特急と各駅停車とでは、景色の見え方がだいぶ違うものだと思う。
越後湯沢でほくほく線の各駅停車に乗り換えて、六日町あたりをトロトロ走っていると、特に築が浅い家屋は、みんな上げ底したみたいに床下が高くなっているのが目に付く。雪が深いと、玄関が高いところにあるほうが出入りの時に都合がいいんだろう。
一方、松代の商店街は古い家が多いから、上げ底の家はそれほど目立たないけれど、やはり新しい家は床下が高い。
今、この文章を書いていて思い至ったのだけど、あるいは、六日町のあたりは先年の地震の被害でどの家も新しく建て直さざるをえなかった、だから、あれだけ上げ底の家が目に付くようになったということなのか・・・。
ともあれ、そういう家では玄関が地面から階段で0.5階分くらい上がったところに付いていて、えてして床下の空間は物置代わりになっている。
なんだか、その空間が、見ていておかしい。
要するに、どうしても物置にする場所が必要だから上げ底にしたわけではなくて、まず上げ底にする必要が先にあって、後からその場所を物置に使ったという順番だ。だから、床下が妙にがらんとしていたりする。
冬であれば、家を上げ底に作る意味が目に見えて分かるのだろうけど、こうして夏に見ている分には、まるで上げ底にするためだけに上げ底にしたかのような、意味のない空間に見えてしまう。
しかし、改めて考えてみると、雪国にはそういうものが多い。真夏の除雪機は、無用さをさらけだすのを避けるみたいに、暗い倉庫のなかで息をひそめている。例のかまぼこ型倉庫だって、意味もなくあんな形をしているわけではないのだ。
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狭い入口から背をかがめて中に入り、「土間の寝室」に寝そべって天井を見る。この中途半端な高さの土間も、もとは、その上げ底の空間じゃないのかな。
写真はないけど、除雪機の倉庫のなかで見た映像作品。緑の稲田をわたる風。一歩外に出れば本物の田んぼはいくらでもあるのに、それをあえて除雪機の倉庫で見る倒錯。
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小沢剛のかまぼこ型倉庫で遊ぶ子供たち。
確かにかまぼこ型倉庫はあちこちで見かけた。が、決して昔からあるわけじゃなくて、ほくほく線の建設以来というから、せいぜいここ2、30年くらいのものなのだ。
ああいうスタイルって、そんなに早く伝播するものなのかねえ。
余談だけど、あの形をかまぼこ型と言うのって、やっぱり東京の人の感覚なんだろうなあ。富山人がかまぼこ型倉庫って聞いたら、渦巻き型の倉庫だと思うんじゃないの?