唐突ですが、昔の人は、文化的に豊かだったと思うわけです。
そりゃ、その地域とかにもよるんでしょうけどね。
どこかで読んだか聞いたかした話ですが、幕末、街道筋の木の枝に、一羽の鷹が止まった。それを見た西洋人は、さっそくその鷹を銃で撃とうとした。が、周りの日本人たちはというと、ある者は懐紙を取り出して鷹の姿をスケッチし出し、ある者は短冊を取り出して俳句をひねろうとする。その様子を見て西洋人は、自分の無粋さに恥じ入ったという。まあ、実話かどうか分からないですけどね。
とにかく昔は、今と比べて、風流というか、粋というか、万事余裕のある人が多かったというのは、確かだと思います。
小沢さんの「句あれば楽あり」を近所の図書館で借りてきて、ぱらぱらめくってるんですが、どうやら小沢さんのお父さんも、そんな風流人だったらしい。
ご承知のとおり、小沢さんのお父さんは戦前の蒲田で写真館を営んでいたわけですが、小沢さんの文章によると、写真屋の営業は二の次で、近所の商店街のオヤジ連中と、釣りや小鳥の飼育や麻雀や川柳などを楽しんでいたそうで。
そう聞くと、江戸の粋人から小沢さんのお父さんまでは、さほど距離は遠くないように思える。それがいつの間にか、われわれ、すっかり無粋になってしまった。
われわれのほんのひと世代、ふた世代前までは、季節に応じて床の間の掛け軸を替えたり、花を活けたりということを、ごく自然に行っていたのに、一体どうしちゃったんだろう。
ま、あまり懐古的になりすぎてもいけませんから、今の、われわれの都市生活の中で、何ができるのか。昔のものから何かいいところを取り入れ、それをうまく適応させる、そういったところから考えていきたいと思う次第ですが・・・。
で、またもや唐突ですが、昔の粋人の趣味もいくつかある中で、俳句をひねるというのは、案外いいんじゃないか。実は今、俳句というのが来てるんじゃないか。そんな直観が、頭をよぎるのです。
小沢さんの話、それも「句あれば楽あり」の話を始めたのも、ここで俳句というのを考えてみたいと思っているからですよ。
あれは先月くらいでしたか、愛媛県は松山で、「坊っちゃん大句会」というのが行われたと、一部新聞紙上で紹介されておりました。これは東京やなぎ句会の公開句会として開催されたようですね。
いやあ、松山の人がうらやましい。東京やなぎ句会の面々が苦吟?するさまを生で拝めるなんて。
小沢さんのことを追いかけていって、東京やなぎ句会のことも知ったわけですが、同年輩の気の置けない仲間が、月に一度の句会に集って三十余年。私も、ああいう仲間付き合いができたらいいなあと、シミジミ思うのです。
いえ、俳句は全然やったことありませんが・・・。
そんなことを、某掲示板、といっても、ご存知宮坂お父さんのページの掲示板ですが、そこでぽそっと書いたら、 ではここで句会をやってみようという話になってきた。むろん、ネット句会、オンライン句会です。繰り返しますが、私、これまで俳句のたしなみなどまったくない。
最初のお題は「サラリーマン」。
ここで、私が酔いの勢いで書き散らした句を披露してしまいましょう。
我もサラリーマンとなれりと手酌
旧友は出世したらし、酒苦し
それぞれの説明は省きます。両方とも、全然季語ないですね。破調だし。
で、次のお題は「生活習慣」だって。それって今週の小沢昭一的こころだー。
これは難しい。なぜか、全然、湧いてこない。この場を借りて、ぐだぐだ書いているうちに、駄句でもなんでもいいから、何か湧いてくるかなと思ったんですが、ダメみたい。
生活習慣で、何か上手く、季節が織り込めればいいんだけど、難しい。
というわけで、ここで私も、生活習慣について考える。また明日のこころだァー!
歳時記でも、買って来よ。