- 尾上菊之助さんは照菊皇女と大工与四郎の二役だったけど、女形でも立役でも、何気ないしぐさがいちいち絵になっていて私にはよかった。例えば、おきくが信孝の刀を持ち去ろうとして気づかれ、刀を捧げ持つようにする時のしぐさ。また、与四郎が筵で顔を隠すように現れ、花道で筵を広げた時の様子。 ->
- 歌舞伎の舞台上に水平に三角形が現れるのはしばしばあることとして、垂直な三角形が舞台に立ちあがったことに目を見張った。しかも、田郎助と与四郎が自害した後、田郎助が腹から血を流しながら信孝の部屋に入り、田郎助と信孝の位置が入れ換わって、三角形の構造が変化したのだった。 ->
- 五幕目で田郎助が与四郎とお豊を二階に上げたとき、歌舞伎の大道具で二階家というのもあるんだと思って見ていたが、田郎助の告白を聞いた与四郎が障子を開けて顔を出し、さらに一階上手の部屋にいた信孝も姿を見せる。ここで二階の与四郎を頂点に、一階に田郎助、信孝という三角形が舞台上に出現した。 ->
- 歌舞伎はいい席をはりこんだお陰で、役者ひとりひとりの表情が、表情が変わらないということまで含めて、よく見えた。言われることだが、表情の変化で内面の心裡を表現するものではない、ということがよく分かった。役者の人は、表情も所作も、すみずみまで神経が行き届いているものだと思った。 ->
- 写真論や映像論は詳しい人がたくさんいるので、私が何かもっともらしいことを言うのは憚られるのだけど、私の中で写真が静かに再定義されていくような感じはありました。あるいは、もしかして写真はそんなふうに写真を再定義していく機構を内包しているのか…云々。 ->
- 科学の詳しいことは解らないけれど、空に浮かぶ白い雲、あるいは空中の水蒸気の集まりが光を受けて白く見えるということと、霧の彫刻なるものが原理的に近いのか、どうか。そんなことを「高谷史郎 明るい部屋」展を見ながら考えていた。 ->
- 同じ時期に見たある展示で、紗幕で囲まれたインスタレーション空間の中からスポットライトの光が差して、幕に当たった光が物質化したような思いがしたことがあった。そして、中谷芙二子さんの霧の彫刻を思い出した。 ->
- 去年の年末に、私の家の窓から外に向かってプロジェクターで映像を投影するという遊びをやった。上手く映るかな、と思っていたが、思いの外鮮明に映ったので感心した。窓が磨りガラスだったせいだろう。これが透明なガラスだったら、こうは映らないだろうと思った。 ->
- この1週間余り、朝は毎日焼きうどんを作って食べている。もやしとうどんを炒めて、余り物の焼肉のたれで味をつけて、卵を割り入れておしまい。なんかもう、人生それだけで十分という気もしてくる。しかし焼肉のたれがそろそろ切れそうだから、この後の人生について考え始めている。 ->
- 「開店」の文字に落書きして「開向島珈琲店」にしたいねえ "@higamuko101: 東向島珈琲店、オープン致しました。 http://t.co/wwVU6Y0uOH" ->