われながらまた粋狂なものだね

しがないサラリーマンとして生きているわけです。
こうして生きていて、あまり救いがないわけです。ただ、たまに美術館に行ったりすると、少し救われる気持ちになる。
これは、誰かに言われて行っているわけではなく、また、たいていは、誰かと一緒に出かけているわけでもない。
ぼくが美術館などに行くようになったきっかけは、昔に出会った何人かの人の影響があったにしても、今となっては、ごく個人的な動機であり、個人的な体験にすぎない。なにしろ、ぼくの個人的な救いだから。


昼間は飯を食うために仕事をしたり、夜はじだらくに酔っ払ったりしているので、それほどたくさんの展示を見ているわけではないし、作品や作家についての知識もない。
それでも、多少の欲はあって、できればもう少し美術に近いところで生きていければいいなと思うし、何か自分にできることがあればと思う。
むろん、自分が作家になれるとは思わないし、なろうとも思わない。
それに、自分の能力はもちろん、投入できる仕事量にも、限りがある。
それでは、美術と、どういうかかわり方があるかと考える。
この場では、あまり細かに書くことは控えるけれど、仕事柄、会議用の資料を作ったり、お役所に提出する文書を書いたり、会計の書類を整えたりということは、さんざっぱらやっている。もっと具体的に言えば、非営利組織の裏方の仕事なら、自己流の部分も大きいとは思うけれど、少しは自分にも手伝えそうな気がする。というか、そのくらいしかできない。
芸術や文化活動の助成となると、プログラム面のことは、よくわからない。しかし、制度面、運営面では、おそらく共通する部分が大きいのではないかと勝手に思っている。
とはいえ、組織やプロジェクトの管理について、ぼくなどよりはるかに長けた人は世の中にいくらでもいる。そういう人たちとお前はどこが違うんだ、と言われれば、返す言葉に窮する。
ともあれ、こうして、アート(アーツ)・マネジメントということに関心をもつようになった。
3年ほど前から、放送大学の選科履修生として、半期に2、3コマくらいずつ、放送授業を履修している。このことは前にも書いた。
放送大学には「アーツ・マネジメント」という授業があって、ぼくは去年(17年度)にそのアーツ・マネジメントの(’02)を取って、この2学期に、また(’06)の授業を取った。余談ですが、この授業は、通信指導も単位認定試験のどちらもマークシートでしたから、全科履修生の方で手っ取り早く単位を取りたいという人にはお勧めですよ。
さて、アーツ・マネジメント(’06)の第14回の講義は、加藤種男さんが担当されている。
テキストを読むと、ぼくが日頃美術館に出かけていて、あるいは社会人、企業人のはしくれとして生きていて、漠然と感じていながらうまく言語化できずにいたことを、明快かつ力強く文章にされていて、目が覚める思いがした。
去年、やはりこのアサヒ・アートスクエアで開講していたAAF学校に途中から出かけるようになって、加藤さんが講師の回も1、2度聴講したのだが、そのときのひょうひょうとした雰囲気とは、また違う一面を見たようにも思った。
が、あるいはその雰囲気は、長年美術と企業の現場で切ったはったをされるなかで身に付けてこられた、ある種のしたたかさの現れなのかも知れない、と思い直した。
そうして今年も、性懲りもなく、AAF学校2007に出かけた。
冒頭に書いたように、ぼくが美術館に出かけているのは、きわめて個人的な動機であり、体験にすぎない。自分の目以外で見られるわけもなし、畢竟、美術を見るということはそういうものではないかとも思う。
一方、ぼくがどこかの美術館やギャラリーで、誰かの作品を見ることができるのは、それがどれだけ自覚的、体系的に行われているかは別にしても、その作家や作品を、社会的な文脈におくための仕事をしている人がいるからなのだ。
そうした、個人的な体験としての美術を見るということと、「アートと社会のえんむすび」というアート・マネジメントとの関係を、自分の中でどう考えていけばよいのか、よくわからない。
あるいは、いくらかでも美術にかかわりながら生きていきたい、などと変な欲を出さずに、ただ自分ひとりのこととして美術を見ていきさえすればよいのだ、とも思う。だいいち、お前にいったい何ができるというんだ。
他の参加者の方は、どんな思いを抱えて、このAAF学校に参加されているのだろうか。
* * *
AAF学校2007 vol.1
会場: アサヒ・アートスクエア
スケジュール: 2007年03月15日 19:00?20:30
住所: 〒130-0001 東京都墨田区吾妻橋1-23-1 アサヒスーパードライホール4F

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