東京都写真美術館で、ダムタイプの「S/N」の上映があるというので見に行った。
ここだけの話、18時半からの最終回に間に合わせるのは大変でしたよ。はい。こっちはまっとうなサラリーマンなんですから。
世評高いダムタイプ、しかも「S/N」なのだが、生のパフォーマンスはもちろんのこと、映像を見るのも今回が初めて。そういや、何かインスタレーション作品は、前にICCで見たことあったか・・・。
正直なところ、まあ、あんまり知らないんですよね。名前くらいしか。


毎度のごとく予習らしい予習もせずに出かけた。いちおうウェブをざっと検索してみたけど、探し方が悪かったか、これという情報が見当たらなかったんですよねえ。
せっかくなので最前列の真ん中あたりに陣取った。
1時間半の上映時間が終わって、再び場内に明かりが点ると、後ろの席から、「ありがとう、よかったよ」と誰かが話す声が聞こえた。友人どうしが誘い合わせて来たのだろうか。ぼくも同じセリフを言いたい気分だ。だが、誰に?
本当に前知識なかったから、これから始まるものが、ダンスなのか、パフォーマンス的なものなのか、ナラティブな筋があるものなのか、ハプニング的なものなのか、そういうことの一切を知らなかった。
映像が始まって、最初、聾の人が両手にハイヒール持ってひとりでタンゴ踊ってるところに、スーツ姿にマイクを持った古橋悌ニ氏がやってきたところで、まず意表を突かれた。
てゆうか、最初は、それが古橋氏かどうかさえ知らなかった。
しばらく見ているうちに、次に出てきた「ピーター」から「悌ちゃん」と呼ばれているのを見て、ああこの人がやっぱり古橋悌ニか、と思ったくらいだから。
古橋氏がいきなりマイクを持って客席に向って説明しだすのにも驚いたが、まあ、これはヘンなところに目をつけてしまっているかも知れないけど、その古橋氏の言葉の端々に関西のアクセントが感じられるのがちょっと面白かった。そうか、この人は関西人(京都人?)なんだなあ、っていう。
現代美術でくくられてるものって、割とローカリティーが去勢されてる場合って多くない?東京に暮らして東京で見られるものばかり見てるから、そう思うのかなあ?
ぼくが方言のアクセントとかイントネーションに敏感すぎるのかもしれないけど、古橋氏の言葉を聞いて、急にダムタイプとか古橋氏個人について、京都のユニット、とか、京都の人、というふうに意識するようになってしまった。いいのか悪いのか。
(もしかしたら、続く)

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