展示室に足を踏み入れたときは空まで続くようなベッドの列をただただ見上げるばかりだったが、程なくスタッフの方が何か操作したと思った次の瞬間には、突然の豪雨のように大量の水がベッドの上に流れて、騒然とした水音がエーテルのように静かに室内を満たした。
天井から落ちる水が幾本もの線条に見えて、照明にまぎれるうちにベッドを宙吊りにしているピアノ線との見分けが次第につかなくなった。

空間全体を夏のシャワーのような清涼感が包んでいる。
ふと小学生の頃の夏休みを思い出す。学校のプールに入る前には必ずシャワーを浴びることになっていたものだ。シャワーを浴びて、消毒槽につかる。思えばずいぶんと念入りなことだが、小学校では今でもそうしているのだろうか。
そのうちに夏休みのプールから思いは離れて、いつしか消毒の「毒」という字からアウシュビッツの毒ガス室を連想してしまう。
不穏なことだが、確かにどちらも「浄化」するものかも知れない。何を生かし、何を殺すのか。浄化という言葉には強者の恣意的な選択と暴力が含まれているようだ。そう考えると、消毒といえば聞こえはいいが、結局は人間のご都合で、消されるバイ菌にとってはいい迷惑ということになる。いわんや人間同士においてをや。が、そこにはペシミズムの嫌いがなくもない。
中二階のデッキには作家のデッサンが数点展示されている。そして、どれも核心的な部分は赤い糸でステッチされているように見えた。今回のメインのインスタレーションの原型とおぼしきデッサンも掲げられていたが、天井から落ちる水は、まさに赤い糸で表わされているのだ。
糸というのはこの作家にとって特別なモチーフなのだろう。が、もしこの赤という色が今この場に現れたら、つまり、赤い色の水が天井からベッドの上に絶え間なく流れていたら、いったいこの空間はどうなっていただろうかと考える。言うまでもなく、赤という色からは容易に血液を想像せざるを得ないが・・・。
作家は、展示にあたってベッドの床板をあえて白く塗ったという。
ありえたかも知れないこの空間のもうひとつのイメージ。天井から降り注ぐ大量の血が、ベッドの白を一瞬にして赤く染める瞬間。それは凄惨で悪趣味な光景だろうか。
あるいはその赤は打ち捨てられたシャワーの赤錆かも知れないのだが。
そんなことをぼんやりと考えながらベッドを見ていると、水滴がひとつ不意に眼の中に飛び込んだ。それは、目の前の光景が現実であることを否応なく迫るように思われた。

* * *

塩田千春展-流れる水
会場: 下山芸術の森 発電所美術館
スケジュール: 2009年05月30日 ~ 2009年09月23日
住所: 〒939-0631 富山県下新川郡入善町下山364-1
電話: 0765-78-0621

コメントを残す