笑いのハイスクール・爆笑開校式 その3

小沢さんのことに触れたついでに、からっぺたんずの後に出てきた芸人たちを飛ばして、先に小沢さんの特別講義の覚え書きをしておこう。
「ハイスクール」の「開校式」というくらいで、今回のイベントは全体に学校のノリになっている。司会の奥山氏も学生服姿。その他、時折黒子役で顔を出す放送作家諸氏の格好も学ランだったりセーラー服だったり(女性作家もいる。かなり無理のあるセーラー服だったけど)。で、小沢さんはその開校式の特別講師というわけ。
前回も書いたように、幕が上がると、小沢さんは舞台のかなり後ろに突っ立っている。ベージュ色のスーツ姿。おもむろにツカツカと歩き出し、無言のまま演台に立つと、水差しからグラスに水を注ぎ、グラスを掲げて「ここにお集まりの方だけの健康を祝して」。
そんな感じで、きわめてマイペースに特別講義が始まった次第。

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笑いのハイスクール・爆笑開校式 その2

飯を食いに外に出て、帰ってきてテレビをつけたら、渥美清の特集をやっていた。
生い立ちから死まで、ゆかりのある人たちのインタビューと当時の記録でたどる番組。
ずるずると最後まで見てしまったのは、生前の渥美清を知るひとりとして、もしかすると小沢さんのインタビューもあるんじゃないかな、というかすかな期待からだったのだけど・・・。やっぱりありませんでした。
まあ、そうだよね。基本的には早坂暁氏、そして、特に「男はつらいよ」以降は山田洋次氏のインタビューを中心に構成されていたように思う。
昔の浅草時代の話はやっぱり興味深いな。ただ、喰い足りないと思ったのは、関敬六のインタビューがなかったこと。若い頃の渥美清を語るうえでは、絶対に外せない人だと思うんだけど。この番組を制作していた時には、もしかすると、もうあんまり具合がよくなかったのかな。

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笑いのハイスクール・爆笑開校式

写真だけはこっそり上げておいたが、北千住のシアター1010に行ってきた。
「笑いのハイスクール・爆笑開校式」なるイベントに小沢さんが出演するという。
会場は駅前の丸井の11階にあるのだが、上りのエレベーターがやたらと待たせる。1階で待っているのに、地下に駐車場があるせいだろうが、ドアが開くとすでに満員だったりする。少し余裕をみて北千住にやってきたつもりなのに、そうやってエレベーターをやりすごしているうちに、開場時刻の2時を少し過ぎてしまった。全席自由というので、少し早めに来たほうがいいだろうと思っていたのだが。
11階に着いてみると、すでに会場の入口前には長蛇の列ができている。おいおい、そらみたことか。

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大銀座小沢昭一的祭 その4

小沢さんの江戸の吉原の話でした。
あとは駆け足で行きますよ。というか、もう記憶力の限界だあ。
廓(郭)ってのは、城郭のカクって書く。実際に江戸時代の吉原はお堀で囲まれていた。お歯黒どぶってやつですね。遊女が逃げられないように、ということですか。
花魁(おいらん)という字は、花に魁(さきがけ)と書く。鼻の先が欠けたからじゃないですよ。
遊女のことは娼妓(しょうぎ)とも言う。小沢さん、床机と掛けてたな。このシャレはよく聞こえなかった。それから将棋とも掛けていた。とにかく金銀がないと相手にならない、とか・・・。
野球選手が引退するとコーチになる。花魁も引退するとコーチになるのですよ。それをやり手ババアという。なるほど、やり手ババアというのは、新米の花魁に男の手練手管を教えるコーチ役でもあったわけか。
しかし、ババアといっても、まだ30歳ほどですよ。では、今のババアはどうなんだと。そういう人たちを表す言葉が、そもそもなかった。

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大銀座小沢昭一的祭 その3

またいつものことだ。調子に乗って長々と書き始めたのはいいけど、だんだん息が切れてきて、結局は尻切れ。
まずは、このように自己嫌悪しておいて。
あれから1週間以上も経ってしまいました。小沢さんの大銀座落語祭出演から。
すでに記憶もかなり断片化しつつあるのですが、最後に、もう少しだけメモの棚ざらえをしておきましょう。もし、どなたでもこれをご覧になっていて、私の記憶に誤りがあれば、ご指摘をいただければ幸いです。
そういえば、今回の小沢さんの話を聞いていて、はたと膝をうつことがあった。
確か、この大銀座落語祭の前日?だかに小沢さんは熊本で宿泊していたというのですよね。そして、その小沢さんの熊本の定宿の向かいに、かつて豪壮な木造の楼閣があって、以前、それが取り壊されていくさまを見ていて悲しかった、というお話をされていましたよね。

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大銀座小沢昭一的祭 その2

いやはや、こんな調子で思い出しつつ書いていったら、いつまで経っても終わりそうにないですが。だってまだ、小沢さんの話、冒頭も冒頭ですよ。
そもそも、今回の小沢さんの話には、ちゃんとタイトルがついていまして、題して「小沢昭一の吉原へ御案内」。
小沢さんは、今回、春風亭小朝さんから大銀座落語祭への出演を依頼されたとき、江戸の吉原の話をしてほしいと言われたそうです。小沢さんそれを聞いて、いくらなんでもおれはそんなに古くないよ、だって。
落語の廓噺って、今のお客さんにはなかなか理解してもらうのが難しいそうですね。噺の背景も、出てくる言葉も、われわれにはすっかり縁遠いものになってしまった。だから、廓噺をするときは、噺のまくらでしっかり説明しておかないと、お客さんがついてこないのだとか(これは円菊さんが言ってたんだっけな?)。
ともあれ今回の小沢さんは、休憩後に控えた二席の廓噺に向けて、入船亭扇遊さん言うところの、最高のまくらということになった次第です。

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大銀座小沢昭一的祭

会場、銀座ヤマハホール。実はここは初めて。エレベーターで7階に上がると、思っていた以上の広い空間に驚く。銀座のビルの中とは思えない。
開演前から場内に度々お囃子の音が流れる。客入れの音楽のようなものなのか・・・。
さあ、照明が暗くなって、幕が左右に開く。
ステージの上に高座。名ビラは「随談 小沢昭一」。
出囃子は、やはり「明日の心」。が、少し様子がおかしい。三味線の音が途中でつっかえる。小沢さんも立ち止まって少し苦笑か。
いきなり余談だが、この曲は三味線で弾くには難しいのだろうと思う。特に、最後の部分。チャチャッチャーン、チャチャチャチャーン、チャンチャンチャンチャーン、という、チャチャチャチャーン、のあたりは、バチが追いつかないのか、どうしてもそこで調子があやしくなる。去年の末廣亭の高座では、そこのところは上手く曲をアレンジしてかわしていた。チャッチャーッチャ、チャーッチャチャッチャ、チャンチャンチャンチャーン、というふうに(こんな書き方でどこまで伝わるかな)。

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我もサラリーマンとなれりと手酌

唐突ですが、昔の人は、文化的に豊かだったと思うわけです。
そりゃ、その地域とかにもよるんでしょうけどね。
どこかで読んだか聞いたかした話ですが、幕末、街道筋の木の枝に、一羽の鷹が止まった。それを見た西洋人は、さっそくその鷹を銃で撃とうとした。が、周りの日本人たちはというと、ある者は懐紙を取り出して鷹の姿をスケッチし出し、ある者は短冊を取り出して俳句をひねろうとする。その様子を見て西洋人は、自分の無粋さに恥じ入ったという。まあ、実話かどうか分からないですけどね。
とにかく昔は、今と比べて、風流というか、粋というか、万事余裕のある人が多かったというのは、確かだと思います。
小沢さんの「句あれば楽あり」を近所の図書館で借りてきて、ぱらぱらめくってるんですが、どうやら小沢さんのお父さんも、そんな風流人だったらしい。

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指を切る

ここ数日、手の指を切ってばかりいる。
土曜日の朝、スポーツクラブの冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを出そうとして、どういうはずみだか、左手の薬指の付け根あたりが切れた。
同じく土曜日の午後、両国駅に向かおうと自転車に乗っていて、歩道を右折しようとしたとき、直進してきたどこかのおばさんの自転車とぶつかった。そのとき、右手の小指と薬指が相手の自転車に当たって、皮が剥けた。
昨日の夜、やはり右手の小指が少し切れて血が出ているのに気づいた。これは、どうして切ったかまったく心当たりがない。
今朝、カミソリで髭を剃っていて、顎の下をあたっているときに、カミソリの三枚刃が左手の人差し指の爪に当たった。まあ、当たったところが爪だから、痛いわけでも血が出るわけでもないけれど、髭剃りの手元がそれるのなんて滅多にないし、そういえば最近、指を切ってばかりいるな、と思うと、あんまりいい気持ちはしなかった。

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