金沢に行ってきた。
で、21世紀美術館に行ってきた。これで2度目。
企画展の「リアル・ユートピア」展を見たのも2度目。
が、今回は諸事情あって、じっくりと展示を見て回ることができなかった。
取り急ぎ、今回印象に残ったことだけ覚え書きしておく。


木村太陽の洗濯籠を使ったビデオ・インスタレーションの作品。あれは作品の構造的に一回に一人ずつしか見ることができませんから、誰かが洗濯籠の中を覗き込んでいる間は、次の人は後ろで待ってないといけない。そういう客が長蛇の列を作っていた。
その様子を、ガラスの壁の向こうから客観的に見ていると可笑しくてたまらない。あるいは、こういう可笑しさも作家の意図したところなのだろうか。だとすると、ちょっと意地悪な意図だな。でも、ぼくはこういう可笑しさが好きだ。
草間彌生の鏡を使って梯子が上下に永遠に続いているように見える作品。ほお、と声を上げつつ天井を仰いだり底を覗き込んだりしてから、帰ろうとして出口のほうを振り向くと、出口のすぐそばに係員がじっと座っていて驚く。全然存在に気づかなかった。分かったようなことをずっと言ってたのを聞かれて恥ずかしいじゃないですか。
そのくせ、同じく草間彌生の、暗くした部屋じゅうが原色のドットで埋め尽くされた作品の中には係員はいないのね。もしあの中に係員がいたらスゴイ。長時間いると気がおかしくなりそうだ。
岸本清子という作家は知らなかったのだけど・・・。もう亡くなっている人なのだね。
「怪獣文明」という作品を見ると、下に時刻が書き添えてある。これは前回見落としていた。一枚の長大な作品の中に時間軸があるんだ。何か、物語を内包しているんだな。ということは、絵巻物的なのかもと思う。どんな詞書がつくだろうか。「ホワイトマウンテンゴリラ」という作品には、いわば詞書がついていた。
* * *
さてさて・・・。
ぼくは富山県人でありながら(だからこそ?)、金沢の街をほとんど知らないのだけど、今回、金沢市内を少し車で走ってみて、案外起伏があるのに気づく。
東京の山の手がそうだが、起伏は街に変化といろどりを与える。こういう街には、街歩きの愉しみがある。あんまり勾配がきついと大変そうだけどね。
一方、富山市をはじめ、富山県内の街は、どこものっぺりとしている。まず、富山平野自体がそうなっている。むろん、平野は立山連峰に続いているのだが、そこに至る過程はなだらかなものだ。不意のでっぱりやくぼみが少ない。唯一のでっぱりは呉羽山あたりか。だから呉羽山を境に県内を呉東と呉西で分けるという考えが出てくるのかも知れない。このなだらかさは、土地が何本もの急流で削りとられてきたせいだろうか。
富山市街は、碁盤の目のようとまでは言わないまでも、駅前から中心市街地、郊外に至るまで、比較的整然と街路が走っている。それに比べて、金沢の街は、駅を出て何度かカーブを曲がらないと、香林坊、片町といった繁華街に至らない。
といって、では金沢が不便で人がいないかというと話は逆で、いつ来ても金沢の街は賑わっているように見えるのに、富山市の総曲輪、西町といった中心市街地はすっかり寂れてしまった(わが黒部市など言わずもがなだ)。ことに若者の姿などどこに行けば見られるのだろうかと思うくらいだ。
旧来の商店街に人が寄り付かなくなっている状況は、程度の差こそあれ、全国の地方都市に共通するものだろうが、金沢と富山の中心市街地を見比べてしまうと、地形などはどうしようもないとはいえ、もっと上手いやりようがあったのではないかとため息が出る。
むろん、富山県内にだって若い人はいる。では、彼らがどこにいるかというと、大雑把にいってしまえば、男はパチンコ屋、女は大型スーパーだ。いずれも郊外の街道沿いにあって、自分の車で出かける。あるいは、やはり街道沿いのビデオレンタル屋でDVDを借りて、自宅のテレビで見る。さもなければ、県内をすっとばして、車で金沢の街に出る。あとひとつ行き先を付け加えれば、ホテルかな。
こんな紋切り型は、あまりに雑駁すぎて、いま実際に県内で暮らしている人が読んだら怒るかな。でもなあ、21世紀美術館の展示に列をつくる若い人たちの姿を見ていると、そんな嫌味のひとつも言いたくなるのだ。

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