日経の「愛の流刑地」を流し読みしながら、ぼんやりとそんなことを考えているときに、例のライブドアへの強制捜査が報道された。
ライブドアの関係者が、実際にどんなことをしていたのか、それは知らない。
が、それはそれとして、前回書いたように、どんな事件であっても、検察の見方はあくまでひとつの見方にすぎないのだから、常に相対化して見る視点が必要だ、とは常に思っている。
だが・・・。


強制捜査翌日の各社の報道を見て、非常に違和感を覚えた。
ライブドアマーケティング社は、現時点では検察の捜査の対象になっているだけで、起訴されているわけでもなく、むろん有罪が確定しているわけではない。また同社関係者が違法性を認めているというわけでもない。
それなのに、新聞、テレビでぼくが目にしたどの報道でも、あたかもライブドア側の違法性が明白であるような言い方をしていた。あるいは、少なくともぼくにはそう感じられた。
マスコミには、読者や視聴者の知りえない情報もあるのだろうし、そうしたさまざまな情報から勘案して、ライブドア側が有罪となる可能性が高いと判断しているのかも知れない。また、東京地検が強制捜査に入ったということは、これまでの他の事件の例などからみて、確実に裁判で勝てるような有力な情報をすでに掴んでいるからだ、という話もある。
しかし、それとこれとは話が別である。
特に、今回のライブドアマーケティング社の場合、風説の流布ということが問題になっているのであれば、報道における表現は、よほど慎重、客観的であるべきではないのか。
さらに、先日の強制捜査以降、今回の捜査で直接嫌疑の対象になっている問題だけでなく、株式分割や、株式交換による企業の買収をはじめとする、これまでライブドアが行ってきた財務手法や経営手法が、さも重大そうな疑惑のように、今回の捜査と同じ文脈の中で取り上げられ始めている。
しかし、多かれ少なかれ、そんなことはとうの昔からみんな知っていたことではないか。ライブドアは、法律の整備の遅れている領域を突くと同時に、常に新しい話題を提供することで、急速に成長してきた。その間、ある意味でマスコミはライブドアの成長の片棒を担いできたともいえるわけで、ライブドアのそうしたやり方は、マスコミの皆さんは先刻ご承知ではなかったのか。
しかも、そうでありながら、これまでさんざんライブドアや堀江社長を、蝶よ花よ、ともてはやしてきたのは、どこの誰なのか。
検察が強制捜査に入ったとたん、大マスコミが揃いもそろってライブドア糾弾、ホリエモン叩き、しかもそれが、検察の動きに呼応しているように見えるところに、危うさを感じてしまう。
繰り返すが、別にぼくは、ライブドアがいいとか悪いとかを言っているのではない。
法律の解釈について、検察とは異なった見解もありうるだろうし、仮にライブドア側に違法性があったとしても、それはそれとして、彼らがこれまで行ってきたことに、別の観点から意義を見出すことだって可能だろう。
少数意見であってもいいから、マスコミからそのような見解が示されることが、言論の多様性につながるのではないか、と思う。
ぼくは、一連のライブドア関係の報道で、どこか一社でも、単なるライブドア叩きとは違った観点から報道を行っているところはないかと思って見ていた。が、ぼくが目にした範囲では、明確にそのような論調を打ち出しているところはないようだ。
・・・と思っていたら、あった。だが、それは日本国内のメディアではなかった。
ライブドアに主流派の「報復」=型破りな人材必要−英紙社説
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060118-00000026-jij-int
日本の市場自由化に影響も 英誌、堀江氏の進退で
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060120-00000283-kyodo-bus_all
このような論旨には、当然、異論もあるだろう。
が、そこから議論が始まればよいのだし、マスコミがライブドア糾弾一色で塗りつぶされた状況よりは、よほど健康的だと思う。
以前、堀江社長は「新聞・テレビを殺す」というような発言をして物議をかもしたことがあったが、今回の一連の報道を見ていると、堀江氏とは別の意味で(あるいは同じことになるのだろうか)、それもむべなるかな、と思ってしまうのだ。
日本の新聞の中では、この記事が興味深かった。
ホリエモンと国家権力
http://www.sanin-chuo.co.jp/column/modules/news/133078034.html
このコラムで取り上げられている「光クラブ事件」というのは、これまで知らなかった。どうして大マスコミにはこういう切り口がないのだろう。

“「愛の流刑地」とライブドア” への2件の返信

  1. 「愛の流刑地」

    日経の朝刊に、渡辺淳一が「愛の流刑地」という小説を連載している。 いつから連載が始まったのか。普段、新聞に目を通しても新聞小説はまず読まないし、もともと小説好きとはいえないぼくは、実はこれまで、この作家の作品をまともに通読したこともない。 だいたい今だっ…

  2. 「私は官憲などというものは、いっさい信用していないのですよ」

    今朝の「愛の流刑地」もいいねえ。末尾の一文を引用する。 「いまの菊治には、哀しいけど自慰することだけが、尊大な法に逆らう唯一の手段である」 こんな文章初めて見た。そうか、人間(あるいは男だけか)にとって、自慰こそが極限状況下における国家権力への最後の抵抗…

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