この話の続き。
前回書いたようなことは、程度の差こそあれ、多くの人が経験しているのではないか、と思う。
ただし、ぼくの場合、その女の人のキャラクターのせいもあって、その人が電話に出る前と出た後の口振りの差が、余計に大きく見えた、いうことはある。
そしてもうひとつ、今にして思えば、当時のぼくは、商売で売り手の側に立ったことがなかったので、その人の態度の変化を、ただ奇異なものとしか認識できなかったのだろうと思う。
コンビニやファーストフードなどで、客商売のアルバイトの経験のある人なら、目の前の客に媚を売ったり、美辞麗句を弄したりということは、日常茶飯だろう。
そうであるなら、客とそうでない人とで、こちらの態度をガラリと変えることなど、さほど驚くことではない、と考える人も多いのかも知れない。
一方、ぼくは高校時代はもちろん、大学生になって東京で暮らすようになっても、ほとんどアルバイトの類はしたことがない。まったくゼロではないですけどね。でも、それは、運送屋の手伝いとか、事務所でパソコンに向って書類の作成とかで、いずれにしても、コンビニやファーストフードみたいに、一見の客に愛想をふりまくような商売ではない。
また、自分の身近を見ても、客商売でメシを食っている人というのがいなかった。
ぼくの田舎は、田園地帯に戦後になって大工場が建った、という土地柄で、小学校の同級生を思い浮かべてみても、だいたいみんな、その工場に勤める工員か農家、あるいは兼業農家の子どもばかり。近所には昔ながらのよろず屋ふうの商店が1、2軒あるだけで、買い物や外食には、とことん不便な土地だった。
が、それでもあまり生活に困らなかったのは、多分、昔の田舎って、あんまり貨幣経済が入ってないというか、要は、お金がなくてもそれなりに暮らしていけたんだね。
うちもそうだけれど、農家でなくても、たいていの家には小さな畑があって、自分のうちで食べる分くらいの野菜なら、そこでまかなえてしまう。また、自分ちで作ってないものも、よその家からもらえたりするんだね。うちにある野菜と物々交換したり、田植えを手伝って、秋にお米をもらったりとか。だから、お店で買ってこなきゃいけないのは、魚とか肉くらい。
しかも昔は、外食なんて滅多にしなかった。これは、うちが田舎で貧しかったということもあるけれど、都会でも高度成長期以前は、独身者は別として、食事は自宅でするのがほとんどだったんじゃないかな。例えば、サザエさんなんかを見てもそう。食事のシーンといえば、茶の間で一家揃って、というのばかりだし、デパートに出かけて食事や買い物をするのって、たまのイベント扱いでしょう。田舎と都会で程度の差はあったにしても、昔は、ハレの日とケの日の区別がはっきりしてたんだね。
ま、今となっては、ぼくの田舎にも、一面では都会とそう変わらないような消費生活が根付くようになった。街道沿いのスーパーやコンビニなどでアルバイトをしている人も多いことだろう。今の若い人たちにとって、当時のぼくのような商売についての不感症ぶりは、良くも悪くも、すでに過去のものになっているのかも知れない。
この話、もう少し続けよう。