ある人のエッセイで、生家である戦前の大阪の商家を回想して、当時は若い働き手を何人も住まわせていたので、朝の味噌汁は飲むものというより、彼らの腹を満たすための食べるものだったと。それが、進学先の東京の下宿先で出された豆腐少々にワカメがひらひら、という具の少ない味噌汁に驚いたという。

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