今日が最終日という催事も多いのだが、もしかして私んちの買い置きのお菓子の賞味期限も今日が最終日か?と気になって確認すると、まだ数日の余裕があってひと安心した
北代省三から八谷和彦を連想する見方は頷けるなあ。エンジニア的なセンスや空に向ける視線は確かに近しい気…
北代省三から八谷和彦を連想する見方は頷けるなあ。エンジニア的なセンスや空に向ける視線は確かに近しい気がする。ただ、八谷氏はプロジェクトとして自分のアートを仕立てているけど、北代氏は最後は自分ひとりでできることに収斂していったように見える。エンジニアのあり方が時代で変わったのか。
2014年1月13日のこころのまとめ
- そういえば成人の日といえば山口瞳さんの新聞広告があったものだ ->
- 三木鶏郎に空目 "@goma72: 昨日京都で買った鯖寿司と三木鶏卵のだし巻き。熱燗に合うなー。" ->
- 反対方向の地下鉄に乗っていたことに気づいてこの先の人生を諦めたくなった ->
- こないだ下北沢の古本屋でホール・アース・カタログの現物を見せてもらって、90年代初めのわくわくする感じが甦ってきた。当時WECのことはよく知らなかったけど、黎明期のワールド・ワイド・ウェブに連なるものとして認識してたんだと思う。こんなことで元気になるんだから不思議なものだな。 ->
- 今日が最終日という催事も多いのだが、もしかして私んちの買い置きのお菓子の賞味期限も今日が最終日か?と気になって確認すると、まだ数日の余裕があってひと安心した ->
- 北代省三から八谷和彦を連想する見方は頷けるなあ。エンジニア的なセンスや空に向ける視線は確かに近しい気がする。ただ、八谷氏はプロジェクトとして自分のアートを仕立てているけど、北代氏は最後は自分ひとりでできることに収斂していったように見える。エンジニアのあり方が時代で変わったのか。 ->
- RT @MachikoKusahara: 川崎市岡本太郎美術館に明日最終日の北代省三展を見に行ってきた。写真、絵画、デザイン、立体造形、写真、模型飛行機の設計、という活動の変化の理由が、展示を見て初めて納得できた。随所で、八谷和彦さんのオープンスカイを連想した。 ->
- 世田谷美術館では数年前の「夢の漂流物」展の時、高橋悠治さんの演奏を聞いたことを印象深く覚えている。氏は瀧口修造の『遮られない休息』を朗読した後、ピアノに向かい同名の武満の曲、続いてバッハの『主よ、あわれみ給え』を演奏した。この曲は病床の武満が最後に聞いた曲ではないかと氏は語った。 ->
世田谷美術館では数年前の「夢の漂流物」展の時、高橋悠治さんの演奏を聞いたことを印象深く覚えている。氏…
世田谷美術館では数年前の「夢の漂流物」展の時、高橋悠治さんの演奏を聞いたことを印象深く覚えている。氏は瀧口修造の『遮られない休息』を朗読した後、ピアノに向かい同名の武満の曲、続いてバッハの『主よ、あわれみ給え』を演奏した。この曲は病床の武満が最後に聞いた曲ではないかと氏は語った。
桂二乗さんの「癪の合薬」聞いてる。昨日小三治さんの「やかんなめ」聞いて、なんか重なるなあ。
桂二乗さんの「癪の合薬」聞いてる。昨日小三治さんの「やかんなめ」聞いて、なんか重なるなあ。
実験工房展。北代省三のモビール・オブジェがきりきりと音をたてて軋んだ。展示室には実験工房の音楽が流れ…
実験工房展。北代省三のモビール・オブジェがきりきりと音をたてて軋んだ。展示室には実験工房の音楽が流れていたが、ぼくは軋む音が音楽に絡むのをむしろ好ましく感じた。当時のコンサートでは北代や山口勝弘のオブジェが場内を飾った。おそらくそんな現実音との共演もあったことだろうと髣髴した。
しかし今日ピアノを弾いていた中川氏も稲垣氏も、揃って衣装の趣味が悪いのはどういうことなのか。黒のスー…
しかし今日ピアノを弾いていた中川氏も稲垣氏も、揃って衣装の趣味が悪いのはどういうことなのか。黒のスーツに黒のシャツ、ラメ入りのネクタイなんて、安物のヤクザだってあんな格好はしないだろう。クラシックのピアニストは洋服が悪趣味でなければならない決まりでもあるのか。
実験工房展を契機に当時彼らが作り演奏した音楽を再現する機会に居合わすのは楽しいことだが、当時の音楽と…
実験工房展を契機に当時彼らが作り演奏した音楽を再現する機会に居合わすのは楽しいことだが、当時の音楽と共に当時の精神も再現してほしいものだ。その意味で今日の企画ははっきり「音楽」であって「音楽以前」ではなかった。実験の精神が音楽アカデミズムに回収しつくされないよう願いたいものだ。
武満徹の『遮られない休息』が「音楽以前」と評されたとか、メシアンの名前も知られていない頃に実験工房が…
武満徹の『遮られない休息』が「音楽以前」と評されたとか、メシアンの名前も知られていない頃に実験工房が初演したとかいう逸話を、功成り名遂げた老人の過去への復讐譚として聞くべきではないのだろう。今この時において「音楽以前」である音に耳をすますことこそ、実験の精神にかなうことだろう。
お向かいの子供の声で目が覚める日曜の朝
お向かいの子供の声で目が覚める日曜の朝