2011年8月22日のこころのまとめ

  • なんかいやーな予感。 #
  • 吾妻橋ダンスクロッシング。いつくらいから見るようになったのかな、何年か前にあった驚き、こんなスタイルのパフォーマンスがあるのか!という感覚は、正直薄れてきているかも知れない。それは仕方ないところもあるでしょう。でも今回は、驚きの質が変わりつつあるかも知れないと思った。 #
  • 見る前に予想もしていなかったテーマ、それは「天皇」ということがこんなに浮かび上がってくるとは思わなかった。端的には三浦康嗣氏の「合唱曲 スカイツリー」と「地点」の「his master's voice」から来る感想なのだけど。 #
  • 「合唱曲」について、こんなに皇居という言葉が繰り返される歌もないよねと思いながら、radiationの放射線と放射線(状道路)を絡ませながら聞いているうちに、こんなに原発を造ってしまったわれわれの国も、東京を起点に国土が秩序化されたわれわれの国も、中心に天皇がいるんだなと思った。 #
  • しかもそれは明治期から何も変わっていない、ということが「地点」のパフォーマンスを見るうちに明らかに浮かび上がってくる。毎夏変わらず来客の持参したスイカを食べて、素麺とナスとミョウガの漬物を食べるような善良な臣民-国民も変わっていない。そして再度の敗戦のように原発事故が起こった。 #
  • ぼくはここで天皇の戦争責任を問うような「文学的」な領域に足を踏み入れるつもりはないが(それは原発事故についての天皇の責任を問うようなものかも知れない)、あえてこの際、天皇について考えてもいいのかも知れない。善良な国民の集まる町会の会館には、今でも「御真影」が掲げてあるんだぜ。 #
  • 私は遠藤一郎さんという人は、胡散臭い若者(実は腹黒そう)がこれでもかと偽善を叫ぶという芸風だと思っていますが(一方でChim↑Pomは胡散臭い若者たち(実は善良そう)が露悪を尽くすという芸風)、震災以後の善意と悪意が溢れる世の中で、偽善と露悪がよく分からなくなっていますね。 #
  • 遠藤一郎のパフォーマンスの最後で、割れたくす玉の中身、あるいは股間から取り出した紙片に、「がんばろう!日本」などと書いてあるのではないかと内心期待していた。しかしそうなると、「不謹慎」という言葉を介して氏の芸風が「偽善」から「露悪」にすり替わってしまいそうだ。これは難しいところ。 #
  • 「予告する光」の公開初日の吉増剛造さんとホンマタカシさんのトークで、大震災の話題になったとき、吉増さんは震災以後に被災地に赴いたそうだが、それをgozoCineにするには表現の責任が持てない、というようなことを漏らしていたのが記憶に残っている。 #
  • ホンマタカシ氏もまた、多くの写真家がわれさきに被災地に駆けつけている風潮から距離を置いている様子だった。震災以後の表現者のスタンスはさまざまでしょうが、ぼくは得心しながら二人の話を聞きました。 #
  • 横浜トリエンナーレのメールニュースがスパム扱いになっていて困るぜ。Gmailの問題なのか? #
  • 高校生の頃読んだ野球4コマの中で、はた山ハッチ(やくみつる)氏が、横浜スタジアムはヨコスタではなくハマスタと略すのだと力説していたことが何故か今でも印象に残っている。ハマの番長は三浦大輔。横浜銀行ははまぎん。それなのに横浜トリエンナーレはどうしてヨコトリなのか。 #
  • 10何年ぶりにJ-WAVE SOUND GALLERY 'AZ' のテーマ曲聞いた!懐かし。。R.I.P. トノバン! #
  • 同館の創設には瀧口が深くかかわった、というくだりは誤解を招く記述だ。計画時点で再三の館長就任要請を固辞したのだから。あるいは固辞したことを通じて深くかかわったと言うべきだろうか。
    http://t.co/ytfr5EU via @mainichijpnews #
  • からからになってもう何も残っていないというところまで言葉を吐いてみたい。空っぽになった水底を裸足で歩いてみたい。死というものを見てみたい。そこからターンして戻ってこれるものだろうか。 #
  • 吉増さんのプール平みたいなものだな…。窓辺に吊りさげられたフィルムを蜘蛛の糸のようにすがって、救われるものだろうか。いいね、手にしたフィルムからイメージがスライドショーのように浮かび上がって、滑り落ちていく。 #
  • 余程精神の強い者でないと、プールの底から戻ってこれないよ。おれは無理かもな…。 #
  • 書棚に本を戻しては取り出し、取り出しては戻す、この痙攣的な永久運動、終わらないコメディー…。 #
  • 真夜中、勝手に動きだせ、すべてのモノよ! #
  • 実は「キセキ」のDVDは前から買ってあったんだけど、ずっと書棚に入れっぱなしだった。「予告する光」の上映が終わって、この眠れない真夜中、不意に取り出して見る気になった。 #
  • ひとり口を噤み、目を瞑る弁士、なう。 #

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2011年8月21日のこころのまとめ

  • 三平堂落語会で林家正雀さんの「栗橋宿(牡丹灯籠より)」を聞く。口演の後、正雀師は日本舞踊の「松づくし」を踊る。曰く、怪談噺はどうしても陰気になるので、終わった後は必ず踊るようにとの師匠(彦六師ですか)の言いつけであったと。三本の扇が開く様が美しい。 #
  • 住吉踊りの特別興行では協会と芸協の噺家さんが同じ高座に上がっているのがやはり印象的だった。春雨や雷蔵さんも久しぶりに見た。雷門助六さんは出ないのか。。何年か前に末広亭で芸協の噺家さんたちの住吉踊りを見たけど、もうやってないのかな。助六さんの寄席踊りが見たい。 #
  • 昨日ふと思ったんだけど、今はマンガを読むのもゲームをするのもみんな「趣味」って言いますね。でもそういうことを「趣味」と言うのは、ぼくには少しこそばゆい。落語の世界ならおそらく「道楽」と言っていることなんだ。俳句をひねったり義太夫をうなったりするのも道楽。もちろん寄席に行くのも! #
  • さて今日も道楽に出かけることにする。 #
  • 毎日どこかで誰かの公演が行われている。フライヤーの分厚い束を手にすると気が遠くなりそうだが…。ま、空襲下でも寄席は開いていたというから、この程度は不思議がることではないのかも知れないが、さりとて。 http://t.co/mByLIjJ #
  • しかし遠藤一郎は相変わらずクサい芸風だな。ま、震災以後世の中クサい芸風だらけだけどな。 #

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2011年8月20日のこころのまとめ

  • 夢の中で見た朝4時半の東京湾岸が実に鮮烈な色彩で、ああこの風景を写真に残したいなあと思いながら妙に入り組んだ雨上がりの路地を自転車で帰った。 #
  • 小沢昭一さんも浅草雑芸団の上島敏昭さんも東京都のヘブンアーティストの審査員を務めているよ。でも、小沢さんは「原発切抜帖」や「ナージャの村」のナレーションをやっているし、先日木馬亭で見た「自粛まつり」での上島さんの原発ないものづくしの阿呆陀羅経は面白かった。 #
  • 物事はそう単純じゃないし、また、相手の懐に入り込んで順法闘争ができるところが、芸術とか芸能の面白いところではないかと思ったり。 #
  • ラッキィ池田のブログを見たら、これがまたマジなんだなあ。人柄が彷彿とする、滋味のある文章です。「森は海の恋人」というフレーズが記憶の底にあった、牡蠣養殖業者の畠山重篤さんのこともラッキィのブログを見て思い出した。畠山さんの養殖場は東日本大震災で甚大な被害を受けたらしい。 #
  • 先日気仙沼に行ってきた話は前に書いたが、畠山さんの養殖場の被害のことは氏のブログで読んで知っていたにもかかわらず、その養殖場が気仙沼にあるということを迂闊にもその時気づかずにいた。確かにわれわれが作業をした気仙沼大島でも、場所は離れているが、ずいぶん牡蠣の貝殻を目にしたものだ。 #
  • 今日は浅草。ADXじゃないぜ、吉例住吉踊りの千秋楽。実は初めて。この時期は田舎の墓参りがあるからなかなか土日と合わなくて。楽しみ~。 #
  • 住吉踊り楽しい!小円歌さん綺麗! #

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2011年8月19日のこころのまとめ

  • 不覚にも先約があり今日は行けぬ。ささやかなこのツイートで興味を持った人は是非出かけてほしい。 RT @Pole2_theater 本日8/19(金)「予告する光 gozoCiné」最終日21:00の回上映後には、朝吹真理子さん×吉増剛造さん×八角聡仁さんのトークあります! #
  • ラッキィ池田の振りは切れているよ。本人の実年齢はよく知らないけど。下ネタもいいが、マジなミュージカルとかレヴューとかをやったら結構見せるのではないか。私も年を取ってそういう見方をするようになった。墨田区八広出身、明日も普通に土曜ワイドに出るのかな。 #
  • 七尾旅人うるさいぞ #

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2011年8月18日のこころのまとめ

  • 今さらまんべくんをフォローしろって言われてもな。 #
  • もうね、耳がおかしくなってる。駅前の駐輪場のおっちゃんも、近所のクリーニング屋のおばちゃんも、森本毅郎スタンバイも、「ありがとうございました~」と言うのが全部吉増剛造さんが乗り移って聞こえる。 #
  • あーあ、吉増さんを振って長津宅に来ちゃった。 #

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2011年8月17日のこころのまとめ

  • コレクション癖というのはどこか病的な感じがするね(ハーブ&ドロシーの残響)。ま、それはお金のコレクション癖だって同様に病的であるという程度に病的であるということに過ぎない。往々にして子供はコレクターであるし、むしろ私は(あなたは)なぜコレクターでないのかを問うべきかもしれない。 #
  • 富山近美には生前の瀧口修造の書斎にあったコレクション品を展示する部屋がある。展示品は種々雑多。ミロから贈られたひょうたん(いわゆるひょうたん)とか、ジャスパー・ジョーンズが連絡先をメモったタバコの空箱とかも。東京ローズ・セラヴィの神話を信ずる者には霊験新たかな品々である。 #
  • 本当は書斎の主人の死とともにモノは居場所を失ったと考えるべきなのでしょう。むしろ瀧口さんの言うことを真に受けて、「流通価値のないものを、ある内的要請だけによっ て流通させるという不逞な考え」をいかに自分なりに実践するか。もう少し自分の部屋を片付けてから出直したほうがいいかな。 #
  • 「予告する光」の上映プログラムが日替りでAからUまで21通りある中で、ブラジルの蟻塚が出てくる作品「Na entrada da casa dos fogos (花火の家の入口で)」がA,N,Tの3プログラムで上映されるというのは、やっぱり狙ってのことですか。 #
  • gozoCineに岩のイメージが頻出しますね。忍路の岩、カルナックの岩、そして立石寺の岩。「閑さや岩にしみ入蝉の声」の吉増さんの解釈。閑けさや、が垂直の岩の上層、ここでは蝉の声は聞こえない。物の声はしない。そして、岩にしみ入、は蝉の層、生命の層。蝉の声が岩にしみ入り、したたる。 #
  • 「八戸、蟻塚」を見て思ったのだけど、この蟻塚も「岩」ではないですか。形の相似はともかく、何万の生命が充満した蟻塚と岩を同じように言うなんておかしく聞こえるかも知れないけど、むしろgozoCineに登場する岩が通常の岩ではなく、生命を内に秘めた、笑いにはじける岩ではないですか。 #
  • gozoCine「村への遊撃ー及川廣信」を見た感想。演劇あるいはダンスを観る体験をこのように拡張し、改竄し、共演することができるものかという驚き。そしてダンス映像として見ても独自の芸術性をもつ破格の作品といえるのではないか。 #
  • 二十日前にはこんなにgozoCineに深入りすることになるとは思っていませんでした。ここ最近の自分の心境にはまったんでしょうか。それに一度見ると次も見たくなる構成になっていた。きっかけや経緯はともかく、これからの自分にとって動かしがたい映画体験、詩的体験になってしまいました。 #

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2011年8月16日のこころのまとめ

  • きょうだいの数が減ってるから、子供に投影する親の期待も極端に振れるんだろうなあ。期待したって、そう期待どおりに行くことはないのにね。だいたい子供もこの年になれば、親の期待なんて、せめて結婚してほしいとか、その程度ですよ。それでも今だに期待を裏切り続けている…。 #
  • そういや昨日富山近美に寄ったらちょうど「ハーブ&ドロシー」の上映会が始まるところだったのでありがたく見てきた。実は初見。ハーブの「断言力」(私の造語です)を好ましく見ました。骨董買いの人の「よし買った!」という気合いと通じるんじゃない。こういう力はアカデミアの人にはないな。 #
  • 今日の「予告する光」、何度か裏声ヴァージョンを見て、とりわけ緊張感ある時間と場所だった! なんだろう、弛緩のない緊張もないものだが、弛緩が不完全なままいつまでも緊張が持続するような…。 #
  • 最後のフィルムの上映前、解説の八角氏が「ちょっと喋りすぎました…」と言葉を収めた後、舞台上にうっぷしたように手をついたままの吉増さん。上映が始まる様子もなく時間が過ぎる…。しかしここで劇的な展開があるわけでもなく、スタッフに促されるように上映を始めるよう告げる、この寸止め感! #
  • 今日の吉増さんは「口を噤む弁士」に続いて、「目を瞑る弁士」! #

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2011年8月15日のこころのまとめ

  • しかし私は朝の幻に見た蜃気楼に自分で勝手に翻弄されているようなものだ。思いもよらぬ真夏の蜃気楼に。あるいはそれは砂漠の逃げ水のようなものか。もうこうなったらぼくを翻弄するだけ翻弄してくれ、ファタ・モルガナ。 #
  • ふと思い立って瀧口修造さんの墓参りに来た。 http://t.co/rS9K5bu #
  • 富山行の電車の中で三田文学春号の吉増剛造さんの「無限のエコー」を読んでいたら、周りの風景や何かが存在しないはずの瀧口修造をめぐるgozoCineを見ているようで、電車の道行きとともにどこか別の世界の中に入っていくという感覚が後々まで拭えないのだった。 #
  • そしてgozoCineの鏡花フィルムをきっかけに、泉鏡花の「蛇くひ」と神通川、そして作中描かれる富山の地勢が気になって仕方がない。私は神通川の河畔にある、かつて川の名前を校名に冠したこともある高校にいたはずなのに、当時川を見た記憶がほとんどない。避けていたのか…。 #

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2011年8月14日のこころのまとめ

  • 特急電車の座席の向こうで幼い子の手がひらひらと動くのが覗く。津波から生還した人は、水の中に呑まれていく人の手のひらが流れに煽られるさまが目の底に残っていると、先日のgozoCineの鼎談での小林氏。その時詩人は信濃町のホームで激しく手を振る島尾ミホさんの手のひらを思い出していた。 #
  • 電車の振動のせいかキセキファンクションのせいか、詩人の捧げ持つ宝貝は水気を含んでぶるぶると震える臓物のように見える。子宮→新宮という連想が働く。そして男女二体のなぎ人形を執拗に触れる宝貝。これはエロティックな映像だ。まるで詩人の内臓が露出して触角となり、人形を愛撫しているようだ。 #
  • 島尾ミホさんの俤を追って奄美に航った詩人は、鮮烈に赤いブーゲンビリアの花蕊にカメラのレンズを何度もこすりつけて、「さあ、マリリアさん、これが恋の手本だぜ、恋の手本だぜ」と(マリリアさんは詩人の伴侶)。参った。おれも70になってあんなふうに恋の手本を示したいものだぜ! #
  • 今年は蝉が啼かないと言っていたのは何だったのでしょう。開けっ放しの部屋の窓からこれでもかと蝉の声が聞こえてきます。とはいえ今年の初夏は声なき蝉(CICALA-MVTA)の歌をずいぶん聞いたのも確かでした。蝉は口を噤み、声なき蝉が歌をうたう。あの蝉の話はそういうことだったのかな。 #

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