ここ数日、手の指を切ってばかりいる。
土曜日の朝、スポーツクラブの冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを出そうとして、どういうはずみだか、左手の薬指の付け根あたりが切れた。
同じく土曜日の午後、両国駅に向かおうと自転車に乗っていて、歩道を右折しようとしたとき、直進してきたどこかのおばさんの自転車とぶつかった。そのとき、右手の小指と薬指が相手の自転車に当たって、皮が剥けた。
昨日の夜、やはり右手の小指が少し切れて血が出ているのに気づいた。これは、どうして切ったかまったく心当たりがない。
今朝、カミソリで髭を剃っていて、顎の下をあたっているときに、カミソリの三枚刃が左手の人差し指の爪に当たった。まあ、当たったところが爪だから、痛いわけでも血が出るわけでもないけれど、髭剃りの手元がそれるのなんて滅多にないし、そういえば最近、指を切ってばかりいるな、と思うと、あんまりいい気持ちはしなかった。
指を切る、というのを、指切り、と言い換えると、これは、約束を互いに守らせるためのしるしになる。しかし、指と指を掛け合うしぐさが、どうして「切る」になるのだろうか。
また小沢さんの話になるが、先日買った「唸る、語る、歌う、小沢昭一的こころ」に収録されている「唐来参和」を聞いていて、はたと膝を打つことがあった。
小沢さん演じる、吉原大門口の長屋に住む老女、「しんこゆび」のお信。
お信さんは、「しんこゆび」をこしらえて、日々の暮らしを立てているというのだが、さて、この「しんこゆび」とは何か?
これは「しんこ」の「指」のことである。それでは「しんこ」とは?
辞書で「しんこ」を引いてみよう。
しんこ【糝粉】
1 白米を、水に浸して やわらかくしたものを よくかわかした後、細かい粉にした製品。食用。〔広義では、蒸した米を材料とした物をも指す〕
2 〔←しんこもち〕 しんこを水でこね、蒸してついた食品。
(新明解国語辞典)
「糝」という字は、米偏に参という旁を書くのだが、正しく表示されているだろうか。
むかし、吉原の花魁は、好きになった男に自分の誠を示すために、自らの小指を切って、相手に渡したという。が、中には、どうしてもその決心がつかない花魁もいる。
そこでお信さんは「しんこゆび」というものを考えついた。すなわち、米の粉をこねて指型にしつらえ、色をつけ、日陰に置いておくと、本物の指と区別がつかなくなるという。
あるいは今われわれが使う「指切り」という言葉も、この花魁の指切りから来たのだろうか。
とすると、生半可な約束事などではない、なんとも凄絶な、女の情念が彷彿とするようだ。
また、そんな男女のあやちを知ってか知らずか、幼い子供たちが「指切り」と口にする情景も、ちょっと言いようがない。
ましてや、ここ数日のぼくの「指切り」など、艶っぽい話にはまったくもって縁遠く、実にお恥ずかしい限りなのだが・・・。
この「指切り」の話、すっかり信じたんだから、今さら井上ひさし先生の作りごとなんて言わないでくださいよ、小沢さん。