上野の西洋美術館で開催中の「ウルビーノのヴィーナス」展の関連企画で、東京大学の三浦篤先生の講演会があったので聞いてきた。
最初、「ウルビーノのヴィーナス」を展示室で見て、どこかで見たことのあるようなポーズだなと思ったが、まさにそれはマネの「オランピア」だった。
が、言うまでもなく、歴史的には順序が逆であって、「ウルビーノのヴィーナス」は「オランピア」の300年以上も前に描かれた作品である。そして、今回の先生の話から、実際にマネはティツィアーノ、そしてこの「ウルビーノのヴィーナス」を相当に意識して「オランピア」を描いたということがよく分かる。


さて、マネが「オランピア」をサロンに出品すると、高級娼婦だ、死体のようだ、などという批判が起こったという。
今のぼくからすると、この作品がスキャンダルを巻き起こしたということ自体がピンとこない。だいたい、どうして娼婦や死体をモチーフに描いてはいけないのか。いいじゃん別に、と思うのだが、これこそ「オランピア」以前と以後の断絶なんだろう。
よく分からなくなってきたのは、当時もウルビーノのヴィーナスは有名だっただけでなく、ここに描かれた裸婦についても高級娼婦というイメージが定着していたのだという。ということは、娼婦を描いてるからダメというわけでもないのか。では、「オランピア」の娼婦と、「ウルビーノのヴィーナス」の娼婦は、どこがどう違うのだろう?
ここで示唆的なのは、三浦先生が口頭で紹介した19世紀ラルース百科事典中の「ウルビーノのヴィーナス」に関する「この絵はタイトルしか神話的なものを持たない」という記述で、ということは、逆にいえばタイトルさえ神話的であれば、娼婦を描いてもOKだったのか? 神話をモチーフにすることは、極端にいうと、裸体を描くための一種の便法だったのか?
要するに、娼婦をモデルとして裸体を描いても、それが芸術作品である以上、その裸体は娼婦であってはならず、古典時代の神話をモチーフにしていると言い続けなければならなかったということなのだろう。すごい規定力だ。
一方、当時の大衆メディアであった石版画や写真では、普通に娼婦の図像が流布していたという。が、彼女たちのとるポーズは絵画の裸婦像を下敷きにしていた。
これは、娼婦を娼婦として表しても芸術作品とされないのにかかわらず、それが裸体である以上、伝統的な芸術作品における裸婦の図像が援用されていたということなのだろう。これもまた、すごい規定力だ。そして、芸術作品の図像のイメージが大衆レベルまで知られていたということなんだろう。
先生は、19世紀は写真の時代になっており、写真に影響を受けた精緻なレアリスムが絵画に導入された影響を指摘していた。
写真によって、現実の娼婦を写した裸体イメージは流布している。一方で、絵画の裸婦は、体のディテールは写真並みにリアルになったのに、顔は昔ながらの無個性のままである。そして、娼婦がモデルであることはみんな分かっているのに、相変わらず、これは娼婦じゃないよ、ヴィーナスだよ、というお約束が通用している。思うに、そんなお約束ごとが臨界点に達して、一気に破裂したのが、まさに「オランピア」だったのだろう。
* * *
ところで、冒頭で「ウルビーノのヴィーナス」を見て「オランピア」を思い出したと書いたけれど、細かいところを見比べてみると、実は結構違っていることが分かる。
「ウルビーノのヴィーナス」の女性は、首をかしげるように頭をクッションにもたれて、足先までがゆるやかな曲線を描きながら降りていくのに対して、「オランピア」の女性は、やや上半身を起こすようにしており、顔はほぼ垂直にこちらを見つめている。実際にやってみると、横になったまま顔だけまっすぐ正面を向くというのは、結構上半身に力の入る姿勢なのですよ。
また、「ウルビーノのヴィーナス」の女性のどこか物憂げな表情に対して、「オランピア」の女性は、無表情というには、その表情はあえて冷ややかな意思が込められているようにも見える。本当にこれ、娼婦なのかよ、という感じだ。少なくとも、娼婦という言葉から通俗的に思い描くような媚態とは無縁である。
先生は、マネは「オランピア」で「理想化されない現実の裸体を、モデルの個性的特徴とともに」表象したとする。伝統的な裸婦像では、裸婦の顔にはモデルの個性は表れないのに対して、「オランピア」では明らかに顔に個性が表れているのだ。
それでは、なぜマネは個性あるひとりの女性を描くのに、娼婦というモデルを選んだのだろうか。
ここから先はぼくの勝手な推測だが、要するに、娼婦をモデルとして描いても、その意味するところが異なるような変化が、娼婦という女性のあり方に現れていたのではないかと思うのだ。
「ウルビーノのヴィーナス」のモデルは高級娼婦だという。娼婦とひとことで言っても、いろんなスタイルがあるのだろうし、ヨーロッパのことはよく知らないけど、もしそれが、誰か決まった貴族やお金持ちの男だけを相手にするような女性だったら、娼婦というよりむしろ、お妾さんとか二号さんとかいうほうがしっくりくるんじゃないかと思う。落語にもそんなお妾さんの出てくる噺はたくさんありますが・・・。
さてフランスでは、「十八世紀の末に、パレ・ロワイヤルの回廊とパサージュという、群集が夜間でも散策できるような盛り場が誕生すると、当局の規制にもかかわらず、娼婦たちはいっせいに建物の外に出て、不特定多数の群集を相手にして、街路で春を鬻ぐようになった」のだという(鹿島茂「『パサージュ論』熟読玩味」から引用している)。
この文脈では、鹿島さんは(そしてベンヤミンは)、娼婦は街に出ることで大量生産の商品となったという点を主に強調しているけれど、ぼくはむしろ、娼婦たちが不特定多数の群集を相手にするようになったということが引っかかる。
つまり、確かに娼婦は不特定多数の男の間を流通する商品となったが、彼女たちは自分の商品価値を自覚することで、特定の男性の経済的な束縛から離脱することができるようになったとはいえないか。
要するに、マネは「オランピア」において、単に娼婦を描こうとしたのではなく、都市において自分の職業をもって自立する女性の出現ということを描こうとしたのではないか(いよいよ話が大きくなってきた)。
そう考えると、ここではたまたま娼婦という「職業」が選ばれているけれど、決して娼婦だけが特別な存在ではない。都市で自活する女性というと、女給とかもそうですね。実際マネは「フォリー=ベルジェール劇場のバー」で、そんな女給の姿を描いているでしょう(だんだん話が都合のよいことになってきた)。
「オランピア」の女性が、上半身に力を入れて無理なポーズでこちらを見すえているのは、そういう新しい時代の自立した女性の気概を示しているのだとはいえないか。
そして、いったん客の男と向かい合ったときには、表情を一変させて、思いっきりの媚態をもってこちらに迫ってくることだろうと思う。
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「ウルビーノのヴィーナス 古代からルネサンス、美の女神の系譜」展
会場: 国立西洋美術館
スケジュール: 2008年03月04日 ~ 2008年05月18日
月曜日休館(4月28日、5月5日を除く)。5月7日(水)は休館)。
住所: 〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7
電話: 03-3828-5131 ファックス: 03-3828-5135
《記念講演会》
4月19日(土)14:00 ~ 15:30
「《オランピア》から《ウルビーノのヴィーナス》へ―近代絵画と伝統」
三浦篤(東京大学教授)

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