- 今日は桂米朝さんの誕生日だって。おめでとうございます。満86歳! #
- 「1924海戦」築地小劇場と言っても今の若い演劇ファンはピンとこないんだろうな。むしろ美術ファンのほうが村山知義を介して訴求するところがある。アフタートークで出た美術と演劇との歴史に対するスタンスの違い。美術は作品を残すことを通じて遥かな歴史に連なろうとする。 #
- 一方、作品の残らない演劇は、直接知らない歴史への関心よりは、自分の先行世代に対する父殺しに血まなこになると。この対比は面白い。なぜあの時代に美術と演劇の「前衛」が奇跡的に重なったのか、そして美術家たるやなぎみわさんが演劇として築地小劇場を取り上げる意味も見えてくる気がする。 #
- と言いつつ、簡単に築地小劇場を歴史にしてしまうわけにはいかない。だって、小沢昭一さんは俳優座養成所時代から千田是也の薫陶を受けてきたんだから。小沢さんが今回の「1924海戦」を見たらどう思うかな?というか、ぜひ見てほしい。 #
- いかにも時代がかったことを言っているような気がしてくる。今は「芸術」なんて誰も言わない。「アート」ですから。でも、やなぎさんが言うように、「芸術のための芸術」という神殿を築くために命をかけた人たちがいる。その字義どおり命がけの仕事がなかったら、「アートでまちづくり」も何もない。 #
- 先程の美術と演劇の対比に関する二、三の留保。一、美術が必ずしも作品を残すことを志向するとはいえなくなった。ハプニングやパフォーマンスは作品は残さないが記録を残す。その点では演劇とそう変わらないのか、あるいは記録もまた作品なのか。 #
- 二、演劇は歴史上に有形の作品は残さないが、役者の身体は時代を超えて継承されることで歴史的な実体となりうるのではないか。古典劇もある意味現代劇として演じられる西洋演劇と、役者の身体が「芸」という方法により継承されることで、古典劇が古典劇として演じられる日本の伝統演劇との違い。 #
- これから映画「天皇ごっこ」を見ようと思うのですが、すごくいやーな予感がする。いやーな、というのは昨日からの流れとあまりに符合しそうでいやーな予感がする。「よっちゃん、よっちゃん」という声に包まれて爆死したいような誘惑に駆られる。どこかで聞いた「針生さん、針生さん」という声がする。 #
- 「おすぎさんが始球式で球を転がすと「主よ人の望みの喜びよ」の曲が流れた」ってスゴイな→嘉麻ふれあいまつり:おすぎさん、観光文化大使に 「森の木琴」も再現 /福岡 – 毎日jp(毎日新聞) http://t.co/yqgTDQo5 via @mainichijpnews #
- 熱を計ったら体温計がぐんぐん伸びて43~4度になって、「この体温計って大丈夫?壊れてないよね?」と同僚に渡して、慌てて帰り支度をする夢で、今目が覚めたところ。 #
- 学生時代、鈴木邦男氏とか木村三浩氏とか、右翼の活動家って、朝まで生テレビとかでよく名前を見かけた気がする。見沢知廉の名前はどうして入ってこなかったんだろう。見沢が出獄して「天皇ごっこ」を出版した頃は、ぼくは就職してしまって、視野が狭まっていたのかも知れないけど。 #
- いや、出獄後の見沢知廉は活動家でなく文学者になろうとしたのだから、文学ファンでない自分に名前が知られていなくても仕方ないことなのか。それにしても亡くなったのはそんな前のことじゃないし、どうして当時の自分の意識に上ってこなかったんだろう?単なる無知・無関心ゆえならまだいいけど。 #
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