開口一番 古今亭志ん坊「元犬」
落語 林家ぼたん「近日息子」
太神楽曲芸 柳貴家小雪
落語 柳家三三「宮戸川」
落語 柳家禽太夫「谷風情け相撲」
奇術 ダーク広和
落語 橘家文左衛門「道灌」
落語 古今亭菊之丞「幇間腹」
仲入り
曲独楽 三増紋之助
落語 柳家〆治「皿屋敷」
紙切り 林家正楽
落語 柳家小三治「野ざらし」
日本橋から

桂歌之助師の落語会に行ってきた。場所はお江戸日本橋亭。
新歌之助師の高座を見るのは三度目。最初は襲名前に、去年の「京の噺家桂米二です」で。このときの姿が印象に残って、今年3月の内幸町ホールでの襲名披露にも出かけた。
この「桂歌之助上京」という会、Vol.9というから、東京での独演会も定期的にやってたんだね。知らなかった。経歴を見ると、千葉大学の出身というから、東京にもゆかりがないわけじゃないんだ。
開演10分程前に着くと、会場はすでにほぼ満員。ようやく後方の壁際のパイプ椅子に腰を下ろした。といっても、ここはそれほど大きな場所ではないが、それでも100人程は入っていたか。
池袋から

平成19年9月16日中席夜の部のメモ
朝太は聞き逃した。
志ん馬「宮戸川」
笑組。
小さん「子ほめ」初七日、でサゲ。
志ん駒。川口出身で蜷川幸雄が近所だったとか、舞鶴で海上自衛隊に入隊した話とか、志ん生・志ん朝両師の思い出話とか。
近藤志げる。野口雨情話。船頭小唄。縄のれんに野口雨情が弟子と入ったら、そこで飲んでいた3人が・・・とか。昔の演歌師の流れにある人なのだろうか。
内幸町から

桂歌々志改メ
三代目桂歌之助の会
ご挨拶 小佐田定雄 むかし家今松 柳家一琴 桂小米朝 歌之助
一琴「松竹梅」
小米朝「くっしゃみ講釈」
歌之助「七段目」
中入
今松「親子酒」
歌之助「茶の湯」
白河から
浅草から
錦糸公園から

色紙左から、入船亭扇橋、春風亭美由紀、前座さんの柳家ごん坊、林家時蔵の各師。
ちなみに演目は、時蔵師は「しわいや」、扇橋師は「道具屋」。前座さんは座布団返しだけで出番はなし。
前の出し物が15分ほど押して始まったが、きっちり予定時刻に終わらせる。さすが噺家さんだなあと思う一方で、ちょっとくらい押したっていいじゃないのと思う私は貧乏性。
すみだまつりの寄席は今回初めて見たけど、時蔵師は毎年出てるのかな?抽選会の仕切りを聞いていたらそんな感じ。
笑いのハイスクール・爆笑開校式 その3
小沢さんのことに触れたついでに、からっぺたんずの後に出てきた芸人たちを飛ばして、先に小沢さんの特別講義の覚え書きをしておこう。
「ハイスクール」の「開校式」というくらいで、今回のイベントは全体に学校のノリになっている。司会の奥山氏も学生服姿。その他、時折黒子役で顔を出す放送作家諸氏の格好も学ランだったりセーラー服だったり(女性作家もいる。かなり無理のあるセーラー服だったけど)。で、小沢さんはその開校式の特別講師というわけ。
前回も書いたように、幕が上がると、小沢さんは舞台のかなり後ろに突っ立っている。ベージュ色のスーツ姿。おもむろにツカツカと歩き出し、無言のまま演台に立つと、水差しからグラスに水を注ぎ、グラスを掲げて「ここにお集まりの方だけの健康を祝して」。
そんな感じで、きわめてマイペースに特別講義が始まった次第。
おこわにごま塩
お江戸日本橋亭で毎月やっている春雨や雷蔵さんの会「雷蔵八百夜」を久しぶりに覗いてみた。これが二度目。
客層は常連ばかりと見える。よく言えば固定客がついている。別の言い方をすれば、まあ、一見さんがふらりと入りやすい雰囲気ではない。若い客もいない。
会場に着いたら、もう前座さんの噺が始まっていた。演題は分からないけど、数字の八がつくものを並べ立てるネタ。そういや、八百夜だしね。
喋っているのは、多分、雷蔵師の弟子で、春雨や雷太さんという人。入口でもらった雷蔵師の近況報告?(毎回くれる。どこに遊びに行ったとか、どこの落語会に出演したとか、本人の手書きの文章のコピー。手作り感濃厚)に、今日がデビューと書いてある。
笑いのハイスクール・爆笑開校式 その2
飯を食いに外に出て、帰ってきてテレビをつけたら、渥美清の特集をやっていた。
生い立ちから死まで、ゆかりのある人たちのインタビューと当時の記録でたどる番組。
ずるずると最後まで見てしまったのは、生前の渥美清を知るひとりとして、もしかすると小沢さんのインタビューもあるんじゃないかな、というかすかな期待からだったのだけど・・・。やっぱりありませんでした。
まあ、そうだよね。基本的には早坂暁氏、そして、特に「男はつらいよ」以降は山田洋次氏のインタビューを中心に構成されていたように思う。
昔の浅草時代の話はやっぱり興味深いな。ただ、喰い足りないと思ったのは、関敬六のインタビューがなかったこと。若い頃の渥美清を語るうえでは、絶対に外せない人だと思うんだけど。この番組を制作していた時には、もしかすると、もうあんまり具合がよくなかったのかな。