トリエンナーレ作戦会議Vのメモ
川俣氏、トリエンナーレはなぜ同じ日にやらないのか(同時期に開催しないのか)と提起。世界一周トリエンナーレ、ビエンナーレツアー。
アーティストは夢があっていいですね、と加藤氏。
加藤氏曰く、「シティアート」は、地域のお絵かき教室的芸術活動や、また日展に代表されるヒエラルキー型のアートとは違うという。
地域のお絵かき教室的芸術活動と、ここでいうシティアートには、本質的な違いがあるのだろうか、あるとすれば、それはどこにあるのかと、ふと疑問。
確かに地域のお絵かき教室的アートは、圧倒的にツマラナイものが多いが(私の偏見)、逆に面白ければいいと思うし、結局はそれが面白いかどうかで分けるしかないのではないかと思うのだが。
都会も地方もそうだと思うけれど、60近くなってヒマになったおじさんおばさんが、お絵かき教室的な活動に参加してますね。
市民活動とアートの結びつき・・・。現実のほとんどはものすごく圧倒的につまらなくて、そのお題目との距離が。
だから、「あなたの作品はツマラナイですよ」とおじさんおばさんたちに言って、それで大議論なり大喧嘩になったりしたら、それはそれで面白いけどねえ。
そもそも、30代40代50代のサラリーマンとか主婦の人たちって、まず現代美術とか見ないですね。みんなそれぞれの人生で忙しいんでしょうが。それが、60近くなっていきなり老後のイキガイとか言ってお絵かき教室に通いだすとは。
このへんの距離を埋めるのは、かなりの難題のような気が。
黒田氏のいう、観客(=描かれる人)が目の前で作家が変化していくのを目撃することができるのが似顔絵というのは面白いねえ。
子供がよろこぶ場所はいい場所、というのはいいですね。とりあえずそこから囲い込むということだ。横浜美術館もがんばりましょう。
今回のトリエンナーレは、会期を通してかかわっている作家が多い。ディレクターの川俣氏はじめ、堀江氏、黒田氏など。まさにアーティスト・イン・レジデンスというわけだが。
美術手帖のトリエンナーレ特集号に出ていた、飴屋法水氏の記事のことを思い出したぞ。
サポーターの数が、最初は800人とか言っていたのが、最終的に実際に活動していたのは100人くらいだったんだって。多いのか少ないのか。私は、案外少ないんだなと思った。
アートと行政、市民についての話を聞いていて、ふと亡命政府という概念が頭に浮かんだ。例えば黒部市亡命政府。臨時首班ワタシ。とか。
場所はウェブサイトでいいわけだ。で、そこでトリエンナーレをやる。
第1回黒部トリエンナーレ。略称クロトリ。勝手にディレクターやらキュレーターを決めて、作家をアサインする。いや、私がキュレーターだ。
国際展なのに外国のキュレーターがいないという批判。すっかり気が付きませんでした。
磯崎新氏が急遽ディレクターを降りたという話。確かに、横浜市民はどの程度自分たちの問題として切実に感じていた(いる)のか。私などは、遠い場所、遠い先の話として聞き流していたような記憶があるが。詳しくは知らない。行政評価、アカウンタビリティーの観点からも、もっと詳らかにされるべき問題だろう。
トリエンナーレのディレクターを決めるのは組織委員会ということになっているが、組織委員会の中で、国際展のノウハウがあるのは国際交流基金だけで、交流基金の理事長の鶴の一声で磯崎氏に決まったとか?それもどうか。
作戦会議、という名称が。なんで戦争のメタファーになるんだろう。ふと思ったこと。
そういえば、だ。ここで書いておこう。横浜トリエンナーレ、略してヨコトリなのか?ハマトリなのか?
横浜スタジアムは、ヨコスタじゃなくて、ハマスタでは。FM横浜は一時期、ハマラジと言ってたでしょう。
今回の作戦会議でも、ヨコトリという言い方がされているが、ハマトリのほうがいいと思うんだけどなあ。改称望む。
行政に対して、市民が意見・苦情を伝えるにあたって。
ZAIMのボランティアの若い人が、どこに意見を言っていいか分からない、窓口をつくって欲しい、と言っていたことに対して、川俣氏が一喝していたが。確かに甘ったるい発言ではあるね。本当に言いたいこと、やりたいことがあるのなら、どこに言えばいいかくらい、自分で探さないと。
そうした市民の意見、苦情の受け口の機能は行政が担ってきたわけだが、行政に任せすぎて吸収されてしまうという現状。
市民による合意形成の基盤(場、仕組み)づくりの課題。
でも、それって「議会」っていうんじゃじゃないの。行政や議会が機能していないという現状。
土建屋みたいな議員がハコモノ作りで利益を分配しているような感じだものね。地方議会は。横浜市は知らないけど・・・。文化的な公共事業、文化行政について議論する場になってないわけだ。議会が。
会場からの意見で、横浜の中心商店街がハマトリに対して冷めているという指摘。2001年のトリエンナーレに対して、あそこは横浜じゃないよ、あそこは埋立地だよ、って言ってたんだって。今回はどうなのだろう。
2001年のトリエンナーレの結果から学んだこと、継承したことはあったのだろうか。
そして今回は、というのが、今回の作戦会議の論点であったわけだが。
まあ、4年も経つと忘れちゃうね。2001年のオノ・ヨーコの作品がしばらく残されていたのが、そのうちキモチ悪いって言って撤去されちゃったというけど、どんな作品だったかすっかり忘れてしまっていた。
うちに帰って図録見直して、あれか。あの貨車の作品か。
今回のトリエンナーレでは、ルック・デルーのコンテナの作品が残されるのだろうか。
12/22 トリエンナーレ作戦会議V <市民シンポジウム>開催!
http://www.ycan.jp/archives/2005/12/v.html
お知らせ “ZAIM サテライトスタジオ” OPEN
ポートサイド・ステーションのサテライト・スタジオが
ZAIM(ザイム=旧関東財務局・旧労働基準局)の1階に オープンしました。
ZAIM(ザイム=旧関東財務局・旧労働基準局)が横浜市の歴史的建築物の新たな文化芸術活用モデルとして、
アーティスト・NPO・サポ…