横浜美術館のデュシャン展を見てきた。
が、諸事情あって、なかなか心を落ち着けて展示を見てまわることができなかった。
これはもう一度出直しだと思う。BankARTも見たい。
作品や展示内容とは関係ない話だが、横浜美術館のチケット売り場で、放送大学の学生証が通用しないのには憤慨した。全科履修生ならいいけど、選科履修生のはダメだって。


これまで、この選科履修生の学生証で学割を断られたことはなかった。この前の森美術館なんて、いかにも会社帰りのサラリーマンです、みたいなスーツ姿で学生証出してもOKだったのに! 横浜美術館最低だ!
ま、それはさておき、気を取り直して、森美術館のアーキラボ展の話を続ける。
今回の展示の全体構成をしたのが、建築家の隈研吾氏だそうだ。
セクション1の展示室では、作品の展示台が透明なハニカム型になっていて、天井からも同じ形のオブジェ?がぶら下がっている。
展示構成は、この展示室で扱っている1950年代、60年代に盛んだったセル型の建築の考え方を反映しているのでしょう。建築物がセル単位で分割可能で、移動可能だったり、要素を追加できたりと。
続くセクション2−1では60年代の日本のメタボリズム、そして一面では建築の博覧会であった70年の大阪万博の資料映像を見ることができる。
ここの展示室では、建築家の菊竹清訓氏のビデオで、菊竹さんが最初は普通にしゃべっていたのに、自分が設計したエキスポタワーの解体の仕方に憤るあたりから、だんだん興奮していくさまが面白かったです。
話は飛んで、最後のセクション4に、隈研吾氏自身の作品が展示されている。
この「グラス・ネット」という作品だけど、建築模型とかデッサン画ではない。
人の背丈くらいの大きさの箱の中には、透明なビニールのフード付きコートと、その下にビデオモニター。コートにはやたらポケットがたくさんあって、その中に市販のお菓子や薬の箱などがいくつも見える。
コートの周りにはニンジンとかセロリといった野菜が彩色されて配置されている。
これが、建築作品なのか?というのが第一印象。
あるいは、まるで棺桶のような。静かな葬儀のような。
解説員の説明を聞くと、このパーカーをデザインしたのは、ファイナル・ホームというブランドを展開しているデザイナーの津村耕佑氏。
ファイナル・ホーム、最後の家ですよね。サヴァイヴァルが要請されるような極限状況、あるいはホームレスの人たちにとっては、衣服そのものが命を繋ぐための最後の家となる。
そうかそうか、人間にとって、最後の最後で、衣と住というのは、一致するんだ。
まあ、わたしも衣と住の部品を扱ってる会社に、いちおう籍を置いているものですから、なるほどなあと感心した次第。
隈研吾氏による「グラス・ネット」プロジェクトの説明
http://www.nttdata.co.jp/rd/riss/ndf/1999/06/lecture_03.html
ファイナル・ホーム
http://www.finalhome.com/history/ph_01.html

“アーキラボ展 その2” への3件の返信

  1. はじめまして。
    今日、国立西洋美術館ではじめて科目履修生の学生証が使えないと言われたので、他にも同じ人がいないか調べていたら、こちらを見つけました。
    それにしても酷いですよね。なぜ全科履修生と科目履修生が区別されないといけないのでしょうか。

  2. コメントありがとうございます。
    国立西洋美術館もダメですか。しばらく行ってないので知りませんでした。
    ぼくの経験では、これまでダメだったのは横浜美術館くらいです。
    学割を断られたときはかなりムッとしましたね。
    実際に勉強してるかどうかじゃなくて、学位取得を目的にしてるかどうかで区別するというのは釈然としなかった記憶があります。
    博物館関係の科目を中心に取ってるんで余計にそう感じました。

  3. 自己レスしますが。
    こないだ横浜美術館に李禹煥展を見に行ったとき、ダメモトと思ってチケット売り場で学生証を出したところ、窓口の女性が、隣の窓口の人に「選科履修生でもいいんだよねー」とか確認して、学生料金でいいですよ、だって。
    なんだ担当する人によって対応が違うのかよー。
    ということで横浜美術館に対する態度は保留しますが、もうちょっとちゃんとしてください。

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