると、その子がコンパクトを見ながらアイラインを引いていた。眼鏡を外したせいもあるだろうが、一瞬、別人に思えた。眼鏡をかけている時の地味な印象と、アイラインを引く時の大人びた仕草のギャップに戸惑ってしまった。

ま、それだけの話。

東池袋で降りて、タイムズ・スパ レスタに、10時半着。今日はこの後特に用事もないので、ひたすらサウナと風呂に入って、ごろごろする予定である。

午前中のレスタは空いていて宜しい。すぐにはサウナに入らず、ピンク色のお湯(さくら&しょうがバス)で半身浴したり、寝湯に横になったりする。その後休憩室でうとうと。

午後になると客が増えてくる。サウナ室が一杯になると、場所が空くのを待つ客も現れる。室内で立って待とうとする客には、スタッフが声をかけて外で待つように促す。また、サウナ室の角の隙間に座ろうとする客にも声をかけている。所定の人数を超えて客が在室しないように注意を払っているわけだが、対応が行き届いていることに感心する。

一時、客足が引いたように思えたのは、雨が激しくなったからだろうか。むろん、露天風呂に入らない限りは、外の雨は構わない。

19時半に退館。幸い雨はやんでいる。池袋から山手線で鶯谷に出て、歩いて帰宅。

雨はこのまま上がるのかと思ったら、千束あたりでまた降り出した。桜橋を渡る頃には春の嵐である。辛うじてぐしょ濡れになる前に帰り着いた。

道すがらの夜桜が美しい。桜というとソメイヨシノばかりを思うが、花の色や形のさまざまな桜が、少しずつ時期を違えて咲くものだと感じ入る。

さすがに銭湯は省略。11,384歩。

時間切れ

資源ごみの日。少々寝坊。夜中のうちに空き缶を玄関の前に出しておいてよかった。前日から集積所に出すのはマナー違反だろうが、自宅前に出すのは御寛容願いたい。

しかし、資源ごみの日の早朝に、区の収集より一足先に集積所を自転車で回って空き缶を集めていたおじさん(おじいさん?)は、集積所が廃止になって困っているだろうと思う。さすがに民家の玄関先のごみ袋を開けて缶を持ち去るのは憚られるのではないか。

曳舟の駅ナカでパンとコーヒーで朝飯。油断していたらあまり時間がない。

浅草行きの電車に乗った。隣に座った女性が週刊漫画ゴラクを手にしている。角度的に年格好は分かりかねるが、電車の中でゴラクを読む女性は好ましい。

浅草線に乗り換えて、さらに泉岳寺で京急線への直通電車に乗り換え、横浜へ。

車内でラジオを聞いていたら、桂吉弥師が桑原征平氏に落語の「金明竹」のあらすじを説明している(「土曜も全開」を聞いている)。そうか、上方でも金明竹をやるんだな。江戸落語では耳慣れない上方言葉を言い立てるところにこの噺の眼目があると思っていたが、上方ではどう演じるのだろう。もっぱら早口で困惑させることになるのだろうか。

横浜で京急線各停に乗り換え、日ノ出町下車。ここから歩いて神奈川県立音楽堂に向かう。

一柳慧氏の神奈川芸術文化財団芸術総監督就任20周年を記念した連続イベント「Toshi伝説」のうち、今日は「エクストリームLOVE」と題されたコンサート。

13時から18時までの長丁場を「Classical」「Traditional」「Experimental」の 三部構成に分けた。ホワイエでは休憩時間にクロストークが行われるほか、氏の図形楽譜や写真のパネル展示、有馬純寿氏が制作協力した卓球台のインスタレーションもある。

今日の公演で一柳氏は、第一部に一曲ピアノ演奏で参加されたのと、片山杜秀氏を相手にクロストークに出演されていたが、基本的に舞台上は若手、後進に委ねたという様子。とはいえ、客席から演奏を見届け、立ち上がって拍手を贈る姿は矍鑠とされている。

氏が認める若手の音楽家を知ることができて、これから現代の音楽を聞いていく道標を与えられるのは有難い。

第三部で演奏された氏の作品「ピアノ音楽」第1~第7は、なかなか再演の機会もないだろうと思う。プログラムでは演奏曲順は当日発表とあったが、実際は番号順に演奏された。

会場で氏が参加したパフォーマンスを記録したCDを買ったが、帰宅して確認したら、すでに持っていたものだった。そんな気がしたんだ。

終演後、せっかく横浜に来たので味奈登庵のそばが食べたくなり、地図で見たら一番近そうな、みなとみらいの支店に。その後、日産本社の中を通り抜けて、スカイビルに出た。

このところ週末にスカイスパに行くと、入場制限で待たされるというので、諦めて帰ることが続いていた。今日はどうかなとダメもとで寄ってみると、予想外に待たずに入れた。

19時過ぎに入館。21時台まではさすがに混んでいる。御多分に漏れず、若者の二人連れ、三人連れの客が多い。

浴室の休憩椅子でしばらくうとうとして、気がついたら、浴室内が若者の話し声で騒然としている。すると、浴室内で会話を控えるようスタッフが呼び掛けを始めた。特に気になる客には個別に注意している。喋っている客とスタッフは同年代だと思うが、臆することなく声をかけていて感心する。

スカイスパのサウナ室にはテレビがない。そのせいもあるだろうか、浴室が騒がしい間も、サウナ室の中の客は概して静かなのは有難い。

サウナ室が満員になると、浴室にサウナ待ちの行列がずらりとできる。私などは並んでまでサウナに入ろうとは思わないが、これも若さかな。

スタッフの声がけの効果か、また客足も引き始めたか、22時台になると浴室の中も静かになってきた。が、残念ながら当方の時間切れである。

東横線で渋谷に出て、半蔵門線に乗り換えて帰った。11,122歩。

正真正銘

巣ごもり日。天気は下り坂の予報。朝は家にあるもので軽く。昼は思い立って少々料理。まあ大したことはしません。おでんのようなもの。朝も昼も、外に出てもよかったのだけど、そのまま在宅。そのうち雨が降り出した。

夕刻、所用。

V6が解散するという話。一定の年齢層の女性には、彼らの存在が刺さった人も少なくないようだ。 しかし私は、彼らの中で、名前が正確に言えるメンバーはひとりもいないと思う。男性アイドルグループで、メンバーの名前が全員言えると自信を持って言えるのは、SMAPまで遡ってしまう。私のような者は、世の中に多いのか、少ないのか。

先日の桂宮治さんの披露目の浅草での楽日、朝6時半過ぎから並んで、芝居が終わったのが16時半。 このことを落語を知らない人に話すのは、少し躊躇する。落語ファンには周知の宮治さんだが、それを越えて宮治さんの名前が届いているかというと怪しい。というか、落語ファン以外の人は、まず知らないだろう。そんなよく分からないおじさんを見るために、10時間もかけるとは、余程酔狂か、おかしな人と思われるのではないか。

確かに、各所の寄席では、そんな酔狂な人達が毎日行列を作っている。 が、宮治さんの披露目が盛り上がっていると言っても、東京の寄席演芸好きの間の、ごくごく狭い世界の話だ。 落語を知らない人に、落語や寄席の説明をすると、世界の狭さを改めて認識させられる。

たまたまV6と宮治さんの話題が並んだ。彼らはほぼ同年代である。

片付けものなどをしながら在宅、就寝。今日は家の外に一歩も出ず、一枚も写真を撮らなかった。正真正銘の巣ごもり日。212歩。逆に、212歩もいつ歩いたかと思う。

星のフラメンコ

ずいぶん前に買って、一度も穿けずにそのままにしていたズボンを初めて穿いてみた。ささやかなことだが、気分が浮き立つ。そして、今シーズン初、コートを着ずに出掛けた。少々肌寒いが、それが春の訪れを感じさせる。

行き過ぎる小学生の視線を感じた。マスクをしていなかった。慌てて物陰で鞄の中から予備のマスクを取り出して事なきを得た。

朝は持ち帰りサンドイッチ。昼は鶏塩ラーメンからの、河岸を変えてコーヒー。

夕刻、バスで錦糸町に。

所用が終わって、フラメンコの話を聞いた。私は、フラメンコと聞くと、第一に『星のフラメンコ』を思い浮かべる程度にはフラメンコのことを知らない。

フラメンコがロマ(ジプシー)の人々と関わりがあることも知らなかった。漠然と、スペインの伝統的なダンス音楽=フラメンコくらいに思っていたが、もともとは周縁の文化だったのか。

家に帰って改めてWikipediaを見ると、そもそもスペインにロマ(彼の地ではヒターノというらしい)が定着したのは17~18世紀で、フラメンコが成立したのは18世紀末から19世紀前半のようだ。案外新しいんだな、と思った。

そんなフラメンコが、どんなふうに日本に流れて『星のフラメンコ』に至ったのかと考えると興趣深い。

錦糸町から歩いて、閉店間際のソラマチに寄り道。ダイソーで少々買い物。

帰宅後はそのまま在宅。10,608歩。

鰻川

巣ごもり日。朝は外に出ず、コーヒーだけ淹れて有り合わせで済ませる。洗濯。

昼間抜け出す。いい天気。やや風はあるが、それも春の気配を運んでくるよう。朝淹れたコーヒーがあるので、昼はパンにしようかな。

地蔵坂に。子育地蔵堂に俳句が奉納されている。令和三年睦月とあるから、なんだ、案外新しい。このへんで句会をやっている人たちがいるんだな。俳句は私も興味がないことはないが、素人が我流でひねるより、形だけでも宗匠につきたいものだ。入船亭扇橋師のような。

白鬚神社。玉垣は「墨田カフェー協同組合一同」と読める。墨田、とあるからには戦後の墨田区成立以降に寄進されたものだろう。推察するに、昭和22年から遅くとも昭和33年までの間か。

相変わらず向島百花園は休園中。公園の梅が盛りだったのはいつ頃だったか。

百花園近くのパン屋で鶏肉と水菜のハンバーガー、シラスとワサビのガレットを買って帰った。後者は出色。

夕刻、所用。

シラスというのは英語だと何と言うのか。baby sardineとでも言うほかなさそうだ。ちなみにスペイン料理で使うウナギの稚魚は、スペイン語でangula、英語ではelverというとか。

ウナギと言えば、イングランドにあるイーリーElyという市の名前は、ウナギのeelから来ているらしい。すごいね。いくら日本人がウナギ好きと言っても、鰻市とか鰻町といった地名は聞いたことがない、と思って念のためネットで調べると、さすがに市町村レベルではないが、ここからそう遠くもない、江東区の小名木川の名前は、ウナギから来ているという説もあるそうだ。小名木川は鰻川だったのか。本当かいな。

夜の散歩に。やや薄着で出たので、川風が肌寒い。今日は遠回りせず、いつもの銭湯に直行。

12,049歩。昼間30分程歩いて、夜は銭湯まで片道30分、帰りにもう30分。これでほぼ一万歩になる。この程度が宜しい。

Set It All Free

玄関前にゴミを置いて出た。雲間に青空が覗くのに、ぽつりぽつりと雨粒が落ちてきて顔に当たる。お天気雨というやつ。折り畳み傘を開いて歩き出すと、後から、傘は持っていかなくても大丈夫だよ、という、近所の小学生の子供を送り出す母親の声がした。実際、程なく傘を閉じた。

小銭入れを家に忘れたことに気づいて、途中で取りに帰る等。実に間が悪い。

朝は持ち帰りサンドイッチ。昼はハッシュドビーフのようなもの。食後のコーヒーは省略のつもりで、代わりに自宅用に豆を100グラム挽いてもらったら、おまけに持ち帰りのコーヒーをつけてくれた。有難い。

夜は予定していた行先があったが、止むを得ず流れた。他に所用もなく、ぽっかりと時間が空く。しかも火曜日で行きつけの銭湯は定休日。

楽天地スパに。こういう何でもない平日の夜は、さすがにそれほど混んでいない。ひたすら放心。

このご時世だから、レストランが早じまいなのは仕方がない。何か飲みたければ、ソフトドリンクなら館内の自販機で買える。が、最近はスポーツドリンクの類も含めて、甘味のついた飲料を飲む気がしないから、自販機の前で麦茶程度しか食指が伸びない。

ふと、オールフリーを自販機で売ってくれないかなと思う。何か問題あるだろうか。レストランに瓶のオールフリーは置いているから、缶入りも取り扱えないわけではないだろう。

0時ぎりぎりまで居座って、東武線直通の最終電車に乗った。

駅前のコンビニでオールフリーを買って帰った。あまり個別の商品名を書くのは本意ではないが、これだけ毎晩飲んでいれば、やむを得ない。6,250歩。

ぼくの浅草案内

大降りではないが外に出る気を失わせる程度には雨が降っている。コーヒーを淹れて貰い物のバームクーヘンで朝にする。昼も家の有り合わせで済ます。

夕刻、雨が上がった。自転車で月いちのかかりつけ医に。薬局に寄って薬を出してもらい、一旦帰宅。

古今亭志ん輔さんのブログを覗いたら、浅草のひさご通りの蕎麦屋に行った話が出ている。ふと思い立って、小沢昭一さんの『ぼくの浅草案内』を取り出した。蕎麦好きの小沢さんだが、この蕎麦屋は出ていない。

しかし、改めて本書のページをめくると、かつて開いた時とは違う感興がある。コロナ以後、毎日のように浅草を歩くようになったからだろう。以前は、完全に外からの視線で浅草を見ていた。

本の中で小沢さんが一軒の銭湯を紹介している。浅草界隈には今でも銭湯がいくつか残っているが、小沢さんがこの本を書いた頃は、もっとずっと多くの銭湯が盛業中だったことだろう。

絵地図が示す銭湯の場所は、裏浅草のいつもの私の散歩道のあたりだ。へえ、どこだろう、まだ残っているのかな、と、銭湯の名前と場所を見比べると、おや、これは私が行きつけにしている銭湯ではないか。今は横文字を混ぜた名前にしているが、同じ漢字を使っているので、間違いないだろう。

夜の散歩に。隅田川テラスから白鬚橋を渡って、石浜神社に。

橋場不動尊を横目に通り過ぎて、橋場から清川、アサヒ会通りに。

玉姫稲荷神社に寄った。白猫が境内を横切った。

土手通りから千束通りに入った。写真の喫茶店は『ぼくの浅草案内』に出てくるが、何年か前に一度入ったことがあるはずだ。

下の大学芋屋も本書に出てくるが、もう店を閉めたらしい。残念。

件の銭湯に。

私の通う銭湯が、小沢さんもお気に入りだったと知って嬉しい。小沢さんの訪れた頃から建物は替わっているだろうが、深夜まで湯舟にお湯を溢れさせている様子は、小沢さんが書いているまま、今も変わらない。

湯上がり。先日の「火の用心」の暖簾が外されて、店の名前の入った元の暖簾に戻っていた。11,481歩。

資源ごみの日。古新聞と空き缶、空き瓶、ペットボトル、段ボールを玄関前に並べておく。空き缶と空き瓶は早々に収集されていた。他は残して外出。

出掛けは少々肌寒いかなと思ったが、歩いているうちに気にならなくなってきた。

桜橋を渡って台東区に入る。

隅田公園の梅の花が美しい。隅田公園とだけ言うと、墨田区側も同じ名前で紛らわしいが、浅草側の話。

瀧廉太郎の『花』の歌碑があった。この歌の花を桜のことだと思い込んでいるが、こんなに見事な梅に囲まれているのだから、実は梅の花ということはないか。

気になって一応調べてみたら、二番の歌詞に「見ずやあけぼの 露あびて われにもの言う 桜木の」という一節があるので、やはり桜の花のようだ。残念、というのも可笑しいけど。

ちなみに『花』の作詞は武島羽衣。ふーん、『美しき天然』の詞もこの人なのか。

待乳山聖天の下を通って、千束から入谷、鶯谷に。

山手線に乗って池袋で下車。タイムズ スパ・レスタに。

時刻は10時半。先日からレスタが早朝営業を始めたというので、早起きして出掛けようと思っていたのに、結局この時間になってしまった。

浴室に午前の陽光が差し込んでいる。出遅れたと言っても、まだ客の数はまばらで、実に気分がいい。

サウナ室のテレビにKinKi Kidsの二人が出ている。普段テレビを見ないので、久し振りに彼らを見たという気がする。光一氏がジャイアンツの鹿取の名前を出していて、彼らは私よりいくつも若いはずだが、同じ時代を生きた人たちだなと思う。

午後からタイ健式の施術を受けた。馴染みのセラピストだが、施術をお願いするのは、ほぼ二ヶ月ぶりである。

足の裏を押されている時、不意に、甘いものを食べたでしょう、と言われた。実は前の日に普段滅多に食べないアイスクリームなどを食べたところだったので驚いた。食べたものが身体に表れて、診る人が診れば、それを感得することができるものなのだろうか。

例えばの話だが、前日×××をしたということも分かってしまうのだろうか。こういう人に隠し事はできないな、と思った。

施術後、コンフォートラウンジで休憩。まだ明るいうちにここからの景色を望むのは初めてである。

東池袋から市ヶ谷乗り換え、森下へ。黒田百合さん出演の開座アトリエ公演に。木曜に続いて二度目。

今回は断然良かった。木曜日は人形のように見えた百合さんが、意志を持ったひとりの人間として、全身で踊っていた。むろん、緊縛が進むにつれて、物理的な可動範囲は狭まっていく。が、その限られた動きの中で、百合さんは雄弁に語り続けていた。身体が拘束されても精神の自由は拘束されないのだ。

椅子に座ったまま縛られていく百合さんを見ながら、私は大野一雄の姿を思い出していた。木曜に見た時もその思いはあったが、今回はより強く感じた。

大野一雄は、晩年身体の自由が効かなくなって、車椅子の上で辛うじて手の先を動かしていた姿しか、生では見たことがない。正直、その時は意味がよく分からなかった。

が、あの時の大野一雄は、進行する老いと病のために身体は車椅子に縛りつけられながらも、自由な精神が全身に漲っていたのだ、きっと。あのわずかな手先の動きから、氏の全身全霊をかけた動きを見て取るべきだったのだ。

有末剛さんの緊縛を、老いや病と結びつけるのは、飛躍しすぎかも知れない。が、年齢を重ねるにつれて、われわれの身体は確実に、こう言ってよければ、緊縛されていく。大切なのは、緊縛と拮抗する精神の自由だ、と思った。

伊藤啓太さんの弾くコントラバスの弦と、緊縛の縄が重なる。まるで啓太さんと百合さんのセッションのようだ。百合さんは縛られながら自ら奏でているのか。

緊縛が解かれた百合さんは一旦視界から姿を消したようだったが、私の見方が間違っていなければ、この演出は的確だった。アオモリさんと渡部みかさんが縛られていく間、身を隠すことで、目の前の情景が、百合さんの脳内の劇場なのだと感じられた。一度そう感じると、縛られている二人と百合さんとの関係がはっきりした。二人を見ている百合さんは、縛られている自分の姿を俯瞰しているように見えた。

今日は行き掛かり上、電車で帰宅。森下から住吉経由、曳舟へ。

帰宅したら、玄関の前にペットボトルと段ボールが残されていた。13,464歩。