梅に目白

洗濯機を回してゴミ出し、その足でコンビニへ。

これまでゴミを出していた集積所がもうすぐ使えなくなる件で、お向かいさんが今後のゴミ収集について教えてくれた。ゴミは自宅の玄関前に置くことになるらしい。ただし、清掃事務所に電話して収集を依頼する必要があるとのこと。てっきり、近所の別の集積所に持っていくことになるのかと思っていた。

そう言われてみると、玄関前にゴミを置いている家をちらほら見かける。最近はそういう流儀なのだろうか。

昼間抜け出して、百花園近くのパン屋に。念のため出掛ける前に金曜日は営業日であることを確認。

公園の梅の枝に鶯色の小鳥が止まっていた。写真を撮るタイミングは逸した。

梅に鶯とは風流だなと思って、念のため調べると、あの鶯色の小鳥はウグイスではなくメジロらしい。梅に目白だったのか。

百花園は臨時休園で入れない。せめて塀越しに梅の木を眺める。

路地に猫が飛び出して車に轢かれそうになった。居合わせた女性が猫を叱っていた。

ついでに紙コップのコーヒーを買って帰る。この店に入るのは初めて。

帰宅してハンバーガーとコーヒーでお昼にした。

夕刻、所用を済ませてから、だらだらしていたら遅くなった。夜の散歩に。桜橋を渡って、山谷掘公園を歩くルート。

山谷掘公園から千束通りに入って、あまり時間もないので、いつもの銭湯に。

変わり湯は、はっさく湯だった。はっさくの厚い皮がネットに入ってお湯に浮かんでいる。ゆず湯やレモン湯はあったが、はっさく湯というのには初めて入ったように思う。

一葉桜・小松橋通りを歩いて帰る。10,928歩。

秋葉様

昨夜はせっかく鍼を打ってもらったのだから、早寝すればよかったのに、結局だらだらと遅くまで起きていた。それでも、いつもより寝覚めがすっきりしているのは、やはり鍼の効果だろうか。

コンビニに朝飯を買いに出た。

先日から解体していた建物の跡がすっかり更地になっている。

この建物の一角にあったゴミ集積所が、もうすぐ使えなくなるらしい。これからどこにゴミを出せばいいのか、よく分からない。今度からゴミはここに置きなさい、とはっきりした指示を出してくれればいいのに。

昼間抜け出す。

どこかの家の梅の花がかぐわしい。

昼は二階の食堂の焼魚弁当。魚は鯖。魚の種類はその日の仕入れによって変わるらしい。

夜の散歩に。桜橋を渡って、いつもの一葉桜・小松橋通りから一本浅草寄りの路地を歩いてみた。

金美館通りを左折して左衛門橋通りに入った。このあたりの通りの名前はどこもいわくありげである。

今日は秋葉神社まで行ってみようと思う。近所の向島にも同名の神社があるが、この台東区の秋葉神社は、もとは今の秋葉原駅の近くにあって、そもそも秋葉原という地名はこの社名から来ていると、何かで読んだことがある。 

ところで、落語の「牛ほめ」の中に、柱の節穴に秋葉様のお札を貼ると穴が隠れて火の用心になる、というくだりがあるが、この秋葉様というのは、どこの神社なのだろうと思っていた。

台東区の秋葉神社が、地名の由来になるくらい由緒のある神社なら、落語の中の秋葉様と何か関係があるかと知れない、と思って出かけた。

秋葉神社に着いた。神社のほうでも秋葉原の語源というのを売りにしているようだ。

鳥居の脇の由緒書きを読むと、明治初年に東京に火災が頻発したのがきっかけで創建されたとある。え、そんなに新しいの?

ということは、秋葉原という地名も明治以降のものなのか。

どうやら落語の中の秋葉様は、この秋葉神社ではなさそうだ。

裏手から神社を出て、浅草方向に路地を歩いた。

材木が積んである。

やはり銭湯だった。惹かれるが今夜のところは失礼。

ずんずん歩くとかっぱ橋通りに出た。

言問通りから千束通りに入って、いつもの銭湯まで戻ってきた。

銭湯の看板の前で、サウナハットを被った三人組が記念写真を撮っている。

好ましからざる連中だな、という目をして入った。自分がまるで近所の常連客のような気になって彼らを見ていることが、われながら可笑しい。私だって、この銭湯に通うようになって、まだ一年も経っていないのに。本物の近所の常連客が見れば、私も彼らと同類だろう。

サウナー気取りが帰った後の水風呂をゆったりと楽しんだ。14,693歩。

さて、帰宅してから、秋葉様のことが気になって少し調べた。

手許の矢野誠一編の『落語手帖』を開くと、「牛ほめ」の項目に「秋葉さまのお札は、防火の神様といわれる秋葉大権現のもの。(略)江戸は隅田川沿岸の多田薬師堂隣と亀戸にあった」と書かれている。なんだ、億劫がらずに先に読んでおけばよかった。

多田薬師堂は南本所番場町、今の東駒形にあったようだ。が、ネットで見られる江戸切絵図を見ても、多田薬師の隣にそれらしい寺社は見当たらない。私が見落としているだけかな。ちなみに、多田薬師こと東江寺は関東大震災で焼かれて葛飾区に移ったらしいから、本所に応時の名残を探すのも期待薄そうである(が、今度行ってみよう)。

そして亀戸。どうもはっきりしないのだが、ネット情報と総合すると、本書で亀戸と書かれているのが、向島のほうの秋葉神社のことらしい。

しかし、向島の秋葉神社の由緒書きを見ても、亀戸から現在地に移ってきたという記述はない。亀戸と向島は、遠くはないけど、近くもない。場所を混同するかなあ。それとも、亀戸という地名の指す範囲が今と違っていたのか。

かつてはこのあたりを請地と言ったという。請地の秋葉神社は、現在よりずっと広い社地を有して、多くの参拝客を集めて賑わっていたらしい。今の静かな佇まいからは、にわかに信じがたい。

落語の中の秋葉様が、近所の秋葉神社だったかも知れないと思うと、去年の祭礼の時にいただいてきた火伏せのお札が、ぐっと有難味を増す。

陰性

今日は巣ごもりから抜け出して、朝は駅で春菊天そば。いちいち写真は撮りません。

昼はコーヒーにベーグル。ひとつでは足りなさそうなのでもうひとつ追加。これで昼飯にする。

栄養のバランスが偏りそうということで、店のスタッフの人が私物の青汁を出してくれた。有難くいただく。

夕刻、歩いて錦糸町へ。

ちょっと頭が痛い。所用の時間までモスバーガーで休憩。

所用を済ませた後、鍼を打ってもらうことになった。鍼はこれまで二回打ってもらったことがあるが、今日施術してくれるのは初めての人。時間も前二回は30分ずつだったのが、今回は60分。

まず仰向けの姿勢からスタート。この姿勢で打ってもらうのも初めて。そしてまず脈診から入る。続いてこめかみや目の周りに鍼が刺さる。

鍼灸師さんによって施術のやり方も違うものだと思う。鍼の打ち方も、打ちっぱなしではなく、打ったり抜いたりや、軽く皮膚を刺激するような打ち方もする。

初めてお灸も据えてもらった。とはいえ、うつ伏せの時だったから、現物を見たわけじゃない。あ、火がついたのかな、という感覚があって、その程度。いつの間にか据えられて、いつの間にか終わっていた。

今夜はよく眠れるよ、と言われながら帰宅。

この時間まで(と言っても、平常時なら夜はこれからという時間だが)錦糸町にいるのも久し振り。通りの飲食店の明かりは消えて、オリナスもすっかりシャッター街になっている。

念のため、鍼を打った穴からお湯が入ることはないと思うけど、お風呂は省略。8,049歩。

先週金曜の人間ドックで、追加料金を払って、オプションメニューの新型コロナウイルスの抗体検査というのを受けた。新型コロナ関係の検査はこれが初めて。

もっとも、抗体検査で判るのは過去の感染の有無で、よく聞くPCR検査と違って、検査の時点でウイルスに感染しているかどうかは判らないらしい。

私自身は、去年の春に新型コロナが騒がれるようになってから、少し熱っぽいとか風邪気味くらいはあったかも知れないが、明らかに新型コロナ感染が疑わしい症状があったことはない。

それでも、感染しても無症状ということがあるかも知れないし、コロナ禍以後の自分の生活スタイルを省みるのにいい機会ではないかと思った。

帰宅したら、その時の抗体検査の結果報告書が届いていた。

結果は陰性。

少し身構えていたから、拍子抜けしたと言うのも可笑しいけど、まあ、こんなものなんだろうな。

コロナ禍以後、私は必ずしも家の中に閉じこもっていたわけではなく、それなりに出歩いていたから、感染の機会もゼロではないだろうと思っていた。一方で、対面で人と話し込んだり、酒食を共にする機会は可能な限り避けていた。人付き合いを避けていたと言ってもいい。その点では、新型コロナに対して用心深いほうだろうと思う。

結果陰性だったということは、今のような生活スタイルを続けていれば、新型コロナ感染症に罹る可能性は、そう高くはないのだろうと思うことにした。

人の振り見て我が振り直せ

雨音で目を覚ました。朝から本降りも久し振りだと思う。コンビニに行くのはやめにして、朝飯も省略。燃えるゴミを出そうと玄関を開けたら、やはりゴミ出しから戻ってきたお向かいさんと顔を合わせた。

午前のうちに雨は上がっていたようだ。昼間抜け出す。

昼はどこにしようかと考えながら地蔵坂通りを歩いていたら、水戸街道近くのパン屋が開いていた。たまにはここのパンもいいね。

コッペパンに惣菜を挟んだ調理パンがひとつ100円。食べでのある大きさでこの値段は安いよねえ。ポテトサラダとメンチカツを選んで、この二つだけでも十分だけど、それだと200円でしょう。なんだか悪い気がして、隣のクリームパンも入れてもらった。ひとつ160円で、こちらのほうが単価が高い。計360円(税込)。

うちに帰ってクリームパンを食べたら、桜色のこしあんのような具だった。あるいはそれをクリームと言っているのかな。大きいし、あんは詰まっているしで、お腹いっぱい。

お店に出ていたおばあさんは、ずいぶんご年配だと思うけど、どうぞお元気で。

夕刻、所用。今年は節分が2月2日というのを言われるまで知らなかった。

夜の散歩に。隅田川テラスから白鬚橋を渡って、汐入公園に向かうルート。少し風が出ているが、歩いているうちに寒さは気にならなくなってきた。

千住汐入大橋のたもとまで足を伸ばして、公園の中を通って隅田川に戻った。

橋場不動尊の並びの建物が取り壊されていた。多分小さな工場か何かだったと思うけど、残念。理由は書き出すと長くなりそうだから省略。

橋場から日本堤に向かって歩いて、湯どんぶり栄湯に。もう仮名で書くのはいいや。

いつも銭湯やサウナでの若い客のマナーをあれこれ言っていますが、必ずしも若者ばかりを目の敵にしているわけじゃない。

中年の小太りの(自分のことは棚に上げる)二人連れが気に障った。露天のフロアで延々と何を話しているのかと思うと、○○(地名)の△△湯はああだ、✕✕湯はこうだ、と銭湯の月旦をしている。訳知り顔のわりに露天では会話を控えようというマナーには思いが至らないんだな。しかも片割れは背中に石鹸の泡をつけたまま湯に浸かったよ。

むろん、人の振り見て我が振り直せ、です。肝に銘じよう。

15,221歩。一万歩程度にしておこうと思ったのに、案外歩いてしまった。

誕生月

今朝は全然早く起きられなかった。コンビニに行くのもパス。朝飯は省略。

相変わらずの巣ごもりだが、朝の調子を引きずってなかなかエンジンがかからない。

お弁当を買おうと肉屋に来たら、小銭入れを忘れた。持ってきたショルダーバッグにお札は入っているから、550円のお弁当を買うには十分だけど、別途3円のビニール袋を買う小銭がない。バッグの中に10円玉でも転がっていないかと探すも見当たらない。細かいお釣りをもらうのも悪くて、片手にお弁当を持ったまま自転車に乗って帰る。まあ近いから許してください。

お弁当はしょうが焼き。

夕刻、本所のかかりつけ医に自転車で。

途中、水戸街道と言問通りの交差点で交通事故の検分をしている現場に出くわした。左折して水戸街道に入ってきたバンに自転車が巻き込まれたようだ。バンの下に自転車が倒れていて、自転車に乗っていたらしい人がストレッチャーで救急車に運びこまれるところを見た。

急に自転車の乗り方が慎重になる。

応診時間ぎりぎりになってしまったが、月いちの診察。金曜日に受けた人間ドックの中間結果を先生に見せる。どの項目も概して数値が改善しているので、どうだ、という感じ。とはいえ、今の薬を続けることになった。まあ、この結果をどれだけ続けられるかだな。処方箋をもらって薬局に寄って帰る。

水戸街道は先程の事故の現場で少し渋滞しているようだ。

今日はこのまま在宅して早寝。1,160歩。自転車でしか移動してないから、仕方ないね。

2月は私の誕生月。早速バースデーカードが届いていた。楽天地スパからだけど。

野心

目が覚めたら8時前。辛うじて空き缶を出せた。しかし寒さと睡魔に勝てず二度寝。

洗濯物を干して灯油を買いに行く。

水戸街道と明治通りの交差点そばの、もと三菱UFJ銀行の建物で何か作業をしている。壊すのかな。建物の解体を最近よく見る気がする。

ガソリンスタンドで灯油を買って一旦帰宅し、すぐに出直す。

駅に向かっていたら、近くの隅田川高校の女子生徒の集団の後について歩く格好になった。全員がバックパックを背負っている。そうか、高校生の通学かばんは今はバックパックなんだな。そう思って、駅で出くわす高校生たちの背中を見ると、男女とも皆バックパックのようである。

さあ、私は高校時代どんな通学かばんを使っていたか、にわかに思い出せない。少なくともバックパックではなかった。ただし、当時はバックパックではなく、リュックサックと言っていたが。リュックサックがバックパックになったのは、いつ頃だったろうか?

かく言う私も、仕事用のバッグは、ここ何年も背中にかけられるタイプにしている。普段は縦にして背中にかけて出歩き、ちょっと人前に出る時などは横にして手に提げて持つ。コロナ以後、このバッグを使う機会もぐっと減ったけれど。

コロナ以後よく目にするようになったバックパックといえば、何といっても、ウーバーイーツなどのデリバリーの人が背中にかけている大きなバッグだろう。

駅ナカのベーカリーカフェで軽く朝昼兼用を済ませて、電車に乗った。清澄白河へ。

資料館通りを歩いて東京都現代美術館に。思えばここに来るのもコロナ以後初かも知れない。

まず「石岡瑛子 血が、汗が、浪だがデザインできるか」展から。

結構お客が入っていて驚く。若い客もいるが、比較的年配の客も多いのは、この美術館では珍しい光景ではないか。資生堂の前田美波里のポスターを前に、美波里ちゃんでしょ、などと言い合っている年長の女性二人組がいた。同時代にパルコの仕事を見てきた客も多いことだろう。

展示室内に石岡瑛子のインタビュー音声が流れている。ほとんどの展示室で彼女の声が聞こえていたのではないか。まるで常に本人がそこにいて客を鼓舞しているようである。

しかし、この時期にこれだけの客を集めるというのは、デザインというのは大衆と関わる仕事なんだなと思う。一方で、石岡瑛子が1980年代初頭に日本を離れたということの意味も考えてみたくなる。

後年に彼女が手掛けた映画や舞台の仕事は、グラフィックデザイナーという枠では到底語れないし、正直、壮大すぎて私にはついていけないところがある。

また、グラフィックデザインという平面の仕事をしてきた人が、衣装や舞台美術といった立体の仕事に容易に対応できるとも思えない。

こう言うと作家の仕事を矮小化するようだけれど、時代と環境に恵まれた人だったとは思う。その恵まれた条件を存分に活かして、貪欲に自分を大きくしようとした人なんだろうなと思った。その意志の強さは凡人には及びつかない。

北京オリンピックでの自身の仕事を振り返って、「クリエーターとしての野心は20%も実現できなかった」という言葉がキャプションに引用されていた。この「野心」というものを、晩年まで抱き続けた人だったんだろうという感がある。

この野心を育み、世界に向かって発露させた時代と時代の精神を辿る、今回の展示は、まさに「えこの一代記」だった。

続いて「MOT ANUUUAL 2020 透明な力たち」展に。

私好みの展示で楽しかった。

帰りは電車に乗らず歩いて帰宅した。都現美から家まで歩くのは初めてかな?

1時間余りで歩けた。案外歩けるものだと思う。15,119歩。今日はこのまま在宅。

叫び

今日は人間ドックの日。まずまず起き出した。当然朝飯は省略。出がけにゴミ出し。

行き先の都合上、京成曳舟から電車に乗る。通り慣れたはずの道も時間帯が違えば新鮮に見える。ご近所の知り合いを見かけたので挨拶。なんだか気分がいい。

駅まで来たところで健康保険証と診察券を忘れてきたことに気づいた。まるでサザエさんみたいである。このところ、あるいはずっとそうなのかも知れないが、どこか抜けている。

ともあれ指定の時間前に到着。保険証等は忘れても何とかなりそうで安心。

いつもなら待合室や検査フロアの廊下に置かれている新聞雑誌が見当たらない。目立たないところにかためて置かれていた。腹部超音波検査でお腹に塗られるゼリーが温かかった。

検査は順調に捗って、午前中にはすべて終了してしまった。病院のレストランで昼飯を食べた。

思いの外早く出られた。天気はいいし、歩いて竹橋へ。

何か訴えかけるような口調の声が聞こえてきた。ところどころに区長選のポスターが掲示してあるのを見ていたので、選挙の街宣かなと思ったら、公園の前に大きなキャリーバッグを持った女性が立っていて、誰かに盗聴されているがそれが誰かは分かっている、というようなことをひとりで延々と叫び続けているのだった。

東京国立近代美術館の「眠り」展に。

森村泰昌氏の「なにものかへのレクイエム」で、映像の終盤でカメラはのどかな公園の様子を写すが、公園に集う人々は誰も森村=「三島」に関心を払う様子はない。この場面を指して、キャプションの説明文は「政治に無関心な市民への痛烈な皮肉と言えよう」と結んでいるが、私には同時に「芸術に無関心な市民への痛烈な皮肉」でもあろうと思えたが、いずれにせよ、芸術家の声に耳を傾ける市民はいない。美術館への行きがけに見かけた女性の叫びを、聞いて聞かぬふりをして通り過ぎるように。

16時に美術館を出て、九段下方向に歩いた。

そうか、早稲田通りというのは、九段から発しているのか。通りの途中区間は長年折に触れて行ったり来たりしているが、起点というのは考えたことがなかった。

早稲田通りを飯田橋へ。外堀通りに入り、市ヶ谷方向に向かう途中で折れて、逢坂という勾配のきつい坂を上った。坂の途中にアンスティテュ・フランセへの入口がある。フランス語を話す母子連れたちを追い越した。

√K Contemporaryというギャラリーには初めて来た。聞くと、去年の三月に開廊したのだとか。

梅津庸一氏の監修になる「絵画の見かた reprise」という展示を見に来た。受付で美術手帖の2020年12月号を購入。昨晩ネット書店を見たら、本号はどこも売り切れで、古書にずいぶん高い値段がついているので驚いた。

ギャラリーを出て、高級そうな住宅街をうねうねと歩いたら神楽坂に出た。

飯田橋から総武線で錦糸町へ。楽天地スパに入館。

休憩室の椅子に座ったら、程なく眠気が襲ってきた。

11時頃に退館して帰宅。19,345歩。

12日目

今日もコンビニまで朝飯を買いに。

近所の建物がすっかり取り壊された。更地までもうすぐか。

昼間抜け出した。今にも雨が降りそうな空である。今日も昼飯は持ち帰りにすることにして、百花園近くのパン屋に行ってみた。

なんと木曜は定休日だった。よく調べなかったこちらが悪いのだが。なになに、営業日は火・水・金・土か。今度は間違って来ないように、ここに覚え書きしておこう。

では昼飯はどうするかと考えていると、お弁当と書かれたのぼりが目に入った。地蔵坂から少し入ったところにある肉屋さんである。ここではずいぶん前に一度か二度、肉を買ったことはあるけれど、お弁当をやっているとは知らなかった。

からあげ弁当を注文すると、油を温めて目の前でからあげを揚げてくれた。店先で少々待つが、この程度の時間は気にならないし、むしろ有難い。

お弁当を待っている間に雨が降ってきた。せっかくの揚げたてが冷めないよう寄り道せず帰宅。

からあげの下に敷かれたたっぷりのキャベツが嬉しい。

夕刊を取りに出たら、向かいの車のフードがうっすらと雪化粧していた。

夕刻、ちょっとばたばたしたが、所用を済ませて、買い物に。出来合いで早々に晩飯を済ませた。雨でもあるし、夜の散歩その他は省略。

3,449歩。連続1万歩が12日目で途切れたが、仕方ない。11日間続けて外を歩くなんて、この時期の日本海側だと有り得ないだろう。

刺青客

近所で古い建物を解体している現場。ずいぶん進捗したようだ。

昨日は離れ離れに落ちていた手袋が揃えて置いてある。誰かが拾ったのだろう。私も写真など撮らずに拾ってあげるべきだったか。

コンビニで朝飯を買って帰宅。

尾籠な話だが、朝からお腹の具合があまりよくない。昨日変なものでも食べたかな。そんなことはないと思うのだけど。念のため慎重を期して、今日のお昼は持ち帰りにしようと思う。

畳屋の店先に吊られた飾り物が風を受けてくるくると回転している。わらで出来ているのかな。確かに畳屋なら、わら細工はお手の物だろう。

二階の食堂に。弁当ができるのを待っていたら、後から知り合い二人がやってきて久し振りに顔を合わせるなど。

知り合いの話に出てきたTOYAMAキラリというのはどこだろうと思ったら、西町のガラス美術館の建物のことをそういう言い方をするのか。実はまだ建物の中に入ったことがない。そんなことを言えば、新しい富山県美術館にも水墨美術館にも行ったことがない。富山市は高校時代に3年間通った街だが、その頃より後にできた建物には、なぜかよそよそしい感じがして、足を向けるのに躊躇してしまう。この感覚は何なのだろう。

青空がだいぶ顔を出してきた。

お弁当は豚の生姜焼きにした。

所用を終えて散歩に。夜の空が妙に明るい。

今日は入谷のほうまで歩いてみようと思う。入谷といえば、恐れ入谷の鬼子母神という地口だが、考えてみればこれまで鬼子母神に詣でたことがない。

一葉桜・小松橋通りから金美館通りに入って、鶯谷のほうに向かって歩いていくと、昭和通りに突き当たって、地下鉄入谷駅の入口がある。もう一方の地下鉄の入口が昭和通りと言問通りとの交差点近くにあって、鬼子母神があるのはこのあたりである。

入谷鬼子母神は、正式には真源寺というらしい。遅い時間だったけど、境内はまだ開いていたから有難い。

案外こぢんまりとしたお寺で、こう言ってはなんだけれど、少し拍子抜けした。明るい時間に来れば、また印象も変わるのかも知れないが。お寺の周りに観光客相手の店が建ち並んでいるということもない。隣は小学校である。有名なわりに観光地化されていないんだなと思った。もっとも、観光地化していたら私ももっと早く足を運んでいただろう。昭和通りと言問通りという大きな道路に囲まれているので、どうしても雰囲気がせわしない。場所柄で損をしているように思った。

鬼子母神には入谷七福神の福禄寿がおわすとか。しかし江戸の人は本当に七福神が好きなこと。

来た道を引き返して、少し裏道に入ったりしつつ、馴染みの銭湯に着いた。

ほぼ全身に刺青を入れた客が続けざまに入ってきた。

銭湯とサウナ施設の違いは、いろいろに挙げることができると思うけれど、こと客の視点から言えば、刺青を入れた相客がいるかどうかという違いは大きい(ここではオシャレタトゥーではなく倶梨伽羅紋々等の和柄の刺青をいうことにする)。

大抵のサウナ施設は刺青を入れた客の入館を禁止しているのに対して、銭湯ではそのような決まりを見たことがない。銭湯、すなわち公衆浴場は料金が公定された施設で、公共性が高いから、むやみやたらに客を選ぶわけにはいかないのだろう。

サウナ施設の環境を静寂に保つのは、基本的に客のマナーに任されている。かつては勝手の分かった大人のための施設だったのが、昨今のサウナブーム以降、若者がやってくるようになって、中には行儀のなっていない者もいる。そのために時に静寂が乱されるようになった。

銭湯も同様なのだが、ここで刺青を入れた客の存在が重しになっている。この銭湯の雰囲気が落ち着いていて、客層も大人に寄っているのは、刺青客のおかげではないかと思う。

というわけで、銭湯に行くなら刺青客の多いところがいい。

変わり湯は生姜湯。たっぷりとした水風呂で手足を伸ばすのは気持ちがいい。

帰りも少しだけ遠回りして帰った。15,756歩。

1,070円

あ、片手袋。

と思ったら、少し離れたところに、もう片方。

両方とも手袋を落としていくって、どういう状況なのかな。当人は気づいていないのか、気づいてはいたけど、何かの事情で拾えなかったのか。

コンビニで朝飯を買って帰る。

お昼は二階の食堂の弁当。鶏のから揚げ。

夕刻、所用を済ませて、夜の散歩に。山谷堀公園から千束通り経由、いつもの銭湯に。と思ったら、やってない。臨時休業?

しまった、今日は火曜日だった。火曜なら定休日だ。どういうわけか今日を水曜日と思い込んでいた。昨日もそうだけど、どうも抜けている。

幸いここから遠くない距離に銭湯は他にもあるので、慌てず移動。千束通りを引き返して、土手通りを越えて、YDBこと、S湯に。有名だから仮名を使うこともないか。湯どんぶり栄湯に。

流し場に妙齢の?女性が入ってきた。むろん裸ではない。親しげに話しかけている客もいる。店のスタッフの人かな?

露天風呂に浸かっていたら、露天のフロアにその女性がやってきて、水風呂に入っている客や、縁台で小休憩している客に向けて、バスタオルで扇いで風を浴びせている。手慣れたバスタオル使いである。

そうか、レジェンドゆう、というのはこの人かと、ようやく気がついた。サウナ室内だけじゃなくて、外でもロウリュ(と言うのだろうか)をするんだね。

私は銭湯のサウナには基本的に入らないので、この人を目当てに湯どんぶりに来たこともない。今回はたまたまロウリュの時間に居合わせることになった。

まあでも、なんなら銭湯サウナに入ってもいい。番台で聞くと予約を勧められたから、結構な人気なんだな。

料金は、通常の入浴料470円とサウナ料金300円に加えて、ロウリュ券300円を購入する必要がある。都合1,070円。

考えてみましょう。12,617歩。