教育的配慮

昨日の雨が上がって幸い。この後天気予報どおりに晴れてくれればいいのだが。

朝は持ち帰りサンドイッチ。

日中、しばらく外にいると寒さで身体が芯から冷える。残念ながら予報のような好天にはならなかったが、昨日の天気を思えば、雨が上がっただけでもよかったと思うことにしよう。

昼はしらす丼とうどんのセット。

夕刻、バスで錦糸町に移動して所用。その後、諸事情で某所。

銭湯に。ここは昔ながらの構えのわりに、一見ふうの若い客が多い。駅からそう近いわけでもないのに、近所に寮か宿泊施設でもあるのかな。露天風呂では、若い二人客が、湯船の縁に腰かけておしゃべりしている。私も露天風呂に入りたいが、二人きりの話の腰を折るのも悪いと思って、しばらく様子を見ていた。

それにしても話が長い。思い切って二人の隣でお湯に浸かって、おしゃべりも程々にしなさいよと、無言の圧力をかけた。それでも二人は話をやめない。妻(?)の作るスパゲッティーが不味いとか、どうでもいい話を延々と続けている。

むろん、銭湯の中だから、二人はマスクを着けずにしゃべっている。周知のように、若者は新型コロナウイルスに感染しても発症しない場合も多いという。露天なのでまだいいが、無防備でおしゃべりする若者と隣り合わせるのは、本当は避けたいところだ。

そのうち、私の教育的配慮が効いたか、ついに二人は上がっていった。

ちなみに、私が普段使いしている銭湯は、中高年の常連客が多い。やはり周知のように、高齢者は新型コロナウイルスに感染すると重症化する危険性が高いと言われている。ということは、逆に考えて、ピンピンしている高齢者は、新型コロナウイルスに感染していない可能性が高いと言えるのではないか。元気な年寄りの多い銭湯は安心できる(個人の見解です)。

晩飯を食べるタイミングを逸したので、軽く飲み食いして帰りたいが、このご時世、午後10時を過ぎると、大抵の飲食店は暖簾を下ろしている。

曳舟まで戻って駅前で適当なものを買って帰った。16,023歩。

サンクチュアリ

朝の散歩に。少し早く起き出せた。隅田川の左岸を歩く。

白鬚橋を渡って荒川区側に入った。明るい時間にこのあたりを歩くのは久し振りかも知れない。荒川区側の白髭橋に近いあたりの川岸は水鳥のサンクチュアリになっている。

汐入公園に注意書きが出ていた。「ワルナスビ」とは身も蓋もない名前で、名付けられたほうも可哀想だと思ったが、棘があるだけでなく、実には毒を持っており、根絶やしにするのも大変で、実際手に負えない植物らしい。

桜の花が咲いている。コブクザクラ(子福桜)といって、秋から春にかけて咲く種類だとか。

このブルーシートの竪穴式住居の集落跡みたいな場所は、バーベキュー広場だったのか。前にここを通りかかった時は夜中だったから、てっきり中に人が住んでいるのかと思っていた。

散歩から戻って、日中は巣ごもり。暗くなってから再び外出。高田馬場へ。

用事を済ませて、晩飯。早稲田通りに面した定食屋に入る。ここは私の大学時代から営業している店で、当時は開店したばかりだった。お互い生き残って喜ばしい限り。日替わり定食にした。ハムエッグにカツ、マグロ納豆が付いてきて食べでがある。これで780円。

ハムエッグはご飯の上に乗せた。醤油を垂らしてわしわしと食う。

せっかく馬場まで来たので少し飲みたい気もしたが、瓶ビール一本にしておく。閉店間際の芳林堂を冷かしてから帰宅。14,115歩。

人生ゲーム

朝は昨夜買ったパンを家で食べる。

ゴミの日。集積場にすすきの穂を差して行った人がいる。12月に入って、晩秋の気配もゴミと一緒に捨てたか。

昼は鶏塩ラーメン。その後コーヒー。

夕刻、バスで錦糸町に。所用。化膿性汗腺炎の話を聞くなど。

オリナスの100円ショップ、続いてパルコで買い物少々。

曳舟のヨーカドーに。今朝の折り込みチラシに載っていたイトーヨーカドー100周年記念刻印付きマスクを購入。

久し振りにヨーカドーアプリを立ち上げたら、パスワードの再入力を求められるも思い出せずリセット。店頭でパスワード再登録に難渋。

人生ゲームは迷ったが購入せず。イトーヨーカドー創業以来の歴史がマスに記された下敷き(ゲームのルートを拡張できるそう)がおまけに付いてくるということだが、もっとマニアックな内容だったら買ってたな。

帰宅して今夜はこのまま在宅。夜の散歩並びに銭湯は省略。8,856歩。

ぺニス

家を出てしばらくしてから、マスクを着けていないことに気づいた。道理ですれ違う子供たちの視線を感じたわけだ。まだ取りに戻れない距離じゃないけど、こんな時のためにカバンに控えのマスクを入れているのを使うことにする。どうです、用意周到でしょう。本当に用意周到な人は忘れたりしないとは思うけど。

朝は持ち帰りサンドイッチ。昼はソースチキンカツ丼というもの。

帰宅後、散歩に。いつもより早い。

夜の散歩では大抵閉まっている小さなパン屋さんが開いていた。最後に残った一斤の食パンを私が買った。すぐ後に入ってきたお客さんには申し訳ない。

千束通りの喫茶店、デンキヤホールで休憩。オムマキとコーヒーを注文。オムマキというのは、焼きそばを薄焼き卵で巻いた、つまりオムライスの中身が焼きそばに変わったもの。これがなかなか旨い。焼きそばの麺にコシがあって歯触りがいい。そして、あつあつの焼きそばを卵でくるんであるから、中身が冷めにくい。このスタイルにはちゃんと理由があるんだ。オムマキに添えて、七味唐辛子二種と、黒七味と一味の計四種の唐辛子が付いてくるのも浅草らしい。

店内のBGMは古い洋楽。そのうち、軽快なロックンロールのリズムに乗せて、ぺニス、ぺニスと連呼する曲が流れてきた。こんな直球のド下ネタを、屈託なく陽気に歌うのに感心したが、よくよく調べてみると、その曲はバディー・ホリーの「ペギー・スー(Peggy Sue)」だった。

一度そう分かってしまうと、あれだけぺニスと聞こえていたフレーズがPeggy Sueとしか聞こえなくなるのは不思議である。

英語のpenisの発音をカタカナで書けば、ぺニスではなく、ピーナスが近い。英語話者ならPeggy Sueをpenisに聞き間違えることはないだろう。ちなみにvaginaはヴァジャイナであった。

馴染みの銭湯に。変わり湯はゆず湯。浴室に文庫本を持ち込んでいる人がいた。サウナの中で読もうというのだろう。何の本かなと覗いたら、トム・クランシーの『合衆国崩壊』だった。

一万歩を超したので始めた。まず生ビールに、ピリ辛ごぼう山椒。生ハイボールに替えて続ける。締めにポテサラサンド。

10時前に退店。16,361歩。

タイムマシン

いつか京都のどこかのお寺で見たような鮮烈な紅葉に浸りたいと思った。先週川村記念美術館の庭園でもいくらか紅葉は見たけれど、あれでは物足りない。

もうずいぶん前の記憶だけど、小石川植物園で見た紅葉がきれいだったような気がする。そんなわけで、紅葉を見に向島から歩いて小石川までやってきた次第。

結果を言うと、小石川植物園では期待していたようなきれいな紅葉は見られなかった。モミジの木は思っていたほど多くなかったし、訪れた時期も多少遅かったようだ。そうなると、記憶の片隅に残っていた紅葉は、どこか別の場所と勘違いしていたのだろうか。

残念ながら、視界を覆う程の鮮烈な紅葉に浸ることはできなかったけれど、晩秋の気配は堪能した。

小石川といえば、大学時代に4年間を過ごした学生寮が小石川三丁目にあって、植物園からもそう遠くないはずである。はず、というのは、若い頃の私は近所を歩いて草木を愛でるような趣味がなかったので、大学時代に小石川植物園に行ったことはなかった。もったいないことだと思う。もし、当時の私が小石川近辺の文物にもっと興味を持っていれば、今に至る人生も少し違っていたのではないかと思う。

そこで、小石川植物園から、その学生寮まで歩いてみることにした。退寮してから訪れるのは初めてだと思う。なんとかたどり着いたが、当時にしてすでにおんぼろだった寮の建物は、完全に建て替わっていたし、周りの家並みを見ても特に思い出すものはない。辛うじて、坂の多い地形にかすかな記憶が残っていた程度。

伝通院はさすがに同じ場所にあったが、当時はほとんど境内に入ったことがなかったので、何か別のお寺を見るようである。こんな立派な門はなかったと思うし、もっと薄暗い印象があった。

ただ、伝通院の門前にある、日本指圧専門学校の建物は昔のまま残っていた。満面の笑みで両親指を突き出す浪越徳治郎の銅像からは、「指圧の心は母心」という声が聞こえてきそうであった。

夕方錦糸町で所用があったので、伝通院前から都バスに乗った。春日通りを本郷から湯島、上野広小路と進むバスの経路は、思えば先日金翁さんで聞いた「ねぎまの殿様」の殿様が、向島に雪見に向かう時の経路と同じである。もっとも、噺の殿様は上野広小路の煮売屋の屋台でねぎまで一杯やっていい気分になって、結局向島には行かなかったけど。

うとうとしているうちに錦糸町が近い。太平三丁目のバス停で降りた。大学時代の記憶を辿り、江戸時代に思いを馳せた後で、いきなりオリナスが目の前に現れると、頭がくらくらするようである。まるでタイムマシンに乗って錦糸町に戻ってきたようだ。

所用の後は、財布を忘れてお金もないのでまっすぐ帰宅。ずいぶん歩いてくたびれた。27,030歩。

散歩

空き缶を出して洗濯二回。9時半過ぎに家を出て、薬を飲むのを忘れたのに気づいて一旦引き返す。

散歩に。まずはいつものルートに入る。秋の気配が濃い。

隅田川を桜橋で渡って待乳山聖天あたり。ここにこんな喫茶店があったのか、という店にいくつか出くわす。前にGoogleマップを参考に喫茶店を探したことがあったけど、どれも気がつかなかった。何も考えずに歩くほうが発見がある。時間のせいもあるだろう。その時はもう日が暮れていたから。昼間だけ営業する喫茶店は多い。週末しか開けないという店もあった。その逆もあることだろう。

そんな喫茶店のひとつに入ってみようかと思って、カバンの中をまさぐったのだが、財布がない。平日用のカバンから移すのを忘れたか。幸いパスモとクイックペイは持って出たので、チェーン店での買い物には困らないのだが、この手の個人店は電子マネーが使えないことも多いだろう。仕方がない。

千束を越えて金美館通りに入る。このあたりもまだ馴染みの散歩道。

神社の境内のいちょうが美しい。

鶯谷を歩いていて、古そうな屋敷が残っているなと路地の奥に入っていったら、陸奥宗光の旧邸とか。

こんな歓楽街に神社の標柱が建っている。この中に神社があるのだろうか。

入ってみたら、なかなか立派な神社があった。由緒書きを見ると、金杉村の氏神様とある。散歩していて金杉通りという通りがあったけれど、そうか、村の名前から取った名前なのか。どうやら古くはこのあたり一帯を金杉村と言ったらしい。

鶯谷駅前のドトールで休憩後、言問通りを山手線の内側に入る。このあたりは上野側から芸大美術館の脇を過ぎて来ることはあるけれど、鶯谷から歩いて来るのは初めて。

スカイザバスハウスで宮島達男の展示をしているというので覗いていこうと思っていたが、まだ営業時間前だったので、またの機会に。

さんさき坂の途中にある全生庵に寄った。落語好きには言わずもがなの三遊亭円朝の墓所のある寺。以前ここで派手に円朝まつりをやっていた時に訪れたことがあるが、あの混雑が幻のように人影はない。

円朝の墓石に記された「三遊亭円朝無舌居士」の文字は山岡鉄舟の筆によるものという。しかし鉄舟の没年は明治21年で円朝は明治33年。ということは円朝は自分が没する10年以上も前に自分の戒名を決めて、生前の鉄舟に揮毫を依頼していたということになるのだろうか。

千駄木の駅を過ぎて団子坂を上った。森鴎外記念館の立派な建物を横目に歩くと、フリュウギャラリーがあった。前はもっと坂の下のほうにあったように思うけれど、記憶違いだろうか。

もう10年以上前になるが、この画廊主とは一度話したことがある。確かギャラリーをこれから始めようという頃か、始めてすぐという頃だった。アサヒ・アートスクエアでのAAF学校の席だったと思う。今ではどんな方だったか、半分思い出せないけれど。もっともマスクをしていれば余計に顔は分からないだろう。

この通りには、大観音通りという名前があるようだ。してみると、どこかに大観音があるのだろうか。

ちょっと不思議な形の建物に惹かれて立ち寄ったら、そこが大観音だった。

境内では母親が幼子を遊ばせていた。休日らしいいい眺めだった。

この界隈はお寺が多い。

白山上の交差点まで来た。東洋大学が近い。この坂を下って白山下に、そして北陸銀行のあるビルを横目に、白山通りを渡って、蓮華寺坂に入る。

とりあえずの目的地(散歩に目的地という言葉は相応しくないだろうが)、小石川植物園に着いた。途中で寄り道したり休憩したりしていたら、家から3時間余りもかかってしまった。

延期

昨夜は早寝してよく寝た。そこそこ早く起き出したのに、結局出掛けるのは普段とそう変わらない時間になってしまうのは何故だろう。

朝飯代わりに柿を食べた。ゴミ出し。駅から歩く道を少し変えてみるなど。コンビニコーヒー。

昼はハヤシライス。河岸を変えてコーヒー。

夕刻、所用の予定があるのを忘れていた。バスで錦糸町へ移動するも遅刻。

バースデーケーキのご相伴に与る。

楽天地スパへ。一昨日インフルエンザの予防接種を打ってから入浴を控えていたが、そろそろ解禁しようと思う。本当は昨日のいい風呂の日に来たかったけれど、やむを得ない。

今回初めてインフルエンザの予防接種を受けることになったが、これは、もし発熱等の症状が出た時に、原因の切り分けをしやすくするためと理解している。もしも新型コロナウイルスが猖獗を極めていなかったら、きっとこの冬もインフルエンザの予防接種は受けなかったことだろう。おかげで私のいい風呂の日は一日延期になってしまった。こんなところにもコロナ禍の影響があるとは言える。

晩飯は楽天地スパの味噌ラーメン。何気に好物。

結局用心してサウナと水風呂には入らず、もっぱら炭酸風呂に入っていた。7,186歩。

靄と霧

空に薄く靄がかかったような天気。朝の光が靄を透かして街を少しだけ幻想的に見せる。

駅のホームから靄の向こうのスカイツリーを見ていたら、霧の影響で電車が遅れていると構内放送が伝えた。このあたりは靄で済んでいるが、電車を動かせない程の霧が出ている地域もあるのだろう。そういえば、子供の頃、関東に旅行に来て、車窓から見た朝の霧の濃さに驚いたことがある。確か筑波の科学万博に行った時ではなかったか。

ホームに通勤客が溜まってきた。そのうち電車が到着して約10分遅れで発車。

しかし、電車遅延で済んだのは、まだよかったようだ。この後、東武線は沿線火災の影響で運転を見合わせた区間があったらしい。

サンドイッチ屋で朝飯を買った。

昼は麻婆丼に温玉乗せ。河岸を変えてコーヒー。自宅用の豆も挽いてもらう。

バスで錦糸町に移動して所用。

昨日インフルエンザの予防接種を打たれた箇所が少し腫れて熱っぽい。副反応というのだろう。それ以外は身体の調子は特にどうということはないのだけど、今夜はまだ大人しくしておく。

いい風呂の日だが、サウナには寄らずパルコで鯛ラーメンを食って帰った。

8,176歩。大人しくしてた割には案外捗った。朝、駅から歩いた分かな。

染み

玄関の扉を開けると雨。傘が要るほどの雨は久し振りという気がする。このところ毎日そこそこ歩けているのは晴天続きだったせいもあるだろう。

朝は錦糸町の駅そば屋で。かまぼこコロッケそばというのにする。コロッケというが、要は、衣を着けて揚げたかまぼこ。

駅そば屋のスツール席に腰かけたまま、うっぷして寝ている人がいる。前髪が揚げ玉の浮かぶ器の中に浸かりそうだ。まだ若い女性に見えたが、そばを食べ終えたところで睡魔に襲われたのだろうか。

気づかないうちにシャツの胸のところに大きな染みができていてショック。今朝コンビニで買ってきたコーヒーをこぼしたのかな。今日一日この染みをつけたまま過ごすと思うと気が滅入る。

昼はピザ。具は自家製パンツェッタ(塩漬け豚肉)とキャベツ。トマトソースではなくホワイトソースというのが私には目新しい。豚肉の塩味と胡椒がキャベツに絡まって宜しい。トマトは彩りと味のアクセントか。

インフルエンザの予防接種を受けた。少なくとも大人になってからは初めて。子供の頃は受けていたのかな。記憶が遥か過ぎて思い出せない。

錦糸町で所用。八街についての話を聞くなど。ヤチボコリという言葉は初めて知った。

予防接種の後は過度な運動は避けたほうがいいらしい。さっとお風呂に入る程度は構わないそうだが、私の場合入浴すると水風呂との往復で身体を酷使してしまうので控えたほうがいいだろう。

電車で帰って夜の散歩もパス。6,865歩。

亡者

巣ごもり日。辛うじて起き出してゴミ出し。曇り空。昼飯を買いに外に出たら、かすかな雨粒を感じた。

暗くなってから外出。曳舟文化センターの桃月庵白酒・柳家三三両師の二人会に。もともと4月に予定されていた公演の振り替えで、コロナ以前に予約していた公演が払い戻しになったのは何件かあったが、振替公演というのは、今のところこれだけではなかったかと思う。

実は曳舟文化センターに来るのは初めて。立派なホールで、舞台の幅はそうでもないが、天井がずいぶん高い。これまでこのホールを落語会に使っているのは聞いたことがなかったが、興行主に見落とされていただけかも知れない。いい場所を見つけた。ところが、白酒さん曰く、このホールは来年から改修に入ってしばらく使えなくなるのだとか。

開口一番 三遊亭ごはんつぶ「子ほめ」

柳家三三「五目講釈」

桃月庵白酒「首ったけ」

桃月庵白酒「馬の田楽」

柳家三三「粗忽の釘」

終演予定は21時10分だったけど、少し押したか。今日はこれから、夜の散歩はパスして、久し振りに北千住のお気に入りの銭湯に行ってみようという心づもりである。

東武線内で事故があったらしく、半蔵門線との直通運転は休止していたが、北千住に出る分には構わない。

さて、件の銭湯に着くと明かりがついていない。玄関に掛かった板には「ぬ」の一文字。お湯を「ぬ」いた、の意である。月曜定休と思っていたら、月曜が祝日の場合は営業して、代わりに翌日の火曜が休業になるようだ。残念。

そこで、駅から少し歩くが、8月の終わりに一度行ったきりの別の銭湯に行くことにする。

小雨が降ってきたけれど、すぐに傘が必要な程ではない。途中、大門商店街というところを通った。してみると、このあたりは花街だったのだろう。時代から外れたような街並みが街灯の光を受けて小雨に煙る様子には興趣がある。

玄関に掛かった板には「わ」の一文字。こちらは、お湯が「わ」いた、の意になる。

女湯は知らないが、男湯には銭湯絵が二枚ある。ひとつは正面高く掲げられた富士山の絵。よくある画題だが、富士山を旅客機が横切ろうとしているのが珍しいとは言える。

しかし、もっと珍しいのは、向かって左手にある変わり湯と水風呂の上に掲げられている地獄絵だろう。これには前回来た時に気がつかなかった。何かの複製画だろうが、閻魔様を中央に、亡者たちが地獄の鬼から様々な責苦を受ける場景が繰り広げられる。ぶくぶくと泡立つ水風呂に浸かると、ちょうど頭の上に釜茹で地獄の図が来る格好になる。これは、水風呂がぬるいだの狭いだのと不平ばかり言う水風呂亡者への戒めかなと思う。

Y字路に出くわして行先に迷った。人生の行先にも迷っている。私は自分の欲望の亡者だ。

9,056歩。夜の散歩はパスするつもりだったのに、思いの外歩いた。