訃報に接して、いろいろ思うところもあるのだが。
ホークスが福岡ダイエーとして初めてパ・リーグ優勝、そして日本一になったのは1999年だったけれど、それ以前のぼくは、ダイエーグループの事業にはあまり関心がなかった。
当時のダイエーグループは、ハワイのショッピングセンターの売却やローソン株の放出など、既に撤退戦を強いられつつあった。


一方でホークスは、常勝球団への足場を固め始めた時期。何かとドタバタもありながらシーズン毎に強くなるホークスと、斜陽のダイエー本体とのコントラストが、最初はヤジウマ的に面白く、そのうちにだんだん本気になっていった。
経営者としての中内功氏も、その頃にはすでに、往時の凄みを失っていたのかも知れない。今のぼくには、評伝で聞くような辣腕のワンマン経営者としての姿よりも、ホークスの勝利に目を細める好々爺という印象しかない。
そもそも、ぼくはダイエーや系列のスーパーで買い物をしたこと自体、ほとんどなかった。富山にもダイエー系列の店舗はないではなかったけど、関西圏や首都圏ほどの存在感はなかったと思う。
かすかな記憶に頼って書くのだが、昔、富山市の中央通りにあったスーパーのタイヨー。この店が、いっとき経営困難に陥って、ダイエーの資本が入ったか何かで、例のオレンジのマークを付けていたことを覚えている。といっても、富山市民でないぼくは、ひやかしに覗いてみた程度かな。タイヨーのあったところは、今はどうなっているのか。あのあたりも、もう何年も行っていない。
あとは、やはり富山市内にあったダイエープラザというショッピングセンター。ここは、実際に行ってみたことさえない。まあ、車じゃないと行けない場所ではあるけど。
今はもう、どちらの店舗もない。ふと、兵どもが夢の跡、という言葉が頭に浮かぶ。もっとも、こんな風景は全国いたるところにあるのだろう。それに、ダイエーの撤退戦はまだ終わったわけではない。
今年前半の、例のライブドアによるニッポン放送買収騒動のとき、堀江社長が、
「失敗しても命までは取られない。失敗してもゼロになるだけでマイナスにはならない。成功すれば無限大。チャレンジしなければ損」
そんなことを言っていたのが印象的だった。
ある意味、中内功さんは、この言葉を地で行った人なのかなあと思う。堀江さんもそうだが、創業社長、オーナー社長だから言える言葉、達する境地なのか。
むろん、会社というのは創業者だけのものではないのであって、従業員とか、他のステークホルダーからすれば、いい迷惑だけどね。
でも、もし、その人に心酔して、その人に賭けて、とことん付いていくことができたら、仮に最後にゼロになったとしても、それも人生じゃないですか。
まあ、今のぼくはというと、会社と人生、分けて考えてますが。
中内功さんが創設した流通科学大学の同窓会のサイトで見つけた、中内さんの言葉。
http://www.yuho-kai.com/from.htm
毎週更新されるこのページを、実はぼく、ひそかに楽しみにしておりました。
もう更新されることはないのか。

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