沖縄の風俗街で働く女の子、に化ける作家。
作家は相手の衣装をつけることで変身する。そして変身した姿を写真に撮らせる。
カメラのシャッターが降りる瞬間、作家が作家でなく、相手の女の子であるとしたら、ボタンを押す女の子はいったい誰なんだろう?
少女は作家に笑顔を見せていたという。でも写真の中の作家は無表情だ。もしかしたら、それが彼女たちの本当の表情なのかも知れないね。もちろん、そうじゃないかも知れないね。そうやってまた虚実皮膜の隙間に落ち込む。

着せ替え人形は無表情だと、ある人が言った。そういえば森村泰昌やシンディ・シャーマンは笑っていたかな?
女の子ごとに割り当てられた部屋。壁に「ローマの休日」のポスター。棚におしりふきシート。
彼女だちは、この小部屋を通して世界を認識する。そのことに疑いが差し挟まれることはない。
ここで働くのは8割が地元の出身、1~2割は九州、その他台湾から。
作家から、二十歳の記念に全身に彫り物を入れた少女の話を聞いた。

いま、アートが風俗を駆逐している。
しかし、アートと風俗は、そんなに排他的なのかな?
猥褻物と芸術作品が必ずしも対立概念ではないように(と思う)、アートであり、風俗であるものがあってもいいんじゃないか。
黄金町の元ちょんの間で、アーティスト・イン・レジデンスとして、これと同じことをやったらどうかな。もちろん誰か女の子と一緒に。
黄金町では今も警官が立哨している。公権力によって守られるアートか。むろん、それだけを取り出してとやかく言うつもりはないけれど。
そんなことをぼんやりと考えながら、この写真作品を見ていた。

お面は他人に変身するためにつけるものだったのに、自分の顔のお面をつける倒錯。あるいは、自分に変身する?
そして自分のお面の増殖と変容。そのひとつは、ぼくの手の中に分有された。

きわめて不親切なプラモデル。彫刻刀と色鉛筆セット付き。

ブルーシートはいつの間にかホームレスの象徴になってしまった。
あのきつい青は、見なくてよければ、見ないで済ませたいもの。
視界の外に追いやられたもの。
例えば、隅田川沿いのマンションは、川に背を向けているものが多いという。
時折、資源ゴミ回収の前の日の夜に、空き缶で満杯の大きな袋を両側に、卵巣のようにくくりつけて走る自転車を見る。あれは、ホームレス?
ホームレスだって、経済システムから完全に外れて生きることはできないはずだ。多かれ少なかれ、システムの中に組み込まれて生きていると考えるのが適当だろう。
ブルーシートのスーツを着た男は、そのことを明るみにしている。

本物と偽物。国家権力によって規定され、権利が保証されるのが本物。
本物と偽物は国家が決める。
なぜルイ・ヴィトンが本物扱いされて、木のバッグが偽物なんだ。
木のバッグは木のバッグとして本物じゃないか。
千円札はなぜ千円なんだ。

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タノタイガ「T+ANONYMOUS」
会場: 現代美術製作所
スケジュール: 2009年03月07日 ~ 2009年03月29日
住所: 〒131-0031 東京都墨田区墨田1-15-3
電話: 03-5630-3216 ファックス: 03-5630-3216

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