駅に着いたら、ホームで待っている電車は浅草行きだった。うっかり乗らなくてよかった。普段このホームから出るのは半蔵門線直通の電車で、浅草行きの電車は反対側のホームなんだけど、こちら側のホームから出ることもあるんだ。

朝は錦糸町に着いてからドトールで。ホットの豆乳ラテとミラノサンドで、少し遅い朝飯。
昼は某所のルノアール。時間調整がてら、少し早い昼飯。ぎりぎりモーニングセットが頼める時間だった。ゆで卵を食べようとして黄身をゴロッと落としてしまって恥ずかしい。
夕方、両国の文殊で春菊天そばを食べてから、少々事後整理。

アートトレイスギャラリーへ。永瀬恭一氏による連続対談シリーズ「私的占領、絵画の論理」の第四回に。このシリーズは、なんとなく第二回、第三回と続けて聞いてしまい、せっかく両国の近くにいることもあるし、今回も聞きに行くことにした。

今回の対談相手の戸塚伸也さんという人は、失礼ながらまったく知らなかった。

戸塚氏の制作の源泉にヨガとコルトレーンがあるという話は、後から考えてみれば示唆的だった。画家の精神世界に到来するビジョンがあって、それが制作のスタート地点となっている一方で、その大きなビジョンを一度に再現するのではなく、ジャズのアドリブのように、タッチに呼応して次のタッチを繰り返していくといった方法的な制作をしている。画家はその二つが矛盾していると発言していた。

戸塚氏はアーシル・ゴーキーの名前を挙げていたが、確かにシュルレアリスムの「窓ガラスを叩くような」ビジョンの到来と、オートマティックな方法論が画家の中に併存しているようだ。記号的なキャラクターが登場する画面やその物語性からも、シュルレアリスムの絵画を思い浮かべることができる。

永瀬氏はこの対談シリーズの戸塚氏以前の対談相手はいずれも戦後美術史の延長線上にあると言っていたが、それはグリーンバーグ流のモダニズムに依拠しているということだろうけれど、まさにゴーキーからポロックへの流れに戦後美術史の分岐点があるとすれば、戸塚氏の仕事に、ありえたかも知れない、もうひとつの戦後美術を見ることができるのかも知れない。

全然名前も知らなかったと書いているくせに、われながら適当なことを言ってますが。

イベント終了後、錦糸町まで歩いて、楽天地スパに寄っていくか迷ったけど、サウナは翌日に取っておいて、錦糸町から夜の街をふらふら歩いて帰る。15,841歩。

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