洗濯。午前のうちに少し遠くに出ようか迷ったが、だらだらしているうちに時間切れ。近所の散歩に変更。

待乳山聖天は正月支度の最中だった。

「奉献 文政三年庚辰秋九月 新吉原神楽講中」と読める。文政三年は1820年。神楽講中というのはよく分からなかったが、神楽が講(信徒集団か)を通じて受容されていたのだろうか。現代の東京が江戸と地続きだったことを思い出させる。

イチョウ(銀杏)かと思うとイチヨウ(一葉)、桜のいち品種らしい。花の中心に一本の葉化した雌しべがあるのでこの名前が付いた、とある。

そうか、この通りの名前「一葉桜・小松橋通り」は、一葉桜が植えられているところから来ているのか。今年の桜の花の時期が終わってからこの通りを歩くようになったので、迂闊にも気がつかなかった。

てっきり、この通りの名前は樋口一葉に関係があるのかと思っていた。逆に樋口一葉の筆名の由来はこの桜だろうかと思うと、Wikipediaを見る限りは関係ないようだ。

通り沿いのカフェで朝飯がてら休憩。BLTサンドとコーヒー。この後向かいのパン屋でクロワッサン(普通のとチョコバナナクロワッサンというもの)を買った。

鳩の街通りのicou(旧TABULAE)が、この土日だけ展示している「泥深い川」というグループ展の会場のひとつになっているので、覗いてから帰宅。先程のクロワッサンを昼飯代わりにした。

再び外出。せっかくなので「泥深い川」のToken Art Center(実は初めて来た)と北條工務店となりの展示をちらりと見た。

東武博物館のホールへ。最初間違えて博物館の入口(グルメシティの向かいあたり)に来てしまったが、ホールの入口は別のところにあるという。なんだ、さっき気づかずに前を通り過ぎていた。

14時からの向島文化サロン「井上ひさしと江戸時代」の第1回「井上ひさしのパロディの世界」を聴講。講師は立教大学名誉教授の渡辺憲司氏。昨日慌てて井上ひさしの『手鎖心中』を読んだのは、今回のレクチャーで取り上げるというから。

レクチャーの中身は、雑誌「東京人」2020年11月号の井上ひさし特集に渡辺氏が寄せた文章をなぞったもの。ただ、余談と脱線が多かったかな。

『手鎖心中』は山東京伝の『江戸生艶気樺焼』のパロディだという。さらに「井上ひさしが戯作者の師と仰ぐ」平賀源内に通じる回路が作中に埋め込まれているらしい。

ユートリヤで「泥深い川」の展示を見た。ちょうど4時で、4階ドームの泉太郎作品に動きが発生するところに居合わせた。

この後、近くのRPSにも寄って、鈴木萌さんの写真展を見た。この作家にとって手製本を作ることが仕事の大きな部分となっているようだ。作家の父親は視力を失いつつあるという。この手製本は「失明への旅」に向かう父親に宛てて発行されたパスポートと言ってもよいだろうか。もっとも、そのパスポートを渡された者はすでに中身を見ることができないのだが。

作家の父親が視力を失いつつあるのは悲しいことだが、もし私もこの手製本のように自分の人生を娘に再構成してもらえたら、ある意味幸せだろうなと思う。むろん私にそんな娘はなく、私の人生は朽ちていくだけだが。むしろ私は20年前に死んだ私の父を蘇生させるべきだろうか。

夜の散歩に。白髭橋を渡って汐入公園まで歩くコース。

いつもの銭湯に。鮮やかな青地に「サウナ水風呂」と麗々と書かれた真新しいのぼり旗が立っていて、少々面映ゆいようである。

湯上りに飲み屋に寄ったら、店内のテレビでM1を流していた。普段テレビを見ないので、これまでM1というのをちゃんと見た記憶はない。チャンネルを変えましょうかと言われたけれど、特に見たい番組があるわけではなく、M1が見たくないわけでもない。杯を重ねながら見るでもなく見て、結局優勝が決まるまで店にいた。

優勝コンビが決まったが、決勝で彼らがどんなネタをやっていたか、ほんの数分か十数分前のことなのに思い出せない。その程度の関心、集中力だったということでしょう。

生ビールと水餃子。その後、生ハイボールとピクルスに替えて続けた。

マスターのお義父さんが帰って、客は私一人になった。10時を過ぎて、ほろ酔いで帰宅。桜橋から見上げる夜空に細長い雲が浮かんでいる。25,703歩。

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