小沢さんのことに触れたついでに、からっぺたんずの後に出てきた芸人たちを飛ばして、先に小沢さんの特別講義の覚え書きをしておこう。
「ハイスクール」の「開校式」というくらいで、今回のイベントは全体に学校のノリになっている。司会の奥山氏も学生服姿。その他、時折黒子役で顔を出す放送作家諸氏の格好も学ランだったりセーラー服だったり(女性作家もいる。かなり無理のあるセーラー服だったけど)。で、小沢さんはその開校式の特別講師というわけ。
前回も書いたように、幕が上がると、小沢さんは舞台のかなり後ろに突っ立っている。ベージュ色のスーツ姿。おもむろにツカツカと歩き出し、無言のまま演台に立つと、水差しからグラスに水を注ぎ、グラスを掲げて「ここにお集まりの方だけの健康を祝して」。
そんな感じで、きわめてマイペースに特別講義が始まった次第。


あとは、ぼくの記憶のまま・・・。
病気をすると年をとるのが早い。健康は健康なうちに気をつけなければならない。
なんとかマキコが荒川強啓のラジオで、安部晋三は腹話術の人形にソックリだと言っていたのを聞いて、腹をかかえて笑った(ちなみに、この日の奥山氏ともうひとりの司会は、デイ・キャッチ!のアシスタント、坂本咲子氏)。
この話も腹話術を知らないと分からない。敗戦後のヤミ市で腹話術の人形を買った。腹話術の芸を覚えて稼ごうと思ったが、安かったのですぐ壊れた。だから、腹話術との付き合いは長い。
小泉さんもあの人をかかえて腹話術をすればいいのに。プレスリーのマネをするくらいなら、小泉劇場の最後の出し物として、
「ボク、靖国神社行く」
スローペースだった小沢さんの話も、このあたりからエンジンが掛かってきた。
日本の芸能の元祖は、古事記に登場するアメノウズメノミコト。天岩戸の前でストリップを踊った。その人が祭られている神社が、伊勢の近くにあるのだが、なんという所だったか・・・。とか言いつつ、浪花節を唸りだす小沢さん。そのうちに客席から拍手が。小沢さん曰く「まだ歌うの」。そうしてさんざん歌った挙句、その浪花節の歌詞の中に、アメノウズメを祭っている神社のある地名が出てくるんだ。要するに、横山ホットブラザーズのお約束のネタみたいな感じ。でも、ぼくの記憶はこれが限界。浪曲も知らなければ、その神社のことも知らないから、その町の名前を挙げられない。いま、この覚え書きをしようとして、ウェブを検索して、それらしい神社や町の名前を探してみたけど、やはり定かでない。さすがに浪曲の歌詞をウェブサイトに掲載しているような奇特な人はいないもんだね。
日本の芸能の元祖がもうひとつ、海彦と山彦の兄弟ゲンカ。潮の満ち干を自在にできる玉を使って山彦の軍勢を負かした海彦は、それから毎年の敗戦記念日?になると、負けた山彦に溺れるさまをさせた。こんなふうに、負けた者が強い者にヨイショするのが芸能の起こり。日本だってアメリカにヨイショしてる。
江戸時代の身分制度は士農工商。昔は米が基本だったから、新聞にも「豊作」とこんなデッカイ活字で出ていた。今の「清原」とおんなじくらい。
米を作る農。米を作るための農具を作る工。そしてできた米を流通させる商。士はなんにもせずにイバっているが、有事になれば守ってやるという。では、その米作りの体制からハミ出した者は、お正月になると、今年は豊年だといって祝って歩く。ただし豊年にならなくても責任は取らない。これは今の芸人も同じかな。
「おめでとうさまと、祝い・・・(歌詞が聞き取れなかったので失礼)」と回っていた門付けの万歳。これが今の漫才になった。「ありがとうございましたー」なんて引っ込むやつ。
かつては芸人が多く住んでいた町があった。吉原の近くのなんとかという町がそうで、七代目団十郎もそこから顔を隠して芝居小屋に通ったとか。
今の新宿高島屋のあたりもそういう町だった。今でも天竜寺という寺がある。「はっこめ」という芸。ほうきを持って家の玄関先で「はっこめ、はっこめ、はっこめよ」。ただのほうきだと格好がつかないから、柄の先に赤いリボンをつけたほうきでもって。今では高島屋がはっこめだ。
芝新網町。かっぽれ。阿呆陀羅経は祭文、お経から来ている。お経の話からお寺、永六輔の話に。永さんの実家のお寺は、お父さんが亡くなった後は永さんのお兄さんが住職を継いでいたが、そのお兄さんも弟さんも亡くなって、ここだけの話、永さんが住職をしているらしい。やたら、ここだけの話を強調する小沢さん(それなのにブログに書いちゃマズイかな)。永さんのお父さんは立派な人だった。俳句も息子より上手い(永さんも小沢さんも「東京やなぎ句会」のメンバー)、だって。
そのお父さんの句「浅草や酔えば女は足袋を脱ぎ」。
物売りの声。「あさりー、しじみ。多摩川のしじみ」。昔は多摩川でシジミが取れたんだ。しじみ売りの後から、小沢少年「あっさり死んじまえ」。はさみ研ぎ。花屋ははさみをカチカチ。いわし売り。関西では「いわし、手て噛むいわし」。
昔の芸人は、朝炊いたお米が残っているお釜を質に入れて、三味線、太鼓を借りる。仕事を終えるとお釜を請け出す。
芸はなんのためにやるか。お金を稼ぐため、というのはバカにできない。人より面白くと工夫する。昔は万歳もいっぱいいた。
最後は、小沢さん、今日はハーモニカは忘れたと言って(えー?)、阿呆陀羅経を歌って、幕。
なお、小沢さんの阿呆陀羅経をお聞きになりたい方は、CD「唸る、語る、歌う、小沢昭一的こころ」をお買い求めください。

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