東京都美術館でやっているフィレンツェ展を見てきたけど、正直、あんまりピンと来ない。
ピンと来ないのはこちらのせいかもしれないので、こういう展示こそ少し予習をしておけばよかったのかもしれない。また、思ったより人が多くて、それだけで結構疲れてしまった。
しかし、壁を引っぺがして持ってきたフレスコ画とか、彫刻にしても小振りなものとか石膏で作り直したものが多いのを見ると、やっぱり実際にフィレンツェに行くのが一番いいんだろうなあと思う。もちろん先立つものがないけど。


まあ、会期中に気が向いたら、もう一回くらい行ってみましょう(といって、こういう場合もう一回行ったためしはほとんどないけど)。
せっかく上野まで出たので、鈴本演芸場に寄って林家錦平さんの独演会の前売券を買った。
錦平さんの独演会は、前にも一度覗いたことがあるけど、当日でも席はどうせ空いているだろと高をくくって開演ギリギリに入ったら、鈴本の客席がびっしり埋まっている。今年のゲストは人気者のこぶ平さんだというから、早めに買っておかないと前売りで席がなくなってしまうかも知れない。
そういや、こぶ平さんの落語というのも聞いたことがない。正蔵襲名を目前にして落語に本腰を入れているという。どんなものなのだろうか。
こぶ平さんはもちろん、錦平さんの師匠も亡くなった林家三平さんけど、三平一門というと、古典落語をしっかりやるというイメージはない、らしい。
らしい、と留保をつけたのは、ぼくはあまり三平さんという人のことを知らないからで、調べると1980年死去か。するとぼくはまだ8歳。それじゃあ、あんまり記憶にも残ってないはずだ。後になってスネークマンショウとか聴いて、ダジャレの小話をしていた人なのかな程度の認識しかない。
この前、末広亭の深夜寄席に林家すい平さんという、こん平さんのお弟子さんが出ていた。長めの髪の一見今ふうな風貌。が、喋り方は騒々しくて泥臭い。
来年の真打昇進が決まっているそうだけど、この人がまた、出番の最初っから最後までダジャレの小話だけで押し通す。
そこまで徹底すれば呆れ半分に感心もするが、騒々しいだけで面白くないし、本当にこれで真打になるのかな、と思う。まあ、もしかすると、たまたま今回の高座が小話だけで、また違った面もあるのかもしれないけど。
で、小話と小話の合間に、決まって、うちの一門はこうですから、みたいな言い訳とも照れ隠しともつかないセリフを挟む。
でも、そうなのかなあ。
ぼくが落語に惹かれるようになったひとつのきっかけは、錦平さんの古典落語だった。
その錦平さんが、あるサイトのインタビューで、三平も基本は古典ですから、と答えていたのも覚えている。
小話で勝負して、例えば今テレビに出ている同世代のお笑いタレントに笑いの量で勝てるのなら、小話にこだわったっていいと思うけど、それができないのなら、どうかなと思う。

“小話で勝てるか” への2件の返信

  1. 「フィレンツェ展」─芸術都市の誕生展

    東京都美術館で開催中の「フィレンツェ展」─芸術都市の誕生展へ行って来ました。
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