上野の西洋美術館に「イタリア・ルネサンスの版画」展を見に行ってきた。
・・・ま、タダ券をいただいたからなんですが。
ルネサンス美術とか、全然知らないですから。大体、タダ券でもないと、西洋美術館なんて行かないですし。
と、まずは予防線を張っておく。
それにしても、秋葉原の駅で乗り換える段になって、あ、少しくらい予習しておけばよかった、と気づくのは何故なんだろう。
ま、結果的には、予習してもどうにかなるもんではなかったですね。手持ちの西洋美術史の本をぱらぱらめくっても、イタリア・ルネサンスの版画なんてほとんど出ていないよ。


つらつらと展示を見ていって、足を止めて息を呑んだのが、今回の出展作ではないはずの、参考出展のデューラーの版画だったりする。これは西洋美術館の所蔵なのか。
デューラーはヴェネツィアに2度滞在していたという。なぜヴェネツィア?
今回の出展作品に、ヴェネツィアの街を鳥瞰した全景図がある(デューラーの作品ではない)。6枚の版木で刷った12枚の紙をつなぎあわせた巨大な木版画で、(もちろん、ぼくはヴェネツィアには行ったことはないのだけど)往時の様子が髣髴として興味深い。
国営の造船所、塩の倉庫(塩が交易品だったのか)、橋の左岸にあるドイツ人商館(デューラーはここに滞在していたというのではなかったか)。
デューラーの居所のあったニュルンベルクは、当時、交易の要衝であったという。ヴェネツィアとはどんなルートで、どんな品物が取り交わされていたのだろう。そしてデューラーとドイツ商人との関係は? ニュルンベルク、ヴェネツィア、そしてフィレンツェの間の人やモノや文化の流れは?
(このへん、うちに帰ってからWikipediaなどを見ながら書いているのです。でも、あんまりピンとこなかった。何か、西暦1500年前後のイタリアとドイツの間の交易と文化の流れを、シロートに一発でぱしっと説明してくれる文章はないですかねえ)
今回の展覧会のテーマは、版画はルネサンスの美術を伝えた、当時の新しいメディアだったということ。そうか。確かに、壁画のフレスコ画とかだと、持ち運べるわけないよね。あたりまえだけど、写真もないし。
絵画が商品として流通するようになったのって、いつごろのころ?
当時の版画は、誰が売って、誰が買っていたのか? いくらくらいだったのか?
ある作品の中のモチーフが、版画を媒介にして、別の作家の作品の中で再利用される。元の絵とは違う画題で使われたり、あるいは少しずつ変形されながら流通していく。まさに、当今のデジタル・イメージを想起しないではいられない。あと、和歌の本歌取りのことを思った。
あるイメージを写し取って、それを版画にすると、いきおい、版から現れるイメージは、元のイメージとは左右対称になる。構図の右左とかには、あんまりこだわらなかったのかな?
どうしてもデューラーの話になってしまうけど、神秘的で超俗的な人なのだろうと勝手に思っていた(何年も前のオマージュ瀧口修造展で、榎本和子さんのデューラーの「メレンコリアI」をテーマにした展示を見て、ガラスの8面体はきれいだなと思ったけど、カタログは数式だらけでチンプンカンプンだし、とにかく、ぼくの中には、数学に詳しい人=神秘的で超俗的な人、というステレオタイプがこびりついているのです)。
だけど、今回の展示のキャプションで紹介されていたエピソードで、ライモンディという画家との間で、自分の「AD」のモノグラムの使用を巡って裁判沙汰になったという話を読んで、なんだか人間くさいのねと、ちょっとイメージが変わった。
というか、商標権の歴史って、いつごろからあるのか? このころはもう確立されていたのか? 知的所有権法の教科書でも見れば出ているのだろうか。
うーむ、なんだか今回のお話はクエスチョンマークだらけだぞ。
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「イタリア・ルネサンスの版画」展
会場: 国立西洋美術館
スケジュール: 2007年03月06日 ? 2007年05月06日
住所: 〒110-0007 東京都台東区上野公園7-7
電話: 03-3828-5131 ファックス: 03-3828-5135

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