このところファストフードの店舗を利用することが多くなった(じっさい、この文章もそんな店のひとつで書いている)。
店に入って何も頼まないわけにはいかないから、いきおいハンバーガーの類を主に注文してなんとなく食べているが、どうもそのせいなのだろう、一時期やっきになって減らした体重がまた増加気味である。
あるいは、ぼくが年をとって体重が減りにくくなっているせいでもあろう。
そこで、この年末にかけて減量大作戦を展開することにした。
やるべきことは分かっているから、あとはどこまで根気が続くかということだ。


ファストフードの店で、よその客を見るでもなく見ていると、しばしば家族連れがハンバーガーや牛丼などを楽しそうに食べているので、ほうほう、と思う。
また、女性のひとり客も多くなった。以前、「深夜の吉野家でひとり牛丼を食べている女性の背中が一番哀しい」ということを言っていた人がいたが、今やそういう時代でもなさそうだ。
翻って、ぼくが子供のころは、ファストフードの店などほとんど利用したことがなかった。というか、店自体が近くになかった。
家族で外食に出かけるという機会も、滅多にないことだった。
毎朝毎晩、近くの田畑でとれた米や野菜や、近くの漁港で上がった魚ばかり食べていた。むろん、それらはぼくの母や祖母が調理していた。
その頃は、食べ物の出どころが、食べる人の口のすぐ近くにあった。
今や、海の向こうの国で採れた食材を、どこか遠くの工場で加工したものばかり食べている。食べ物の出どころと口の間の距離は、圧倒的に遠くなった。
ぼくは別に、ここでファストフード批判をするつもりはない。たった20年ほどで、何事も変われば変わるものだと嘆息するばかりだ。
近頃、食品への混入物や、食品による事故が報道される度に、「食の安全」という言葉が喧しい。
が、ぼくは、そんな報道を目にするごとに、ある種の無力感にとらわれる。
今さら引き返すこともできず、さりとて、先に進むにも足がすくむ。どこにも居場所はない。どこにも。
そして、ぼくは、ハンバーガーをかじる。20年前の食卓が、ちらりと浮かぶ。

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