朝からの雨が上がって、外に出ると快晴。日射しが強くて、頭のてっぺんが焼けそうなくらい熱い(これは個人的な問題か)。季節が変わった気がした。

曳舟から浅草に。銀座線に乗り換え。

車内にパチッ、パチッという音がする。何かと思えば、私の対面に座った乗客が爪を切っているのだった。

スーツにネクタイ姿、グレーの髪をきちっと分けた、いやしからぬ風采の紳士が、膝の上に鞄を置いて、その上で手指の爪を切っている。

切り終わったら、爪切りをスーツのポケットに入れ、鞄の上に飛び散った爪を丁寧に集めて、持参の紙おしぼりに包んだ。

実にきちっとしている。しかし、きちっとした人がそもそも電車で爪を切るかなあ?

爪が綺麗になったら、今度は手鏡を取り出して何やら目元のあたりをチェックしている。今や、おじさんが電車の中で身だしなみを整える時代になったのだと感心する。

末広町で降りて、3331に。

「アーリー90’s トーキョー アートスクアッド」の最終日。案外空いてて少々拍子抜け。

先年の1968年や1980年代の美術を回顧する巡回展に続いて、1990年代も回顧やアーカイブの対象となったかと思うと感慨もあるが、本展はそこまで包括的ではない。でも90年代前半の東京という限られた時間と場所を共有する人なら引っ掛かるものはあるんじゃないかな。

何より、私自身が1990年に上京して大学に入って、95年に卒業して就職している(年数が合わないと言うなかれ)。私の90年代は事実上95年で終わっているし、その時代認識は本展と符合している。

当時の私はまだ自覚的に近現代美術を見ていなかったから、知らなかったり見逃したりした展示やイベントも多い。が、本展の重要な参照項目のひとつとなっているレントゲン藝術研究所には何度か足を運んだし、ささやかな思い出もある。

そういえば、本展とは関係ないのだけど、二、三年程前か、年少の仲間と喋っていて、2015年と言おうとして95年と言ってしまったことがあり、それも一回ならず何度もそう言い間違えてしまったので、すっかりおじさん扱いされてしまったのだが、つまり私の潜在意識の中で1995年と2015年は直結しているんだと痛感した。まさに失われた20年というやつ。

高田馬場に。早稲田松竹で「ラ・ジュテ」 「去年マリエンバートで」と「インディア・ソング」を続けて見る。いずれも初見。

現下のコロナ禍のため、かなり座席を間引いての指定席制になっている。上映時刻に来ても満席で見られない場合があるらしいので、早めに来てチケットを購入し、近所の銭湯で時間を潰した。

長年この界隈をうろうろしているのに、ここには初めて入った。私の好きなタイプの銭湯、つまり無色透明で少し熱めのお湯がたっぷりとしていて、水風呂がきりりと冷えている。サウナはないが、私は銭湯ではサウナに入らないから構わない。脱衣室も流し場も広々として気持ちがいい。何で今まで知らなかったかなと思う。

映画は三本とも参った。こういうやり方があるんだな…。細かな感想は改めて書ければ書きたいが、三本に共通した感想があるとすれば、映画というものが、映像の芸術であると同時に、言葉の芸術であるということ、あるいは映像(それは静止画であっても構わない)と言葉が絡み合ってイメージを喚起していくものだと思い知った。

結局、季節は変わらなかったようですね。11,477歩。基本、屋内にいたのに、案外歩いた。

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