初めてのホテル

朝はコンビニ。昼は出先で。あまり時間もなかったので、チェーン店のカフェで出来合いのサンドイッチでも腹に入れるかなと思っていたら、たまたま個人店の喫茶店を見つけた。年配の夫婦らしい二人で切り盛りしている店で、カウンターの中のおじさんが作るサンドイッチはかなりのボリュームで食べでがあった。いつか再訪する機会があれば、お腹を減らしてから、ゆっくり食事をしたいものだ。

日中に撮った写真を見直すと、びっくりするくらい空の青が濃い。まだ夏の空か。

所用で高田馬場に。一時間半程で終わって芳林堂書店をぶらぶら。棚の配置は変わったけど、今や数少ない昔馴染みの場所のひとつ。

そういえば芳林堂の入っているFIビルの右隣は取り壊しちゃったんだね。昔この場所には、大正セントラルホテルという大正製薬の系列のホテルがあって、後に別の系列になったと思うけど、多分自分ひとりで泊まった初めてのホテルじゃないかな。高校三年生の時、大学の下見に来てここに泊まった。その後何年かして、酔っ払って、このホテルの一階にあった住友銀行の看板の隙間に入って寝ちゃったこともある。まあ、大した思い出があるわけじゃないけど、寂しいって言えば寂しい。

まだちょっと疲れてる感じがするので、まっすぐ帰って、適当に飯を食って寝た。12,807歩。

疲れ

朝はドトールを持ち帰りで。昼はパスタ。小柱と茸のクリームソースのペンネ。

なんか疲れてる。昨夜調子に乗って歩いたせいか、それとも夏の疲れが出たか。この頃は、ちょっとした体調の変化にもコロナの三文字が頭に浮かんでくるから困る。熱はないと思うけど。

江戸東京博物館に。徳川家康像の台座の亀が、『やる気まんまん』のオットセイに見える。疲れてるのかな。

大ホールでの瀧川鯉昇さんと桃月庵白酒さんの二人会に。

開口一番 瀧川どっと鯉「狸札」

鯉昇門下。前座さんにしては、落ち着いて、丁寧な話し方の人だが、江戸弁というよりは標準語という感じもする。ぞろっぺえな言葉遣いから発する躍動感も落語の魅力で、その塩梅が難しいところでもあるのだろう。

白酒「真田小僧」

白酒さんの師匠の五街道雲助さんは本所に住まいがあって、白酒さんにとっても、この界隈は修行時代から馴染みのある土地のようだ。「真田小僧」は、寄席でかかる時は、大抵按摩さんのくだりでサゲになるが、今日は終いまで。この噺に出てくるような、こまっしゃくれた子供は今でもいるかも知れないが、後半部分は講談の「真田三代記」が下敷きになっているから、こちらが講談に疎いと腹に落ちるまでどうしてもワンテンポ遅れる。しかしこの噺の中では、子供も父親もそれぞれ別々に「真田三代記」を聞きに行っているわけだから、かつての講談の大衆性がわかる。

鯉昇「質屋庫」

鯉昇さんには悪いけど、正直集中を続けるのがつらかった。鯉昇さんは、とぼけた味わいの人で、存在感と独特の間から滋味が染みでててくる人だが、分かりやすいギャグで目を覚ましてくれるタイプじゃない。またこの「質屋庫」という演目が、時節柄ということで幽霊の出てくる噺を選ばれたのだろうけど、番頭さんと熊さんが蔵の番をすることは初めから分かっていて、その場面に至る挿話を重ねていく構成ということもあるかも知れない。あとサゲのくだりは、例えば「菅原伝授手習鑑」がすっと出てくるようだと腹落ちが違うんだろう。

鯉昇「新聞記事」

天ぷら屋の竹さん宅に入った泥棒がアベノマスクをしていたというギャグを入れ込んだのは、客席が(というか私が)だれていたのを察してのことだったのかな。

白酒「厩火事」

特に書くことはないかな。白酒さんのことだから面白かったと思うけど、これといった印象は残らなかった。最近だと橘家圓太郎さんの演った「厩火事」が良かったからね。ああいうのを本寸法っていうのかな。

というわけで、こちらの体調もあってか、いまひとつ乗り切れないまま、江戸博を出た。

元気があれば錦糸町まで歩いてもいいかと思っていたけど、今日はパス。両国駅から電車に乗った。夜の総武線の千葉方面といえば立錐の余地もない程の混みようだったのに、びっくりするくらい空いている。もちろん座れはしないけど、どうかすると座れるんじゃないかと期待してしまう程度の混み具合ではある。コロナでは色々大変だけど、ずっとこのくらい電車が空いてくれれば有難い。

適当に飯を食って寝た。夜の散歩も銭湯もパス。9,236歩。結構歩いているようだが、このうちの2,000歩近くは、昨夜時計の針が0時を回ってから歩いた分。

SH*T

朝の散歩に。少し早起きできたので、まだ涼しいうちに外に出られた。

ミズマチのあたりまで来た。整備が進む間、水戸街道を歩きながら遠目に眺めていたが、敷地の中に入るのは初めて。

それにしても、最近の公園は、どうしてどこものっぺりとした地面にしてしまうんだろう?

起伏があるほうが景観の変化があって目を楽しませるし、歩いても楽しいのに。もう整備する人がそういう発想じゃないんだろうね。区内の別の公園が整備された時も、太い木を切って、地面を削ってまったいらにしてしまって、憤りさえ覚えた。

芝生を敷くのなら自由に中に立ち入って寝ころがったりできるようにすればいいのに、単に見映えだけ。木陰が少ないからこの季節の散歩には向かないしね。

その意味では、今回の改変が隅田公園の一部でまだよかった。

陳腐な言い方だけど、商業化、商品化ってことなんだろう。公共財の商品化。公園まで商業空間にしなくてもいい。

暑くなる前に家に帰って、夜まで巣ごもり。

諸々済ませてから、夜の散歩に。川風に秋の気配を感じた。

白鬚橋を渡って汐入公園を歩き、汐入大橋から足立区に入った。墨堤通りを歩いて墨田区に戻り、リバーサイドデッキに降りて、水神大橋を渡って再び汐入公園に。そのまま南下して待乳山から千束通りまで歩いた。

興が乗って散歩の足を伸ばした。遅くなってしまったが、いつもの銭湯の営業時間内にまずまず間に合った。

銭湯からの帰り道の途中で日付が変わった。その時点で20,697歩。

残り香

早く起きたので朝サウナに。今朝は雲が出ている分、昨日よりは幾分過ごしやすい。本当は朝サウナに行くなら昨日だったけどね、月曜日の朝は楽天地スパは開いてないから。

抹茶水風呂ですが、前回入った時の濃い緑色に比べると、今回は極めてほのかな緑色で、お茶の香りもほとんど感じない。この程度の色のほうが好きだな、香りはもう少しあってもよかったな、等と思いつつ入って、帰りにスタッフの人が言うには、早朝はまだ抹茶水風呂は実施してないんだって。私が感じたのは昨夜の残り香だったらしい。

朝サウナの後はドトールで休憩。昼は鯖塩焼き。

錦糸町までぶらぶら歩く。朝から晩まで墨田区内にいるから、どこで写真を撮ってもスカイツリーが写り込む。

所用を済ませて帰宅。なんだかくたびれて夜の散歩に出るタイミングを逸した。それに火曜日は行きつけの銭湯が休業日なのでね。8,821歩。

図式と都市

朝は駅そばで軽く済ませたので、昼はしっかりしたものが食べたい。外に出たが、お盆休みが続いているのか、閉まっている店が多い。暑い中歩き回って、滅多に行かないそば屋でカツ丼を頼んだ(丼の下が切れているのは写真を撮る前にひと切れ食べてしまったから)。

アートトレイスギャラリーに。「削除された図式」展を再訪。展示の写真を撮らせてもらった。

本展が参照している『明日の田園都市』は都市計画運動の古典ということだけど、改訂の際に著者自身によって削除された章があるのだとか。仮に、その削除に著者の政治的な配慮が働いているとして、書籍の改訂は実現した都市にどのような影響を与えたのだろうかと思う。こんなふうに、図式と都市の照応関係を考えてみるのは面白い。

イデオロギーの交替によって建築の用途や形が改変される例はしばしば目にする(最近の例だと、イスタンブールのアヤソフィア)。そんな改変が都市のレベルでも起こるのだとすれば、例えば本展で取り上げられている長春(旧新京)では、旧満洲国から中華人民共和国の成立、さらに改革開放経済を経て、当初の都市計画はどのように改変されたのか、あるいはされなかったのか。またそれは実現した都市や建築にどのように作用したのか。そしてここ東京ではどうか。

先年の展覧会「インポッシブル・アーキテクチャー」を思い出しつつ、どのようにして建築が不可能になるのかという点で、多くの場合は物理的な、あるいは経済的な理由が語られるのだろうけど、イデオロギー的な不可能性というのも同時に存在しているように思う。都市のレベルでもしかり。

余談だけど、実現したほうの新国立競技場も、もしこのまま当初の目的で使用されなくなるとすれば、ある種の不可能性を帯びた建築ということになるのではないか。

一時よりも暗くなるのが早くなった気がする。錦糸町までぶらぶら歩いていたら、途中で銭湯を見つけたので、入っていくことにした。

お店の人と他のお客さんとの話を漏れ聞くと、常連さんがしっかり付いている銭湯という感じがした。水風呂が小さくてぬるいので、私的にはそう何度も来たいとは思わないけど、地元の人に親しまれているなら、それが一番だと思う。

銭湯に寄ってきたので、帰宅してから出直すのはよした。9,687歩。

発煙

午前中はだらだらして過ごした。特筆することもなし。

15時からの両国門天ホールでのミニ・コンサートに行くのに、14時に家を出て、曳舟から錦糸町乗り換えで両国に向かえば、14時45分の開場時刻には十分間に合うだろうという腹積もりだった。

ところが、曳舟駅に電車が来ない。何やら、鐘ヶ淵駅の構内で発煙?があって、電車が止まっているという。最初のうちは、少し電車が遅れても時間の余裕はあるだろうと高を括っていた。今思えば、この時点でスカイツリーラインを諦めて、亀戸線に乗って亀戸乗り換えで両国に向かえばよかったのだが、後の祭りである。だんだん焦り始めた時、亀戸線のホームに電車が来ているのに気づいて、慌てて階段を駆け降り、上りエスカレーターがホームに着いた時は、ちょうど亀戸行の電車が発車したところだった。次の亀戸行を待っていては、確実に遅刻する。ああ、間が悪い。

これはタクシーに乗るしかないかと改札を出て、曳舟川通りで流しのタクシーを待っていると、高架の上を半蔵門線直通の電車が行くのが見えた。電車は動き出したのか。改札に戻って駅員に聞くと、一本だけ電車を通したが、この次の発車の目途は立っていないとのこと。大人しく元のホームで待っていて、今の電車に乗っていれば、なんとか間に合ったかも知れない。ああ、間が悪い。

暑いし、時間は迫るし、やるかたない間の悪さにいらいらしながら、タクシーを待っている間も気が気でなかったが、何とか反対方向の車を見つけて、Uターンしてもらって両国に。

こんな時は、マイナス方向に考えが働く。このタクシー代約1,600円は、本来は払わなくてもよかったはずのお金である。電車遅延の原因となった発煙というのが、何か事件なのか事故なのか、わからないけれど、もし誰かが責めを負うべき事柄なら、ぜひ電車代との差額を弁償してもらいたい。が、何百万円の損害が出ているのならともかく、この程度の額なら、運が悪かったと飲み込んでしまうのが普通だろう。

しかし、今はインターネット時代である。クラウドファンディングといって不特定多数から小口の資金を集める仕組みがあるように、小口の請求権を集めて債務者に弁済請求できる、クラウド損害賠償請求という仕組みはできないものだろうか。一本の電車に何人乗客が乗っているのか知らないが、一人千円の損害でも、何百人とかき集めれば、結構な額になるのではないか。ITベンチャーでこういう事業を行っているところはないのか。何なら私が起業しようか。

両国門天ホールの今日の催事は、「フランス6人組結成100周年記念ミニ・コンサート&ライヴ配信」である。フランス6人組というのは、戦間期に活動した作曲家の集団で、そういう人たちがいたということくらいは、門外漢の私も、ジャン・コクトーやエリック・サティの名前と関連付けて聞いたことがある。彼らの曲が収録されたCDの一枚も持っていたかも知れない。

あまり的確な評言を発する自信はないけれど、一言でいえば、瀟洒というかな。ピアノ演奏だけかと思っていたら、アポリネールの詩にプーランクが曲を付けた曲の歌唱もあって、前衛というほど過激な感じもないが、やはりその時代の空気を纏っているようで、どこかパリの小さなピアノ・バーやカフェででもこんな曲を聞いてみたいと思いましたよ。

ミニ・コンサートが終わって、錦糸町に行ったら、地下鉄は何にもなかったように動いていた。

夜の散歩に。桜橋から白髭橋まで歩いて、橋を渡って向こう岸を歩いて戻った。多少の川風もあって、昨日よりはまだ歩きやすい。

いつもの銭湯に寄って帰った。16,839歩。

米朝一門とマジック・ランタン

二度寝して起きたら8時過ぎ。すでに散歩には適当でない時間。辛うじて空き缶を出す。

正午頃に家を出て、曳舟から水天宮前に。

桂歌之助さんの独演会に。会場の日本橋社会教育会館は私は初めて。複合施設になっていて、同じ建物には日本橋小学校も入っている。いかにも都会の小学校という感。

歌之助さんは、米朝一門の上方落語家。初めて歌之助さんの高座を見たのは、もう何年も前になるけど、それ以来、東京で会がある度に案内のハガキが届いて、しかも毎回丁寧に一筆書き添えてあるので、感心するとともに恐縮してしまう。

開口一番 笑福亭呂好「寿限無」

呂鶴門下。調べると、2008年入門というから、東京でいえば二ツ目相当か。大学が佛教大学で、自身お坊さんに憧れていたとのことで、頭を丸めているそうだが、本当かな。呂好さんの上方流の「寿限無」を聞いて、ひとつ気がついたのは、呂好さんは「五劫の擦り切れん」と言っている。東京では「五劫の擦り切れ」と言う人が多いが、意味的には「擦り切れず」が正しく、実際そう言っている人もいるけれど、聞いた感じは「ず」で終わらないほうがいい。ところが、上方言葉の柔らかい調子で「擦り切れん」と聞くと、むしろこちらのほうが元の形だったのではないかと思わされる。

歌之助「時うどん」

二人の男が8文と7文の銭を持ち寄って16文のうどんを食べようとするのだから、ある意味動機ははっきりしている。一方、江戸落語の「時そば」では、1文ちょろまかした男の内面までは分からない。もっぱらそばの食べ方と江戸弁の口舌の巧みさで聞かせる、どちらかといえば単線的な「時そば」に対して、「時うどん」のほうが、演劇的、立体的とは言えそうだ。先にうどんを食べている兄貴分の袖を弟分が引っ張る所作などは、どこか文楽の人形遣いの芸を見るようでもある。「だしが辛いちゅうて、天狗になったらあかんで」が可笑しい。

歌之助・呂好「楽屋風景」

「時うどん」を終えた歌之助さんが一旦引っ込み、呂好さんが舞台に現れて高座の前に呉座を敷いた。「楽屋風景」と題して、舞台上を楽屋に見立てて、二人で楽屋話をしようという趣向。客の目の前で、呂好さんは先程まで歌之助さんが着ていた着物を畳み、歌之助さんは次の出番の着物に着替えながら、事前に客席から集めた質問に答える形でトークを進める。噺家さんが着物を着たり畳んだりする様子を生で見るのは初めてだし、二人とも手を動かしながら、肩を張らずに言葉を交わしているようで、まさに楽屋風景を彷彿とした。

歌之助「お見立て」

廓噺だが、これはもともと江戸落語のネタで、場所を上方に移し変えたもののようだ。大坂の色街の遊女、小照目当てに商家の旦那が遊びに来たが、小照はどうしても会いたがらない。番頭の喜助は何とかして客を言いくるめて帰すように小照から懇願されるが…という筋。江戸落語では、客はいかにも遊女から嫌われそうに人物造形されるのだろうが、この旦那は、むしろ道理のわかった大店の主人という感じがする。しつこいといえばしつこいが、前言を翻しながら次々繰り出される喜助の言い訳の不明点が気になるのも、もっともである。あるいは、作り言と察しつつ喜助をいじっていたのではないかとさえ思われる。小照のほうも、どうしてそこまで旦那と会いたがらないのか。一時の気まぐれを言い張って、引っ込みがつかなくなったということなのか。それは彼らの人物造形にリアリティーを感じたということでもある。

歌之助「花筏」

大坂相撲の人気大関、花筏関が急病で播州高砂への巡業に参加できなくなった。困った親方は、花筏の顔と似ている提灯屋の徳さんに代わりに同道するよう頼む。徳さんはむろん相撲は取れないから、十日間の場所中、土俵入りだけすればいいという条件。ところが地元の網元の息子で、素人相撲の猛者、千鳥ヶ浜と千秋楽で対戦しなければならないことになり…という筋。かつての相撲では、情報が行き渡っている当世と違って、この噺の千鳥ヶ浜のような未知の強豪と当たる場面もあったのだろう。相手の実力を図りかねて、腹の探り合いで勝負が動いてしまうこともあったに違いない。いや、今の相撲でもそういうことは全くないとは言えないのではないか。そんなことを思った。「花筏は張るのが上手いなあ」張るのが上手いはず、提灯屋の職人でございます、でサゲ。

会場を出て、人形町の駅に。このあたりはもう少し気候がよくなったら歩いてみたい。

恵比寿のLIBRAIRIE6に、買い物の荷物を受け取りがてら、マジック・ランタンの展示を見に。

マジック・ランタンとは、「光源とレンズの間にガラス絵を置き、拡大投影した像を鑑賞するプロジェクターの原型といえるもの」とある。主に18世紀から19世紀にかけて作られ、当時の光源はロウソクやランプだったそうだ。

写真のガラス絵は、固定された絵とハンドルで回転する絵が組み合わされていて、この絵の場合だと、ハンドルを回すと、地球の上を帆船が回るように見せることができる。

ところで、マジック・ランタンは日本にも入ってきていて、江戸期に伝わったものは、江戸では「写し絵」、上方では「錦影絵」と言われたという。かつては錦影絵師が絵を動かしながら、語りをつける芸能が行われていたそうで、実はこの芸を今に伝承しているのが、米朝一門なのですね。8月19日の大阪での米朝五年祭の落語会で、錦影絵の上演も行われるそうで、コロナがなければ遠出して見てみたかった。下の動画では桂南光師が錦影絵の説明をしている。

米朝の奇跡、光再び アニメ原型「錦影絵」披露へ 若手2人、19日の没後5年落語会で」(毎日新聞2020年8月14日 大阪夕刊)

しかし、米朝一門とマジック・ランタンが繋がるとは思わなかった。米朝師の命で一門の落語家が錦影絵を伝えているという話は聞いたことがあったが、錦影絵とマジック・ランタンが同じものという認識がなかった。やはり米朝一門の歌之助さんの落語を聞いた同じ日にマジック・ランタンを見て、そのことに気づくというのも偶然だが、自らの不明も恥じる。

遅くなりすぎないうちに、夜の散歩がてら銭湯に。

暑さと湿気を孕んだ空気が、ねっとりと身体に纏まりつくよう。水風呂でしっかり身体を冷やした。15,834歩。

猛暑日の過ごし方

そう早起きはできなかったけど、朝のうちに少し散歩に。

7時頃に家を出たときは思いの外暑さを感じなかったので、足の向くままぶらぶらと歩いていたら、8時が近くなるにつれて、いよいよ日射しが本領を発揮し出した。

途中水分をとりつつ歩いて、暑さが酷くなる前に切り上げて家に戻ったけど、少し熱中症気味になったかも知れない。

どこか涼しい場所で休んで体力を回復させたい。そこで、空調が効いて快適な、楽天地スパで静養。サウナにはあまり入らず、ぬる湯に入ったり出たりしながら、ひたすら休憩室でうとうとした。

散歩とサウナ。典型的な猛暑日の過ごし方。12,143歩。

浅草の空

今年の夏は結局帰省しないことになった。お盆に実家にいない年は上京してから初めて。今週末はもともと帰省するつもりで、本当なら今日は墓参りの日だった。

浅草へ。八月中席の浅草演芸ホールといえば吉例の住吉踊りの興行だが、毎年どうしても帰省と重なってしまって、何年も前に一度見たきりだと思う。

住吉踊りのある昼の部は、朝8時から整理券を配布しているというので、早めに行こうと思っていたけど、家を出たのが8時になってしまった。浅草演芸ホールに着いて整理券を貰うと7番。聞くと、平日でもあり、そう混むわけでもなさそう。意気込んで早く来ることはなかったかも知れない。

ROX一階のドトールで時間潰し。程々のところで戻り、番号順に並ぶ。ご多分に漏れず検温と手指消毒後に入場。

浅草演芸ホール八月中席昼の部『吉例 納涼住吉踊り』
開口一番 古今亭まめ菊「酒の粕」
菊之丞門下の女性前座さん。ちなみに酒粕にはエタノールが8%程度残存している(Wikipedia情報)ので、この噺の与太郎さんのように酒粕を食べると酔ってしまうこともありそう。旨いのかな。
落語 柳家小もん「手紙無筆」
小里ん門下。小もんさんといえば、曳舟界隈では昨年一年間「向じま ぜんや」さんの「すみだ向島亭」に桃月庵こはくさんと共に出演していたことでお馴染み?夜学校出だから昼間は字が読めないというのは馬鹿馬鹿しくて好きだが、客席からはスルーされてた感。
落語 春風亭昇也「壺算」
昇太門下。あれ?と思われる方もいるでしょう。落語協会の定席番組に落語芸術協会の噺家さんが上がるのは、この住吉踊りの興行だけ。「壺算」は、スピード感でぐいぐいと押していく。おネエっぽい瀬戸物屋が「一円五十銭、お釣渡すの忘れました」でサゲ。聞いてるこちらも何となくそれで納得させられてしまう。
落語 三遊亭美るく「権助魚」
歌る多門下。大口を開けて笑う権助の品のなさと、悋気するおかみさんが見せる大人の艶の対比がいい。
漫才 笑組
落語 三遊亭ときん「夏どろ」
金時門下。ときんさんの「夏どろ」は、泥棒のお人好しぶりが際立つよう。
落語 古今亭志ん陽「のめる」
相手に「つまらねえ」と言わせるために策略を巡らすが、大根百本を漬ける醤油樽を探すのに「物置を探したら物置がねえんだよ」が馬鹿馬鹿しくていい。
ジャグリング ストレ-ト松浦
講談 宝井梅福「お竹如来」
落語 柳亭こみち「庭蟹」
出されたお題の言葉に当意即妙な洒落を返す名人が、洒落のまったくわからない旦那に呼ばれて洒落を披露することに。こみちさんは、この噺の洒落の名人役を「洒落のお清さん」という女性にアレンジしているようだ。
紙切り 林家二楽
まず「桃太郎」。客席から題を募って「馬風師匠」、やや若き日の?恰幅のいい馬風師の高座姿。「七福神」は宝船を横から。
落語 林家三平
自身の前座時代の志ん朝、先代小さんといった師匠方との逸話、昇太師や笑点の話等。
落語 古今亭菊生「熊の皮」
女房の尻に敷かれる男が、赤飯を分けてもらった礼を伝えるように言われて医者の藪井竹庵宅に出向く。
漫才 ロケット団
落語 三遊亭歌る多「初天神」
噺家さんが高座で脱いだ羽織を自分で畳むのを初めて見た。薄手の羽織を丁寧に畳まれる。
落語 入船亭扇遊「浮世床」
食い意地の張った半ちゃんが、芝居見物で同じ升席に座った年増の美女と…という夢の逢瀬。
ギタ-漫談 ぺぺ桜井
実に気持ちよさそうにギターを弾かれる。
落語 三遊亭圓王「目黒のさんま」
古くからの住吉踊りのメンバーだが肺の難病で闘病中、この席に合わせて退院されてきたのだとか。さんまの腹のあたりを黒く焼いたのを「圓楽焼」と当てこするのは、やはり同じ圓生一門の圓窓門下だからか。
落語 隅田川馬石「子ほめ」
桃月庵白酒師の代演。自身が表紙の「東京かわら版」8月号の宣伝をしていた。
マジック 花島皆子
日本の伝統奇術「和妻」を見せる。着物の袖のような形の袋の中から卵が現れるというものと、切り離したはずの和紙がひと繋がりになったり市松模様を描くというもの。和装での所作が目に美しい。
落語 春風亭一之輔「狸の札」
眼鏡をかけて高座に現れたので、あれ?と思った。いつもより客席がよく見える、などと言ってすぐに外されたが。眼鏡をかけたまま演じた昇也さんに触発された?
落語 鈴々舎馬風
コロナ禍でカラオケに行けないとぼやきながら、村田英雄「男の一生」、落語家が出したレコードあれこれ。極めつけは、美空ひばり没後31年ということで、ひばりメドレー31曲を歌唱。もちろんサビの部分だが、あれだけ淀みなく歌えるのだから大したもの。
漫才 すず風にゃん子・金魚
落語 林家木久扇
笑点の司会者列伝という趣。談志さんの物真似がちょっと似ていて新鮮。
落語 三遊亭圓歌「お父さんのハンディ」

落語 古今亭菊春「替り目」
「酒は百薬の長、命を削るかんな」。酔って帰ってきた男が女房におでんを買いに行かせ、女房への感謝をひとりごちて「お前まだ行かねえのか」まで。
浮世節 立花家橘之助
隅田川の花火の日は屋形船も川の上で場所取りをするので、午後1時頃に出船してから花火が上がる夜7時までの間、芸人が船に呼ばれて間をつないだという思い出話からの「両国風景」。三味線の早弾きにテンションが上がる。
落語 古今亭志ん彌「強情灸」
江戸言葉が実に耳に心地よい。強情で、直情で、見栄っ張り。口先から生まれてきたようで、さっぱりとして腹蔵のない、要するに江戸ッ子。特大の灸を腕にすえる場面では、熱さが伝わってくるようで、聞いているこちらまで、身体がむずむずしてくる。
大喜利 「納涼住吉踊り」
「伊勢音頭」「吃又」「奴さん」「お寺さん」「さつまさ」「供奴」「深川」「かっぽれ」
冒頭、住吉踊りの会の番頭役の三遊亭金八さんが舞台袖から説明。今年の住吉踊りでは密を避けるため、同時に舞台に上がるのは5人までと決められているそう。出演する芸人さんも、基本的にはその日の番組に出演している人から選んだとか。
例年であれば、浅草演芸ホールの舞台いっぱいに揃いの浴衣姿の芸人さんが並ぶはずのところ、その壮観を目にすることができないのは残念だが、この時世であればやむを得ない。
その代わりというか、個人技が光って見えたかも知れない。座長の志ん彌さんや菊春さんはもちろん、奇術の花島皆子さんの所作に目を奪われた。橘之助さんは言わずもがな。
舞台上に消毒液を置いて、踊りの途中にわざとらしく手を消毒したり、マスクにフェイスシールド姿で踊ったりと、コロナ禍をネタにすることも忘れずに。
昇也さんが、ときんさんに臆せず突っ込んでいた。もともと漫才をしていた人だというから、突っ込みはお手のものなのだ。
今日の番組に名前のない人では、桂やまとさんの姿を見た。
座長の志ん彌さんが音頭を取って、手締めで幕。

朝10時の開場から6時間半近くの長丁場で、見ているだけでもさすがに疲れた。お尻も痛い。

今日の出演者は、住吉踊りの興行ということもあってか、女性の芸人さんが目についた。落語家だと、前座も入れると、出番の順に、まめ菊、美るく、こみち、歌る多。色物では、宝井梅福、花島皆子、にゃん子・金魚、橘之助。いずれも敬称略。

演芸ホールの外に出ると雲行きが怪しい。ぽつりぽつりと大粒の雨が降り出したが、傘の持ち合わせがない。

ある意味好都合というか、至近の浅草ROXまつり湯に飛び込んだ。ここに来るのも久し振り。何年か前の人間ドックの後以来か。

中の様子はほぼ忘れていた。サウナはドライサウナで、温度は高いが、私としてはもう少し湿度があるほうが好み。水風呂は浅めで、辛うじて二人入れればいい大きさ。

浴室は広々として、お風呂の種類もいろいろある。水風呂に入っても決してお湯には浸からないというハードコアなサウナーでない限り、風呂のほうで楽しめそうだ。

露天風呂で外気浴ができるのはいい。六区の表通り側に開けていて、向かいのビルの屋上のフットサルコートを見下ろす形になる。視界の左には浅草寺の五重塔の先端(相輪というそうだ)が突き出し、正面にはスカイツリーを望む。

露天風呂に入っていたら、瞬間空が光り、続いて雷鳴が轟いた。黒い雲を切り裂くように、太い稲光りが空を走るのが目の奥に残った。

一旦上がって、もう一度露天風呂に出たら、さっきの雲は消えて、裏浅草のあたりから、駒形のほうまで、ちょうどスカイツリーを跨ぐような大きな虹が浅草の空に架かっていた。

結局この日は、終日浅草で過ごした。6,264歩。

高架の有難味

早く目が覚めたのだけど、もぞもぞしているうちに出遅れてしまった。外はすでに日射しが強いが、巣ごもりの前に少しでも散歩。

首都高の高架下には、猫に餌をやる人と、鳩に餌をやる人(住み分けてるのかな)。自転車に乗ったお相撲さんが高架下を通るのは初めて見た。

隅田川の墨田区側の川岸を首都高が延々と走っているのは、いかにも無粋で、景観の妨げだし、川向こうの台東区側と比べて割りを食ってるなあとずっと思っていた。

が、こうまで暑いと、高架が東からの光を遮ってくれるのは有難い。お陰で日射しを避けて川沿いを歩くことができる。長年墨田区に住み暮らしているが、ここに至って、高架の有難味を初めて感じた。

午後遅くなって、夕立というにはずいぶん激しい雨が降ったようだ。先に洗濯物を取り込んでおいてよかった。

雨のせいで外に出るタイミングを逸してしまった。散歩や銭湯行きは省略。4,469歩。実質朝の数十分だけだから、やむを得ない。