会館

今日は特段予定はないので、ゆっくりサウナで過ごそうと思っていた。

ちょうど折よく、タイムズ スパ・レスタから営業時間変更の通知が届いた。朝6時からの早朝営業を開始するとか。これは好都合だ、今日は早々に出かけるかな、と思って、メッセージを読み返すと、なんだ、営業時間変更は2月8日からの話か。

少々がっかりして、結局午前中はだらだらと過ごしてしまった。

昼近くなって出た。桜橋を渡って、裏浅草のほうへ。いつもの散歩道だが、この時間に歩くのは久し振り。

いい天気。川沿いにはずいぶん家族連れの姿が見える。これでコロナがなければのどかな休日である。

緊急事態以前の話だが、夜の散歩の途中、銭湯の後に時々寄っていた飲み屋が、日曜日はランチ営業をしているのを思い出した。

ホットサンドとコーヒーでお昼に。

久し振りにマスターの顔も見たかったが、不在で残念。昼のシフトの女性が気を聞かせて、私の来訪をマスターに伝言してくれた。ランチ営業の日はマスターは夕方から出てくるらしいので、また機会を改めて伺おうと思う。

一葉桜・小松橋通りから金美館通りを歩く。

「眼鏡会館」というのは、やはり眼鏡をした人ばかりが集まるのだろうか。

この散歩道沿いに「〇〇会館」という看板をいくつか見た。「眼鏡会館」のほかにも、「服装ベルト会館」「東京菓子会館」というのもあった。

鶯谷駅で山手線に乗車。

池袋で降りて、タイムズ スパ・レスタに。ほぼ二ヶ月振りだと思う。

入館してロッカールームに向かっていたら、リラクゼーションの受付カウンターから声をかけられた。何度か施術をお願いしたことのあるタイ健式のセラピストだった。彼女もマスク姿なので、誰だったかなと一瞬戸惑う。以前は夜のシフトだと聞いていたが、レスタが夜間営業自体を取りやめているから、昼の時間に入っているらしい。

しかし、いつも施術の時はこちらは館内着姿だが、今は私服姿でニットキャップまで被っている。しかもマスクをしているというのに、よく私だということが分かったと思う。

人それぞれに、目もとが印象的な人、口もとが印象的な人など、顔の中でも目を引く部位はさまざまだと思うが、このご時世で、皆マスクで口を覆っているから、特に口もとが印象的だった人は、その人だと気がつくのに時間がかかる。セラピストの彼女も、どちらかというと口もとの人だろうか。

その伝でいうと、私などは帽子を被れば、顔の特徴のかなりの部分が隠れるのではないかと思っていた(あえて理由は言うまい)。だから、もし外で知り合いに出くわしても、私だと気づかれることはまずあるまい、と思っていたのだけど、案外油断できないかも知れないぞ、と思い直すことにした。

時々サウナ室のドアの前に行列ができる。部屋の中は満員なのだろう。誰かひとりが出てきたら、代わりにひとり入るようにしているらしい。なかなか整然としていて感心する。

浴室から出ようとしたら、スタッフを捕まえて、浴槽のお湯が熱いとクレームをつけている客がいる。余程のぬるま湯好きなのだろう。

現在のところ、レスタの営業時間は20時までだが、浴室・サウナの利用は19時半まで。私もほどほどのところで切り上げた。先程のセラピストに施術をお願いするのも今日はパス。

帰りは来た道を引き返した。つまり、レスタから池袋駅まで歩いて、池袋から山手線で鶯谷に。鶯谷で降りて徒歩で帰宅。歩きながらラジオ寄席の桂宮治さんを聞いた。16,153歩。

春霞

朝刊によると、新型コロナウイルスの抗体保有率は東京で0.91%。百人にひとりも感染していないということになる。この程度の比率なら、先日私が抗体検査を受けて陰性の結果が出たのも、もっともなことだ。

脇見出しに「集団免疫獲得 ほど遠く」とあるが、この書き方では、新型コロナに感染させたいのか、感染させたくないのか、よく分からない。感染対策を徹底すれば、集団免疫の獲得が「ほど遠く」なるのは当然だろう。

集積所に空き缶と段ボールを出す。洗濯機を回している間に、コーヒーを淹れて、久し振りに少し料理らしいことをした。

昼前に外出。厚手のフィールドジャケットはやめて、軽いコートにする。

天気はいいのだけど、遠くのほうが霞んでいる。これが春霞というやつだろうか。

半蔵門へ。国立劇場2月文楽公演の初日。

文楽公演の一座で何人位になるのか。客前に出る技芸員だけでも結構な人数だろうし、それだけの人が大阪からやって来て、足かけ三週間も東京に滞在する。このご時世、ずいぶん気をつかうことだろうと思う。

大相撲では大阪場所が東京での開催に変更された。単純に比べられないだろうが、文楽は別の道を取ったということか。

今日は13:50開演の第二部を観劇。開場時刻よりずいぶん前に着いてしまったので、まずは前栽の梅を見る。

梅は少し早かったようだ。この2月公演の間に見頃になっていくだろう。

まだ時間があるので、国立演芸場に回って、演芸資料展示室の見世物の展示を見た。国立劇場を最高裁判所側から反対側に抜けるのは初めて。

なかなか面白い。幕末に民間人の海外渡航が認められるようになって、初めての渡航者が見世物の一団だったという。当時すでに見世物興行の国際市場が存在していて、開国早々に日本もその興行ネットワークに組み込まれるのは興味深い。

第二部は「曲輪文章」(くるわぶんしょう、本当はぶんしょうは文と章で一文字)と「菅原伝授手習鑑」の寺入りの段と寺子屋の段。

第二部の終演後、一旦半蔵門駅に戻り、駅上のカフェで休憩後、今度は国立演芸場に。

「ちよだ猫まつり2021」の配信プログラムの中に、「猫落語」として春風亭百栄師の名前が見える。ちょっと気になる。

花形演芸会を見に来た。目当てはトリの桂佐ん吉さん。

帰りは永田町から半蔵門線に乗った。程なく車内に電話のベルの音が響いて、男の話し声が聞こえてきた。私と同じ列に座っているらしい。

曳舟で私が降りるまでの間、その男は、ほぼ途切れなく電話で喋っていた。他に喋っている乗客はいないから、男の声が自然と耳に入ってくる。今日これから飲みたいが開いている店はあるか、というようなことを電話の相手に尋ねていた。時刻はすでに夜8時を回っでいる。

帰宅後はそのまま在宅。7,375歩。

梅に目白

洗濯機を回してゴミ出し、その足でコンビニへ。

これまでゴミを出していた集積所がもうすぐ使えなくなる件で、お向かいさんが今後のゴミ収集について教えてくれた。ゴミは自宅の玄関前に置くことになるらしい。ただし、清掃事務所に電話して収集を依頼する必要があるとのこと。てっきり、近所の別の集積所に持っていくことになるのかと思っていた。

そう言われてみると、玄関前にゴミを置いている家をちらほら見かける。最近はそういう流儀なのだろうか。

昼間抜け出して、百花園近くのパン屋に。念のため出掛ける前に金曜日は営業日であることを確認。

公園の梅の枝に鶯色の小鳥が止まっていた。写真を撮るタイミングは逸した。

梅に鶯とは風流だなと思って、念のため調べると、あの鶯色の小鳥はウグイスではなくメジロらしい。梅に目白だったのか。

百花園は臨時休園で入れない。せめて塀越しに梅の木を眺める。

路地に猫が飛び出して車に轢かれそうになった。居合わせた女性が猫を叱っていた。

ついでに紙コップのコーヒーを買って帰る。この店に入るのは初めて。

帰宅してハンバーガーとコーヒーでお昼にした。

夕刻、所用を済ませてから、だらだらしていたら遅くなった。夜の散歩に。桜橋を渡って、山谷掘公園を歩くルート。

山谷掘公園から千束通りに入って、あまり時間もないので、いつもの銭湯に。

変わり湯は、はっさく湯だった。はっさくの厚い皮がネットに入ってお湯に浮かんでいる。ゆず湯やレモン湯はあったが、はっさく湯というのには初めて入ったように思う。

一葉桜・小松橋通りを歩いて帰る。10,928歩。

秋葉様

昨夜はせっかく鍼を打ってもらったのだから、早寝すればよかったのに、結局だらだらと遅くまで起きていた。それでも、いつもより寝覚めがすっきりしているのは、やはり鍼の効果だろうか。

コンビニに朝飯を買いに出た。

先日から解体していた建物の跡がすっかり更地になっている。

この建物の一角にあったゴミ集積所が、もうすぐ使えなくなるらしい。これからどこにゴミを出せばいいのか、よく分からない。今度からゴミはここに置きなさい、とはっきりした指示を出してくれればいいのに。

昼間抜け出す。

どこかの家の梅の花がかぐわしい。

昼は二階の食堂の焼魚弁当。魚は鯖。魚の種類はその日の仕入れによって変わるらしい。

夜の散歩に。桜橋を渡って、いつもの一葉桜・小松橋通りから一本浅草寄りの路地を歩いてみた。

金美館通りを左折して左衛門橋通りに入った。このあたりの通りの名前はどこもいわくありげである。

今日は秋葉神社まで行ってみようと思う。近所の向島にも同名の神社があるが、この台東区の秋葉神社は、もとは今の秋葉原駅の近くにあって、そもそも秋葉原という地名はこの社名から来ていると、何かで読んだことがある。 

ところで、落語の「牛ほめ」の中に、柱の節穴に秋葉様のお札を貼ると穴が隠れて火の用心になる、というくだりがあるが、この秋葉様というのは、どこの神社なのだろうと思っていた。

台東区の秋葉神社が、地名の由来になるくらい由緒のある神社なら、落語の中の秋葉様と何か関係があるかと知れない、と思って出かけた。

秋葉神社に着いた。神社のほうでも秋葉原の語源というのを売りにしているようだ。

鳥居の脇の由緒書きを読むと、明治初年に東京に火災が頻発したのがきっかけで創建されたとある。え、そんなに新しいの?

ということは、秋葉原という地名も明治以降のものなのか。

どうやら落語の中の秋葉様は、この秋葉神社ではなさそうだ。

裏手から神社を出て、浅草方向に路地を歩いた。

材木が積んである。

やはり銭湯だった。惹かれるが今夜のところは失礼。

ずんずん歩くとかっぱ橋通りに出た。

言問通りから千束通りに入って、いつもの銭湯まで戻ってきた。

銭湯の看板の前で、サウナハットを被った三人組が記念写真を撮っている。

好ましからざる連中だな、という目をして入った。自分がまるで近所の常連客のような気になって彼らを見ていることが、われながら可笑しい。私だって、この銭湯に通うようになって、まだ一年も経っていないのに。本物の近所の常連客が見れば、私も彼らと同類だろう。

サウナー気取りが帰った後の水風呂をゆったりと楽しんだ。14,693歩。

さて、帰宅してから、秋葉様のことが気になって少し調べた。

手許の矢野誠一編の『落語手帖』を開くと、「牛ほめ」の項目に「秋葉さまのお札は、防火の神様といわれる秋葉大権現のもの。(略)江戸は隅田川沿岸の多田薬師堂隣と亀戸にあった」と書かれている。なんだ、億劫がらずに先に読んでおけばよかった。

多田薬師堂は南本所番場町、今の東駒形にあったようだ。が、ネットで見られる江戸切絵図を見ても、多田薬師の隣にそれらしい寺社は見当たらない。私が見落としているだけかな。ちなみに、多田薬師こと東江寺は関東大震災で焼かれて葛飾区に移ったらしいから、本所に応時の名残を探すのも期待薄そうである(が、今度行ってみよう)。

そして亀戸。どうもはっきりしないのだが、ネット情報と総合すると、本書で亀戸と書かれているのが、向島のほうの秋葉神社のことらしい。

しかし、向島の秋葉神社の由緒書きを見ても、亀戸から現在地に移ってきたという記述はない。亀戸と向島は、遠くはないけど、近くもない。場所を混同するかなあ。それとも、亀戸という地名の指す範囲が今と違っていたのか。

かつてはこのあたりを請地と言ったという。請地の秋葉神社は、現在よりずっと広い社地を有して、多くの参拝客を集めて賑わっていたらしい。今の静かな佇まいからは、にわかに信じがたい。

落語の中の秋葉様が、近所の秋葉神社だったかも知れないと思うと、去年の祭礼の時にいただいてきた火伏せのお札が、ぐっと有難味を増す。

陰性

今日は巣ごもりから抜け出して、朝は駅で春菊天そば。いちいち写真は撮りません。

昼はコーヒーにベーグル。ひとつでは足りなさそうなのでもうひとつ追加。これで昼飯にする。

栄養のバランスが偏りそうということで、店のスタッフの人が私物の青汁を出してくれた。有難くいただく。

夕刻、歩いて錦糸町へ。

ちょっと頭が痛い。所用の時間までモスバーガーで休憩。

所用を済ませた後、鍼を打ってもらうことになった。鍼はこれまで二回打ってもらったことがあるが、今日施術してくれるのは初めての人。時間も前二回は30分ずつだったのが、今回は60分。

まず仰向けの姿勢からスタート。この姿勢で打ってもらうのも初めて。そしてまず脈診から入る。続いてこめかみや目の周りに鍼が刺さる。

鍼灸師さんによって施術のやり方も違うものだと思う。鍼の打ち方も、打ちっぱなしではなく、打ったり抜いたりや、軽く皮膚を刺激するような打ち方もする。

初めてお灸も据えてもらった。とはいえ、うつ伏せの時だったから、現物を見たわけじゃない。あ、火がついたのかな、という感覚があって、その程度。いつの間にか据えられて、いつの間にか終わっていた。

今夜はよく眠れるよ、と言われながら帰宅。

この時間まで(と言っても、平常時なら夜はこれからという時間だが)錦糸町にいるのも久し振り。通りの飲食店の明かりは消えて、オリナスもすっかりシャッター街になっている。

念のため、鍼を打った穴からお湯が入ることはないと思うけど、お風呂は省略。8,049歩。

先週金曜の人間ドックで、追加料金を払って、オプションメニューの新型コロナウイルスの抗体検査というのを受けた。新型コロナ関係の検査はこれが初めて。

もっとも、抗体検査で判るのは過去の感染の有無で、よく聞くPCR検査と違って、検査の時点でウイルスに感染しているかどうかは判らないらしい。

私自身は、去年の春に新型コロナが騒がれるようになってから、少し熱っぽいとか風邪気味くらいはあったかも知れないが、明らかに新型コロナ感染が疑わしい症状があったことはない。

それでも、感染しても無症状ということがあるかも知れないし、コロナ禍以後の自分の生活スタイルを省みるのにいい機会ではないかと思った。

帰宅したら、その時の抗体検査の結果報告書が届いていた。

結果は陰性。

少し身構えていたから、拍子抜けしたと言うのも可笑しいけど、まあ、こんなものなんだろうな。

コロナ禍以後、私は必ずしも家の中に閉じこもっていたわけではなく、それなりに出歩いていたから、感染の機会もゼロではないだろうと思っていた。一方で、対面で人と話し込んだり、酒食を共にする機会は可能な限り避けていた。人付き合いを避けていたと言ってもいい。その点では、新型コロナに対して用心深いほうだろうと思う。

結果陰性だったということは、今のような生活スタイルを続けていれば、新型コロナ感染症に罹る可能性は、そう高くはないのだろうと思うことにした。

人の振り見て我が振り直せ

雨音で目を覚ました。朝から本降りも久し振りだと思う。コンビニに行くのはやめにして、朝飯も省略。燃えるゴミを出そうと玄関を開けたら、やはりゴミ出しから戻ってきたお向かいさんと顔を合わせた。

午前のうちに雨は上がっていたようだ。昼間抜け出す。

昼はどこにしようかと考えながら地蔵坂通りを歩いていたら、水戸街道近くのパン屋が開いていた。たまにはここのパンもいいね。

コッペパンに惣菜を挟んだ調理パンがひとつ100円。食べでのある大きさでこの値段は安いよねえ。ポテトサラダとメンチカツを選んで、この二つだけでも十分だけど、それだと200円でしょう。なんだか悪い気がして、隣のクリームパンも入れてもらった。ひとつ160円で、こちらのほうが単価が高い。計360円(税込)。

うちに帰ってクリームパンを食べたら、桜色のこしあんのような具だった。あるいはそれをクリームと言っているのかな。大きいし、あんは詰まっているしで、お腹いっぱい。

お店に出ていたおばあさんは、ずいぶんご年配だと思うけど、どうぞお元気で。

夕刻、所用。今年は節分が2月2日というのを言われるまで知らなかった。

夜の散歩に。隅田川テラスから白鬚橋を渡って、汐入公園に向かうルート。少し風が出ているが、歩いているうちに寒さは気にならなくなってきた。

千住汐入大橋のたもとまで足を伸ばして、公園の中を通って隅田川に戻った。

橋場不動尊の並びの建物が取り壊されていた。多分小さな工場か何かだったと思うけど、残念。理由は書き出すと長くなりそうだから省略。

橋場から日本堤に向かって歩いて、湯どんぶり栄湯に。もう仮名で書くのはいいや。

いつも銭湯やサウナでの若い客のマナーをあれこれ言っていますが、必ずしも若者ばかりを目の敵にしているわけじゃない。

中年の小太りの(自分のことは棚に上げる)二人連れが気に障った。露天のフロアで延々と何を話しているのかと思うと、○○(地名)の△△湯はああだ、✕✕湯はこうだ、と銭湯の月旦をしている。訳知り顔のわりに露天では会話を控えようというマナーには思いが至らないんだな。しかも片割れは背中に石鹸の泡をつけたまま湯に浸かったよ。

むろん、人の振り見て我が振り直せ、です。肝に銘じよう。

15,221歩。一万歩程度にしておこうと思ったのに、案外歩いてしまった。

誕生月

今朝は全然早く起きられなかった。コンビニに行くのもパス。朝飯は省略。

相変わらずの巣ごもりだが、朝の調子を引きずってなかなかエンジンがかからない。

お弁当を買おうと肉屋に来たら、小銭入れを忘れた。持ってきたショルダーバッグにお札は入っているから、550円のお弁当を買うには十分だけど、別途3円のビニール袋を買う小銭がない。バッグの中に10円玉でも転がっていないかと探すも見当たらない。細かいお釣りをもらうのも悪くて、片手にお弁当を持ったまま自転車に乗って帰る。まあ近いから許してください。

お弁当はしょうが焼き。

夕刻、本所のかかりつけ医に自転車で。

途中、水戸街道と言問通りの交差点で交通事故の検分をしている現場に出くわした。左折して水戸街道に入ってきたバンに自転車が巻き込まれたようだ。バンの下に自転車が倒れていて、自転車に乗っていたらしい人がストレッチャーで救急車に運びこまれるところを見た。

急に自転車の乗り方が慎重になる。

応診時間ぎりぎりになってしまったが、月いちの診察。金曜日に受けた人間ドックの中間結果を先生に見せる。どの項目も概して数値が改善しているので、どうだ、という感じ。とはいえ、今の薬を続けることになった。まあ、この結果をどれだけ続けられるかだな。処方箋をもらって薬局に寄って帰る。

水戸街道は先程の事故の現場で少し渋滞しているようだ。

今日はこのまま在宅して早寝。1,160歩。自転車でしか移動してないから、仕方ないね。

2月は私の誕生月。早速バースデーカードが届いていた。楽天地スパからだけど。

野心

目が覚めたら8時前。辛うじて空き缶を出せた。しかし寒さと睡魔に勝てず二度寝。

洗濯物を干して灯油を買いに行く。

水戸街道と明治通りの交差点そばの、もと三菱UFJ銀行の建物で何か作業をしている。壊すのかな。建物の解体を最近よく見る気がする。

ガソリンスタンドで灯油を買って一旦帰宅し、すぐに出直す。

駅に向かっていたら、近くの隅田川高校の女子生徒の集団の後について歩く格好になった。全員がバックパックを背負っている。そうか、高校生の通学かばんは今はバックパックなんだな。そう思って、駅で出くわす高校生たちの背中を見ると、男女とも皆バックパックのようである。

さあ、私は高校時代どんな通学かばんを使っていたか、にわかに思い出せない。少なくともバックパックではなかった。ただし、当時はバックパックではなく、リュックサックと言っていたが。リュックサックがバックパックになったのは、いつ頃だったろうか?

かく言う私も、仕事用のバッグは、ここ何年も背中にかけられるタイプにしている。普段は縦にして背中にかけて出歩き、ちょっと人前に出る時などは横にして手に提げて持つ。コロナ以後、このバッグを使う機会もぐっと減ったけれど。

コロナ以後よく目にするようになったバックパックといえば、何といっても、ウーバーイーツなどのデリバリーの人が背中にかけている大きなバッグだろう。

駅ナカのベーカリーカフェで軽く朝昼兼用を済ませて、電車に乗った。清澄白河へ。

資料館通りを歩いて東京都現代美術館に。思えばここに来るのもコロナ以後初かも知れない。

まず「石岡瑛子 血が、汗が、浪だがデザインできるか」展から。

結構お客が入っていて驚く。若い客もいるが、比較的年配の客も多いのは、この美術館では珍しい光景ではないか。資生堂の前田美波里のポスターを前に、美波里ちゃんでしょ、などと言い合っている年長の女性二人組がいた。同時代にパルコの仕事を見てきた客も多いことだろう。

展示室内に石岡瑛子のインタビュー音声が流れている。ほとんどの展示室で彼女の声が聞こえていたのではないか。まるで常に本人がそこにいて客を鼓舞しているようである。

しかし、この時期にこれだけの客を集めるというのは、デザインというのは大衆と関わる仕事なんだなと思う。一方で、石岡瑛子が1980年代初頭に日本を離れたということの意味も考えてみたくなる。

後年に彼女が手掛けた映画や舞台の仕事は、グラフィックデザイナーという枠では到底語れないし、正直、壮大すぎて私にはついていけないところがある。

また、グラフィックデザインという平面の仕事をしてきた人が、衣装や舞台美術といった立体の仕事に容易に対応できるとも思えない。

こう言うと作家の仕事を矮小化するようだけれど、時代と環境に恵まれた人だったとは思う。その恵まれた条件を存分に活かして、貪欲に自分を大きくしようとした人なんだろうなと思った。その意志の強さは凡人には及びつかない。

北京オリンピックでの自身の仕事を振り返って、「クリエーターとしての野心は20%も実現できなかった」という言葉がキャプションに引用されていた。この「野心」というものを、晩年まで抱き続けた人だったんだろうという感がある。

この野心を育み、世界に向かって発露させた時代と時代の精神を辿る、今回の展示は、まさに「えこの一代記」だった。

続いて「MOT ANUUUAL 2020 透明な力たち」展に。

私好みの展示で楽しかった。

帰りは電車に乗らず歩いて帰宅した。都現美から家まで歩くのは初めてかな?

1時間余りで歩けた。案外歩けるものだと思う。15,119歩。今日はこのまま在宅。

叫び

今日は人間ドックの日。まずまず起き出した。当然朝飯は省略。出がけにゴミ出し。

行き先の都合上、京成曳舟から電車に乗る。通り慣れたはずの道も時間帯が違えば新鮮に見える。ご近所の知り合いを見かけたので挨拶。なんだか気分がいい。

駅まで来たところで健康保険証と診察券を忘れてきたことに気づいた。まるでサザエさんみたいである。このところ、あるいはずっとそうなのかも知れないが、どこか抜けている。

ともあれ指定の時間前に到着。保険証等は忘れても何とかなりそうで安心。

いつもなら待合室や検査フロアの廊下に置かれている新聞雑誌が見当たらない。目立たないところにかためて置かれていた。腹部超音波検査でお腹に塗られるゼリーが温かかった。

検査は順調に捗って、午前中にはすべて終了してしまった。病院のレストランで昼飯を食べた。

思いの外早く出られた。天気はいいし、歩いて竹橋へ。

何か訴えかけるような口調の声が聞こえてきた。ところどころに区長選のポスターが掲示してあるのを見ていたので、選挙の街宣かなと思ったら、公園の前に大きなキャリーバッグを持った女性が立っていて、誰かに盗聴されているがそれが誰かは分かっている、というようなことをひとりで延々と叫び続けているのだった。

東京国立近代美術館の「眠り」展に。

森村泰昌氏の「なにものかへのレクイエム」で、映像の終盤でカメラはのどかな公園の様子を写すが、公園に集う人々は誰も森村=「三島」に関心を払う様子はない。この場面を指して、キャプションの説明文は「政治に無関心な市民への痛烈な皮肉と言えよう」と結んでいるが、私には同時に「芸術に無関心な市民への痛烈な皮肉」でもあろうと思えたが、いずれにせよ、芸術家の声に耳を傾ける市民はいない。美術館への行きがけに見かけた女性の叫びを、聞いて聞かぬふりをして通り過ぎるように。

16時に美術館を出て、九段下方向に歩いた。

そうか、早稲田通りというのは、九段から発しているのか。通りの途中区間は長年折に触れて行ったり来たりしているが、起点というのは考えたことがなかった。

早稲田通りを飯田橋へ。外堀通りに入り、市ヶ谷方向に向かう途中で折れて、逢坂という勾配のきつい坂を上った。坂の途中にアンスティテュ・フランセへの入口がある。フランス語を話す母子連れたちを追い越した。

√K Contemporaryというギャラリーには初めて来た。聞くと、去年の三月に開廊したのだとか。

梅津庸一氏の監修になる「絵画の見かた reprise」という展示を見に来た。受付で美術手帖の2020年12月号を購入。昨晩ネット書店を見たら、本号はどこも売り切れで、古書にずいぶん高い値段がついているので驚いた。

ギャラリーを出て、高級そうな住宅街をうねうねと歩いたら神楽坂に出た。

飯田橋から総武線で錦糸町へ。楽天地スパに入館。

休憩室の椅子に座ったら、程なく眠気が襲ってきた。

11時頃に退館して帰宅。19,345歩。

12日目

今日もコンビニまで朝飯を買いに。

近所の建物がすっかり取り壊された。更地までもうすぐか。

昼間抜け出した。今にも雨が降りそうな空である。今日も昼飯は持ち帰りにすることにして、百花園近くのパン屋に行ってみた。

なんと木曜は定休日だった。よく調べなかったこちらが悪いのだが。なになに、営業日は火・水・金・土か。今度は間違って来ないように、ここに覚え書きしておこう。

では昼飯はどうするかと考えていると、お弁当と書かれたのぼりが目に入った。地蔵坂から少し入ったところにある肉屋さんである。ここではずいぶん前に一度か二度、肉を買ったことはあるけれど、お弁当をやっているとは知らなかった。

からあげ弁当を注文すると、油を温めて目の前でからあげを揚げてくれた。店先で少々待つが、この程度の時間は気にならないし、むしろ有難い。

お弁当を待っている間に雨が降ってきた。せっかくの揚げたてが冷めないよう寄り道せず帰宅。

からあげの下に敷かれたたっぷりのキャベツが嬉しい。

夕刊を取りに出たら、向かいの車のフードがうっすらと雪化粧していた。

夕刻、ちょっとばたばたしたが、所用を済ませて、買い物に。出来合いで早々に晩飯を済ませた。雨でもあるし、夜の散歩その他は省略。

3,449歩。連続1万歩が12日目で途切れたが、仕方ない。11日間続けて外を歩くなんて、この時期の日本海側だと有り得ないだろう。