ふたたび、「英語に弱い男 東は東西は西」の話に戻ります。
前回も触れたように、この映画が公開されたのは1962年。今から40年以上も前ですよ。こう書くと、なんだか途方もない昔のような気がしますが・・・。
ともあれ、ざっと、あらすじをご紹介しておきましょうか。
小沢昭一さんが扮するのは、寿司屋「江戸ッ子寿司」のオヤジ。その名のとおり、江戸っ子気質の寿司職人で、腕前は確か。先年、奥さんに先立たれたが、高校生の娘(田代みどり)と小学生の息子がいる。
この「江戸ッ子寿司」のお向かいにも寿司屋があって、店の名前は「レッド・フィッシュ」。ここの主人(藤村有弘)は、西洋かぶれといおうか、アメリカかぶれというべきか、何かと言うと英語が口をついて出る。握る寿司も、ハムだのソーセージだのをタネに、ソースをつけて食べるっていうもの。そんなわけだから、小沢さんとは、全然そりが合わない。二人が顔を合わせば、いつも大喧嘩。四六時中いがみ合っている。
レッドフィッシュの一家にも子供が二人いて、こちらのほうは高校生の息子と小学生の娘。親同士の仲は最悪だけど、子供同士はお互いに仲良し。それに、高校生のふたりは付き合っているみたい。恋愛は障害を乗り越えるから面白い、障害がないとつまらない、なんて言っている。
そんな二軒の寿司屋の家族ぐるみの関係に、小沢さんの再婚話や、新しくできるホテルがテナントに入る寿司屋を探している、なんてエピソードがからみながら、物語が展開するわけですが。
さて、この映画、前に紹介した二作と比べて、見ていてちょっと照れくさい。というのは、けっこう時代性を感じるところがあるのです。
映画の冒頭、小沢さんちの娘とお向かいの息子が通う高校。英語の授業中の教室に、校庭からラグビーボールが飛び込む場面からして、なんだか昔の青春ドラマっぽい。
近所の料亭、といってもごく気安い店で、町内会の寄り合い。場所の設定はどこだろう、柳橋のあたりか。夏祭りでは毎年お神楽をやっているのに、レッドフィッシュのマスターは、今年はツイストをやろうと言い出して、小沢さんと大モメ。収拾がつかないものだから、間を取って、お神楽のお囃子でツイストを踊ろうか、なんて話も出ますが、うまく踊れるわけがない。
負けず嫌いの小沢さん、自分もツイストを踊ってやろうと、その料亭の芸者、冷や奴に頼んで、ツイスト喫茶なる場所(そんなのがあったのか)に出かけるわけですが。
しかし、ツイストですよ、ツイスト。世良正則じゃありません。
アメリカ人の経営者が、新しく建てるホテルにテナントとして入る寿司屋を探しているという。英語自慢のレッドフィッシュが有利と見えると、負けじと、小学生の息子に混じって塾に英語を習いに行く小沢さん。当時、英語ブームみたいなものがあったのか。ホテル建設の話もそうだが、2年後に迫った東京オリンピックを当てこんだところがあるのだろう。
「大当り百発百中」や「猫が変じて虎になる」も、この作品とほぼ同時期に公開されているけれど、この二つの作品はそれほど時代性を感じなかったのは、こういった当時の流行や風俗の描写が比較的少なかったからじゃないかと思う。
というわけで、この「英語に弱い男 東は東西は西」ですが、後日、宮坂おとうさん主宰のサイト「私の小沢昭一的こころ」の掲示板を見て、感じ入ったことがひとつ。やはりラピュタ阿佐ヶ谷でこの映画をご覧になった宮坂おとうさん曰く、
「この11年後に昭一的こころ 始まったんだなーと懐かしい顔ぶれに感慨ひとしおでした」
えっ?例のラジオ番組「小沢昭一の小沢昭一的こころ」が始まったのって、この映画のほんの11年後なの?
改めて調べると、1973年放送開始っていうから、確かに11年後だ。
この映画の当時と、いま自分が生きている現在との間には、ものすごい隔絶があるように漠然と思っていたのに、そこに「小沢昭一的こころ」を持ってくると、急に時間が連続して感じられる。不思議なものですね。
これは、いうまでもなく「小沢昭一的こころ」が、それだけ長く続いているからですが、まあ、かくいう自分だって、1972年生まれだから、番組より年を食ってる。ご大層にいうほど若くもないですか。
私の小沢昭一的こころ
http://www.geocities.jp/ozawa954/