瀧口修造の自筆年譜を見ても、どういう経路で上京したかまでは書いてない。北陸線から信越線経由なのか、それとも鏡花みたいに西回りなのかで印象がずいぶん違う。1921年の上京だったら前者だろうと思うけど。これが後年の小樽行きがどういう経路でどんな車窓風景だったかとか考えると興趣深い。

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