二度寝して起きたら8時過ぎ。すでに散歩には適当でない時間。辛うじて空き缶を出す。
正午頃に家を出て、曳舟から水天宮前に。
桂歌之助さんの独演会に。会場の日本橋社会教育会館は私は初めて。複合施設になっていて、同じ建物には日本橋小学校も入っている。いかにも都会の小学校という感。
歌之助さんは、米朝一門の上方落語家。初めて歌之助さんの高座を見たのは、もう何年も前になるけど、それ以来、東京で会がある度に案内のハガキが届いて、しかも毎回丁寧に一筆書き添えてあるので、感心するとともに恐縮してしまう。
開口一番 笑福亭呂好「寿限無」
呂鶴門下。調べると、2008年入門というから、東京でいえば二ツ目相当か。大学が佛教大学で、自身お坊さんに憧れていたとのことで、頭を丸めているそうだが、本当かな。呂好さんの上方流の「寿限無」を聞いて、ひとつ気がついたのは、呂好さんは「五劫の擦り切れん」と言っている。東京では「五劫の擦り切れ」と言う人が多いが、意味的には「擦り切れず」が正しく、実際そう言っている人もいるけれど、聞いた感じは「ず」で終わらないほうがいい。ところが、上方言葉の柔らかい調子で「擦り切れん」と聞くと、むしろこちらのほうが元の形だったのではないかと思わされる。
歌之助「時うどん」
二人の男が8文と7文の銭を持ち寄って16文のうどんを食べようとするのだから、ある意味動機ははっきりしている。一方、江戸落語の「時そば」では、1文ちょろまかした男の内面までは分からない。もっぱらそばの食べ方と江戸弁の口舌の巧みさで聞かせる、どちらかといえば単線的な「時そば」に対して、「時うどん」のほうが、演劇的、立体的とは言えそうだ。先にうどんを食べている兄貴分の袖を弟分が引っ張る所作などは、どこか文楽の人形遣いの芸を見るようでもある。「だしが辛いちゅうて、天狗になったらあかんで」が可笑しい。
歌之助・呂好「楽屋風景」
「時うどん」を終えた歌之助さんが一旦引っ込み、呂好さんが舞台に現れて高座の前に呉座を敷いた。「楽屋風景」と題して、舞台上を楽屋に見立てて、二人で楽屋話をしようという趣向。客の目の前で、呂好さんは先程まで歌之助さんが着ていた着物を畳み、歌之助さんは次の出番の着物に着替えながら、事前に客席から集めた質問に答える形でトークを進める。噺家さんが着物を着たり畳んだりする様子を生で見るのは初めてだし、二人とも手を動かしながら、肩を張らずに言葉を交わしているようで、まさに楽屋風景を彷彿とした。
歌之助「お見立て」
廓噺だが、これはもともと江戸落語のネタで、場所を上方に移し変えたもののようだ。大坂の色街の遊女、小照目当てに商家の旦那が遊びに来たが、小照はどうしても会いたがらない。番頭の喜助は何とかして客を言いくるめて帰すように小照から懇願されるが…という筋。江戸落語では、客はいかにも遊女から嫌われそうに人物造形されるのだろうが、この旦那は、むしろ道理のわかった大店の主人という感じがする。しつこいといえばしつこいが、前言を翻しながら次々繰り出される喜助の言い訳の不明点が気になるのも、もっともである。あるいは、作り言と察しつつ喜助をいじっていたのではないかとさえ思われる。小照のほうも、どうしてそこまで旦那と会いたがらないのか。一時の気まぐれを言い張って、引っ込みがつかなくなったということなのか。それは彼らの人物造形にリアリティーを感じたということでもある。
歌之助「花筏」
大坂相撲の人気大関、花筏関が急病で播州高砂への巡業に参加できなくなった。困った親方は、花筏の顔と似ている提灯屋の徳さんに代わりに同道するよう頼む。徳さんはむろん相撲は取れないから、十日間の場所中、土俵入りだけすればいいという条件。ところが地元の網元の息子で、素人相撲の猛者、千鳥ヶ浜と千秋楽で対戦しなければならないことになり…という筋。かつての相撲では、情報が行き渡っている当世と違って、この噺の千鳥ヶ浜のような未知の強豪と当たる場面もあったのだろう。相手の実力を図りかねて、腹の探り合いで勝負が動いてしまうこともあったに違いない。いや、今の相撲でもそういうことは全くないとは言えないのではないか。そんなことを思った。「花筏は張るのが上手いなあ」張るのが上手いはず、提灯屋の職人でございます、でサゲ。
会場を出て、人形町の駅に。このあたりはもう少し気候がよくなったら歩いてみたい。
恵比寿のLIBRAIRIE6に、買い物の荷物を受け取りがてら、マジック・ランタンの展示を見に。
マジック・ランタンとは、「光源とレンズの間にガラス絵を置き、拡大投影した像を鑑賞するプロジェクターの原型といえるもの」とある。主に18世紀から19世紀にかけて作られ、当時の光源はロウソクやランプだったそうだ。
写真のガラス絵は、固定された絵とハンドルで回転する絵が組み合わされていて、この絵の場合だと、ハンドルを回すと、地球の上を帆船が回るように見せることができる。
ところで、マジック・ランタンは日本にも入ってきていて、江戸期に伝わったものは、江戸では「写し絵」、上方では「錦影絵」と言われたという。かつては錦影絵師が絵を動かしながら、語りをつける芸能が行われていたそうで、実はこの芸を今に伝承しているのが、米朝一門なのですね。8月19日の大阪での米朝五年祭の落語会で、錦影絵の上演も行われるそうで、コロナがなければ遠出して見てみたかった。下の動画では桂南光師が錦影絵の説明をしている。
「米朝の奇跡、光再び アニメ原型「錦影絵」披露へ 若手2人、19日の没後5年落語会で」(毎日新聞2020年8月14日 大阪夕刊)
しかし、米朝一門とマジック・ランタンが繋がるとは思わなかった。米朝師の命で一門の落語家が錦影絵を伝えているという話は聞いたことがあったが、錦影絵とマジック・ランタンが同じものという認識がなかった。やはり米朝一門の歌之助さんの落語を聞いた同じ日にマジック・ランタンを見て、そのことに気づくというのも偶然だが、自らの不明も恥じる。
遅くなりすぎないうちに、夜の散歩がてら銭湯に。
暑さと湿気を孕んだ空気が、ねっとりと身体に纏まりつくよう。水風呂でしっかり身体を冷やした。15,834歩。