野毛でお酒を飲んで帰ろうと思い立ったときの話。
あるおでん屋に入ったのだけど、常連さんの雰囲気に気おされるような感じで、程なく店を出た。まだビール1本しか飲んでいない。
物足りない気分で、野毛の町をあてずっぽうに歩いていたら、不意に、また「おでん」という看板が目に留まった。


入ってみようか。看板や店のつくりを見る限りは、大衆的な雰囲気だけれど・・・。2階からカラオケの音が通りまで響いている。が、これは別の店のようだ。
しばし、店の前で躊躇していると、ガラガラと引き戸が開いて、サラリーマンふうの二人連れの酔客が出て行った。
意を決して中に入った。テーブル席で差し向かいに座っている先客が二人。
古そうな店だ。さあ、3、40年ほども経っているのだろうか。
カウンター席に腰を下ろして、今度はお酒をお燗でお願いする。
カウンターの中ではおでんが煮えている。これは「いわゆるおでん屋」だと思う。
何を注文しようか。短冊の品書きを見るふうにして、それとなく店内を見回していると、張り紙がしてあって、この店、なんと12月末で閉店するのだという。
せっかくいい雰囲気の店に入れたのに、残念。が、閉店間際、そういうところでお酒を飲めただけ、よしとすべきか。
燗酒をお代わりするころには先客は帰って、店の中はご主人とぼくだけになった。テレビでは気の早い大雪のニュースと、例の耐震偽装問題。
このお酒はおいしいでしょう、とご主人。昔はこのお酒を入れているのはうちぐらいだった。店の名前も銘柄からとったのだとか。そう言われれば、そうなのか。
仕入れには気を使っていて、おでん種は三ヶ所から分けて仕入れているとか、なんとか。
前に、飲兵衛ラリーのときに野毛に来たことを話すと、ご主人は、あの企画にはあまり好意を持っていない様子。うちは参加しなかった。野毛でも古い店は参加していないよ。
飲兵衛ラリーの主催者のことは詳しく知らないが、ご主人の話しぶりから想像するに、この町の外の人間か、あるいは比較的新しい住人が携わっているのだろう。そのような人によって、野毛の町が一過性のお祭り騒ぎの場になることが、本意でないのかも知れない。
仮にそうだとしても、あの飲兵衛ラリーがなかったら、ぼくは野毛の町は知らないままだったろうし、この店で飲むこともなかっただろう。むろん、他にもそういう人たちはいるはずだ。
だから、それはそれ、必ずしも悪いことばかりではないんじゃないですか、という言葉は、お酒と一緒に飲み込んだ。
あと、ほかにどんなことを話したかな・・・。
娘さんが川崎のほうのマンションに住んでいる、というのは、耐震偽装のニュースをやっているときに聞いたのか。壁に貼ってある子供の描いた絵は、あれはひょっとしてお孫さんのものだろうか。
飲み屋では、あんまり自分のことは喋らないように気を付けているのだが、酔いと雰囲気に任せて、今の住まいだの、出身地だの、ご主人にいろいろと喋ってしまった。まあいいか。
それからしばらくして、また横浜に出かけて、やはり、いい時間になった。
今度は、最初からこの前のおでん屋に行ってみよう。
多少時間が早いせいか、今日はお客さんが結構入っている。あるいは、閉店が近いせいか。
カウンター席が空いていれば、そちらのほうがいいのだが、間を割って入るほどでもない。もう少しで帰りそうな人もいるので、テーブル席に腰掛けて待つことにしようと思う。
カウンター席に移って、燗酒とおでんを頼む。
ご主人と、寒いですね、などと、他愛のない会話を二言、三言交わす。どうやら、この間のことは覚えてくれていないようだが、それはそれで気を使わなくていい。
店を畳んだら、この燗付け器を譲ってくれという人がいるんですよ。常連らしいお客さんたちと、ご主人が話している。
あと1週間ほどで、このお店もこの空間もなくなっちゃうのかと思うと、まだ2回目だというのに、どんどん感傷的になってくる。
酔っ払わないうちに、そろそろ失礼しようか。お勘定をお願いします。
このお近くなんですか。
いえ、近くはないんですけど。なんだかひとりでお酒を飲むくせがついちゃって。
それで、桜木町から電車に乗って、錦糸町に帰った。

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