年が改まるからというわけでもないけど、またウェブログの名前を変えた。
どこかのブロードバンドサービスの広告を見ていて、そうか、hirakiとhikariってアナグラムなんだなあと思って。それだけのことなんだけど。
年末だし、漫然と思いついたことを書いていくことにする。
森下のある居酒屋で飲んでいた。


カウンターの隣の客が、ご主人と話すのを聞くでもなく聞いていると、この店を誰が継ぐ、継がないという話になった。
ご主人のお嬢さんが店を継ぐ気になっているのだという。
客が、息子さんはいらっしゃらないの、と聞くと、ご主人が答えて、息子は35歳のときに交通事故のケガがもとで亡くなったのだという。
初めて入った店なのに、いきなりエライ話聞いちゃったなあ。
やっぱり人生いろいろ、お店もいろいろである。
さすがに冬らしくなってきて、居酒屋に入っても、まず燗酒を頼むようになった。
秋口までは、何を差し置いてもまずビールの人だったのに。
高橋の魚三で中落ちとさんま焼きをアテにお酒を飲んだ帰り、山利喜の本店を覗いたら、ちょうどカウンター席が空いていたので、もう1、2杯飲んでいくことにした。
燗酒を頼んだら、すでに酔っ払っていたので銘柄は何だったかはっきり覚えていませんが、甘酸っぱくて、かつどこか燻したような風味もあって、さっきの魚三のお酒もいかにも大衆酒場らしくていいですが、これはこれでいいですねえとシミジミ思った。
だったら、いいお酒を買ってきて自分のうちでお燗をすればいいんですよね。
といいつつも、とっくりにお酒を移してやかんにお湯を沸かしてとっくりを入れて・・・という一連の所作がどうも面倒で、うちでは相変わらずビールばかり飲んでいる。
雑誌の記事か何かで、燗付器というのを見たことがあるような気がしたので、インターネットで調べてみると、「ミニかんすけ」という器械がそれらしい。
そうかそうか、これは今度買わなきゃなと思いつつ、散歩の達人12月号を手に取ると、表紙の写真がまさにその「ミニかんすけ」じゃないですか。商品名までは出ていないけど。
今月は、調子に乗ってホークスグッズをやたら買いすぎたので、カードの引き落しが一段落したら、口座残高と相談して買うかどうか考えることにします。
ホークスといえば、もうすっかりソフトバンクですが、って何だかよく分かりませんが、スポーツニュースでの「ソフトバンクの城島が・・・」という言い方も、いずれ慣れてくるのかなあ。どうしてもまだ違和感が先に立つけど。
そんなことを思いながらテレビを見ていると、ジャイアンツがユニホームを新しくしたというニュースになった。胸に「YOMIURI」って書いてあったのを外してYGマークにしたという。
ソフトバンクっていう親会社の社名がまだ耳慣れないなあと思っているところに、かたやジャイアンツは親会社の読売の名前をユニホームから外したという話を聞くと、急にジャイアンツが奥ゆかしく思えてくる。
ナベツネという人は、読売読売読売、という人だったような気がしますが、オーナーが代わったらおとなしくなったのか。
2、3週間程前か、土曜日の昼間、なんとなくうちでテレビを見ていた。
NHKの「百歳バンザイ!」という番組で、100いくつかのおじいさんで、拍子木を叩いて火の用心を唱えながら町内を回るのを毎日欠かしません、という人を紹介していた。
まあ、これだけ書くと、ただの微笑ましいおじいさん、というふうに読めるかもしれないけど、テレビを見ながら、ぼくはちょっと違うことを考えていた。
百歳にもなって、拍子木を叩いて町中を練り歩くのが生きがいだかやりがいだかなんて、その人の人生、それでいいのか。そんなことして100まで生きてても仕方ないんじゃないか。
いや、別に拍子木叩いて火の用心を唱えて回ることを貶めて言っているわけじゃないの。
その人、90いくつかのときから、世の中に役立つことをしようとか何とか思い立って、この火の用心巡回を始めたんだって。
それがね、例えば12歳で奉公に出てから90年間、火の用心一筋の人生です、というんだったら美しいなあと思うんだけど。
その人にも、会社に勤めて仕事に燃えた時期もあったし、家庭を営んで子供たちを育て上げた時期もあった。ではそういうのが全部終わったときに、自分の人生というのをどう考えればいいのか。さあ、そこで出てきたのが火の用心ということになると、その人のこれまでの人生一体何だったのかと思ったのだ。
男性の場合、会社や奥さんに精神的に依存することが多いように聞く。
26日の日経の「2度目のひとり暮らし」と題した記事で、定年後に奥さんを亡くした男性が無気力にならずにひとりで生きていくためのコツとして、知的好奇心を保つことを挙げていた。
この記事から、知的好奇心を保つためのヒント、というのを引用する。
1 生活のリズムを守る
2 毎朝、必ず新聞を読む
3 ペースを決めて読書を続ける
4 思い出を文章にまとめる
5 とにかく、歩いて見て回る
6 予習と復習で芸術を堪能する
7 カルチャーセンターで趣味を広げる
8 もう一度、学校で学ぶ
9 語学検定や資格の取得に挑戦する
10 悲しみを率直に話し合う
一読してヒヤリとしたのだが、これって、今のぼく自身の状況とかなり重なっている。つまり、家庭もなく、会社に心身をすり減らすこともなく、生きているぼくが、意図的にしろ、そうでないにしろ、実践してきたことだ。
少し寂しいけれど、こうやってひとりで生きていくのか。
そう考えたとき、例の火の用心のおじいさんの姿が浮かび上がってきた。
だから、あんなふうにみっともなく90過ぎてから拍子木を叩き始めるんじゃない。今まさに、ここから、拍子木を叩き出せばいいんだ、そんなことを思った。
むろん、拍子木というのは比喩だけど。
寄席に行ったときに落語会のチラシを何枚か抜いてきて、うちで見ていた。
柳家花緑さんの独演会のチラシで、花緑さんが今年の自分の活動を振り返って文章にしたためていたのだけど、それを読むと、まあこの人、落語はするわピアノは弾くわ踊りは踊るわ芝居に出るわ映画にも出るわ、実に慌しくいろんなことをしているのだ。落語は、例の「六人の会」の活動もあるしね。その割に、一般のマスコミ的な認知度はどうなんだろ?という気もするが、とにかくこの、半ば呆れるほどの仕事ぶりには、改めて驚いた。
この人、ぼくと年はひとつくらいしか違わないのだ。
少し前になるけど、「東京かわら版」11月号の立川談春さんのインタビューも印象的だった。談春さんもまだ40前だったと思うけれど、何といえばいいか、死の意識、が談春さんの言葉の端々から伝わる。大師匠たちも死ぬんだ、志ん朝師匠も死んじゃったんだ、談志だっていつどうなるか分からない、だから今やらないでどうするんだ、そんな気迫に圧倒された。
こういう人たちは、今も拍子木を叩いているし、このまま死ぬまで叩き続けるのだろう。
ではぼくは、これから何ができるのだろう?
そんなことを自問しつつ、また来年。

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