平日だが休み。部屋の片付けに手をつけるが、到底追い付かない。

今年の初めまでは月いちくらいで近所の人たちを家に呼んで、何か適当な口実をつけて飲み食いしていた。誰か人が来るならそれに向けて掃除しようという気にもなる。しかしコロナ禍以後はそういう機会を設けられていないので、今年は例年以上に家の中が片付いていない。

年賀状を出さなければならないが、去年届いた年賀状を見ながら宛名書きをしようと思っていた。ところが、去年の年賀状の束が見当たらない。慌てて部屋の中をあちこち探して、辛うじて見つけることができた。これだけでひと仕事したような気分になる。

お昼をずいぶん過ぎて、遅昼というよりは、もう早い晩飯の時間だが、二階の食堂に。お昼の定食は終わっているから、単品であれこれ頼んで食べた。

曳舟から清澄白河で大江戸線に乗り換えて、六本木へ。

森美術館のSTARS展に。1月3日までの会期だから、今日見ておかないと見逃す可能性が高い。森美術館は平日でも夜まで開いているし、会期も長いので、いつでも行けると思っているうちに終期が迫って、慌てて出かけることになる。

思えば森美術館に来るのもコロナ後初めて。チケット売り場など閑散として、張り巡らされた誘導用のロープが手持ち無沙汰のようである。

本展では、村上隆、李禹煥、草間彌生、宮島達男、奈良美智、杉本博司(展示順)という6名の作家について、過去作から近作まで、数点ずつが展示されている。それぞれの仕事の全容を回顧するにはさすがに規模が小さいが、だいたいこういう人だよ、と言える程度にはまとめられている。

6人の出展作家は世代もスタイルもまちまちで、共通項は日本の現代美術の「スター」として海外の美術界でも名前が通っている人たちということのようだ。出展作家の年表からは、特に海外において彼らが受容されてきた履歴を辿ることができる。さらに、戦後に海外で開催された日本の現代美術を扱った美術展の記録が一覧できるアーカイブ展示も併設されているので、海外(特に欧米だろうが)での日本の現代美術の受容史の上に本展を位置づける意図もあるのだろう。

本展が、とりわけ海外から見たスター作家を選んでいるのは、日本の現代美術の状況をひとつの視点から海外に紹介するというよりは、欧米における日本の現代美術の受容の状況を国内に写し返す趣旨なのだろうか。また、6人の中で一番若い村上隆でさえもう58歳なのも気になった。もっとも、それより若い世代に「スター」がいないということなのかも知れないけど。

ちょっと面白いなと思ったのは、村上隆と杉本博司の、どちらも近作の映像作品。村上氏はアイロニカル、杉本氏はスノッブだけど、どちらも観衆に対してそれをストレートに出してしまったことへの照れを感じる。

全体に、なぜか展示室の雰囲気が仮設っぽく感じられた。美術館というより、イベント会場みたいな。前からこんなふうだったかな。それに引きずられて展示されている作品まで安っぽく見えてしまうように思えた。

個人的には、私が現代美術を見る動機がどんどん薄れていくことへの感慨もあった。もう、現代美術、見なくていいんじゃない?という思い。

ところで、森美術館行きのエレベーターの床面を見ると、social distanceではなく、physical distanceと書かれている。確かに社会的距離と言うよりは物理的距離と言ったほうが明解に思える。

六本木から日比谷線で入谷へ。金美館通りを千束へ歩いて、いつもの銭湯に。

この銭湯に入るのも今年の納め。年末だからか、時間のせいか、ずいぶん客が入っている。変わり湯はラベンダー湯。

銭湯を出て、11時を回っているから、もう飲み屋は開いていない。横目で通り過ぎて帰宅。11,302歩。

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