中国展の話の続き。
というところで、いきなり前回の内容を訂正します。
縄文時代と弥生時代の境目をBC4〜5世紀としていたのは、展示室内に掲示してあった年表ではなく、今回の図録に掲載されていた年表のほうだった。展示室の年表には秦の成立あたりからしか書いてないから、いずれにせよ弥生時代の始期は図示されようがない。どうしてこういう記憶違いをしたものか。失礼しました。


さて、今回こんな中国展を見て、つい先日は縄文VS弥生展を見てきたばかりなものだから、なんだか急に東アジアの古代史に興味が湧いてきてしまった。
中国で後漢が滅び、三国鼎立して西晋から東晋、北方民族がやってきて南北朝時代、隋、そして唐の成立にいたる流れ。高校時代に世界史で中国の歴代王朝名、無理矢理覚えさせられましたけどね、こうして実際の文物を目の前にして歴史をたどっていくと、興趣はつきない。また最近は、うちに帰ってWikipediaなんかで調べると、各王朝の盛衰がものすごく細かく掲載されているんだ。それだけ古代史マニアが多いんだろうねえ。
話は変わるが、先日の縄文VS弥生展で、弥生時代の銅剣や銅矛の復元複製が展示されていたのだが、銅製の剣や矛の本体だけじゃなく、それらに柄や飾り房などを取り付けた形で展示されていた。
だいたい、歴史の教科書に載っている銅剣や銅矛といえば、青く錆び付いたのが並んでいるばかりで、それだけ見ていても、実際にどんなふうに使っていたかイメージ湧かないじゃないですか。
ところが、あかがね色に光る剣や矛に柄がついていて、またその横にムラ同士の戦闘場面のジオラマ模型などがあったりすると、そうか、こんなふうに握って、刺して、あるいは振り回して使ったんだなとわかる。少し大げさに言うと、先日の縄文VS弥生展以降、ぼくのなかの銅剣や銅矛のイメージが、土の中に埋もれた静的なものから、血や汗にまみれた生々しいものに変わってしまった。
銅剣や銅矛というのは、どんなふうに使ってたか、なんとなく分かりますね。剣だったら持ち手を握って使う。矛なら長い棒の先につけて槍みたいにする。銅戈(どうか)ってわかります?柄に直角につけて敵を刺すらしい。縄文VS弥生展で展示されていた復元複製を見て、そうか、こういう形の武器なんだと初めて知った。
中国展の話に戻るけど、前回の話でも触れた、銅製の騎馬隊の俑(車馬儀仗俑群)。騎馬武士が馬上でさまざまな武器を捧げ持っているなかに、その戈を持っているのが何騎もあるんだ。
弥生人のルーツを大陸からやってきた騎馬民族とする説があるけど、その真偽はともかく、こんな騎馬隊が銅製の武器をたずさえて、縄文時代の日本に大挙してやってきたのかなというイメージは湧く。後漢の将軍の墓からの出土品だというから、年代的には合わないけどね・・・。
中国・美の十字路展(森美術館)
http://mori.art.museum/contents/china/index.html
縄文VS弥生(国立科学博物館)
http://www.kahaku.go.jp/jomonvsyayoi/index.html

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