今朝の「愛の流刑地」もいいねえ。末尾の一文を引用する。
「いまの菊治には、哀しいけど自慰することだけが、尊大な法に逆らう唯一の手段である」
こんな文章初めて見た。そうか、人間(あるいは男だけか)にとって、自慰こそが極限状況下における国家権力への最後の抵抗手段となるのであったか。うーむ。
堀江社長にも、ぜひ実践していただきたいものだと思う。
ま、そんなことはともかくとしてですな。
唐突だけど、少し態度表明をしておく。
ぼくは、このサイトでは、基本的には、自分自身がその場に足を運んで、自分の目や耳で見聞きしたことについて、覚え書きをしておくというつもりでいる。
だから、例えばテレビや新聞などから間接的に見聞きしたことについて、時評めいたことを書くのは、なるべくやらないようにしている。
後者のようなテキストは、インターネット上の個人サイトやブログにいくらでもあることだろうし、であれば、ぼくが書くまでもないなという思いもある。
まあ、所詮、ぼくのテキストなど、こうしてウェブに公開したとして、ごくわずかな方の目に触れるだけだろうし、あまりこだわっても仕方ないのだが、ともあれ、自分としてはそういうふうに心がけている。
だから、前回の文章で、あんなふうに青臭い能書きを並べたのは、ぼくとしては、ちょっと例外的なことであった。
それだけ、今回の一連のライブドア絡みの報道を見ていて、検察の捜査についてというよりは、むしろそれに対するマスコミの姿勢かな、どうしても違和感がぬぐえなかった。
マスコミは、ライブドアなり堀江社長なりに不正の疑惑があるのなら、どんどん取材して報道すればいい。が、これまでずっと、そんなことはおくびにも出さず、堀江社長を時代の寵児みたいにチヤホヤしておいて、強制捜査が入った途端、検察の言うがままに、連日の疑惑報道だなんて、まるで、自分たちに取材能力がないってこと、自分で認めてるようなものじゃないんですか。そういうのって、権力を笠に着るっていうんじゃないんですか。今までさんざん、堀江社長を持ち上げてきたことについては、どう落とし前をつけるんですか。
実に、ナサケナイことだと思う。
うーむ。また憤ってしまった。
ここでまた、話を変える。
少し前に、銀座のギャラリー58で、美術家の池田龍雄さんの話を聞いてきたことを覚え書きしておいた。
そのとき、池田氏と美術史家の小沢節子氏との対談の中で、詩人・美術批評家であった瀧口修造が、戦前の1941年(昭和16年)に特高警察に検挙・拘留されたことについて話題が及んだ。
瀧口本人は、検挙の期日を同年の3月5日であったとし、自筆年譜にもそのように記している一方で、当局の記録などから、実は4月5日とする説もあるのだが、瀧口は自分の記憶を信じるという。
この件については、雑誌「現代詩手帖」2003年11月号の瀧口修造特集の中で、鶴岡善久氏が詳しく触れている。鶴岡氏は、当局の資料を瀧口宅に持参して、やはり検挙日は3月5日ではなく、4月5日が正しいのではないかと問いただした。以下、鶴岡氏の文章から引用する。
瀧口修造はページにさっと目を通してすぐさまぼくを見すえて「鶴岡さんね、私は官憲などというものは、いっさい信用していないのですよ。」といったまましばらく沈黙した。ぼくはその言葉を聞いたとき大きなショックを受けた。これはもう信念あるいは思想の問題なのだと直観し、官憲の資料をもちだして訂正を迫った自分が急に恥かしくなった。
「正しさ」ってのは、怖いものだと思う。特にそれが、権力とともに現れるときは。
が、ときに、強い信念は、薄っぺらな正しさを超えて伝わることがある。
官憲に対する、瀧口のこのような態度は、後の千円札裁判にもつながるものだろう。
あの裁判にしたって、法廷の場で、千円札の模造は芸術だと主張して、それが裁判の帰趨にとって、どんな意味があるのだろう。それでも、瀧口は証言台に立ちつづけた。
もしかすると、きのう、おとといからの流れで、こんな話を持ち出すと、「愛の流刑地」の作家、堀江社長、そして瀧口修造を、ぼくがまるで同列に論じているように思われてしまうだろうか。
それは、必ずしも本意ではないけれど、でも、こうして並べてみると、国家権力というものが、不意に、圧倒的な力でぼくたちの前に現れるときがあることを、考えてみるきっかけにはなるのではないかと思う。
そして、そのようなときにでも、持ちつづけられる信念はあるのか。多分、そういうことが問われるのだろうと思う。