横浜に出かけた。
トリエンナーレは見るつもりだが、気が向いたら周辺のイベントも見るかもしれない。
今度は馬車道の駅から行くことにした。見逃しているBankART Studio NYKのほうから見ていこうという寸法だ。


1階のヘルマン・ニッチュという作家のインスタレーションから見る。内臓とも果実ともつかぬものが延々と映し出されている。そして血とも蜜ともつかぬものが。
清めとも穢れともつかぬもの。残酷とも壮麗ともつかぬもの。芸術とも宗教ともつかぬもの。そんな言葉遊びをひとりごちてみる。日頃覆い隠しているものを、この日だけは表沙汰にする、ひとつの儀式かと思う。あるいは犠式というべきか。
2階に上がる。今回は特に解説のレシーバーも借りなかったが、さすがに理解の取っ掛かりがなくて困るときもある。何か意味ありげな物語が展開している様子を目の前にして、さてどこから手をつければよいのやらと立ちつくすことになる。むろん、すべてを理解しようというつもりはないが、それでも、頭の中である程度のキャッチボールはしたいと思っている。
快感にしろ不快感にしろ、何らかの直感を手がかりに作品の中に入っていけることもあるが、必ずしもそういう場合ばかりとも限らない。プロの鑑賞者にはそうでもないのだろうが、一見の客にはとっつきにくいと感じることもある。
グスタフ・メッツガーの「Nomophobia」という作品は、ボランティア・スタッフに聞いたら、二つの穴にいちどきに両手を挿し入れるよう想定されたものらしい。確かに、これでは携帯電話をいじることはできない。が、このポーズはまるで両手を拘束具で固定されているようではないかと思う。携帯から開放された途端に、また別の桎梏に囚われてしまったというところか。
3階の中西夏之の作品を見る。地面に垂直に立てられたキャンバスに点在するくさび状のモチーフは、キャンバスをつまみ上げていると思う。つまり、洗濯バサミと同じ機能を果たしていることになる。
松濤美術館での個展を見たときも思ったことだが、垂直な画面に対面して、地面と平行な視線で見ているはずなのに、なぜか底を見下ろしているという感覚が湧いてくる。言ってみれば、Google Earthでも見ているような。
オノ・ヨーコのビデオ作品では、次々に立ち現れる人々に彼女の衣装は徐々に切り刻まれていくのだが、これではまるで相撲の断髪式だと思う。断髪ならぬ断服しているのは西洋人ばかりで、彼らが面白くもなさそうな表情で淡々と洋服に鋏を入れているのも可笑しい。
しかし、相撲の断髪式のことを考えると、力士はある種の神性を帯びているのだから、断髪式の参加者は、髷に鋏を入れていくことで、力士がその神性を徐々に喪失していく過程を共有することになる。
このパフォーマンスでは、それを逆手にとって、喪失の過程を見せつけることで、事後的に神性が出現するようだ。言い換えれば、あたかもかつて神性を帯びていたかのように錯覚させている。これもまた、儀式的な作品ではないかと思う。
ポール・マッカーシーの映像作品を見た。広い展示室にプロジェクタを何台も使って、壁じゅう向かい合うように悪趣味な映像をひたすら投影している。悪趣味もここまでしつこく繰り返されると、しまいにはどこか乾いたユーモアさえ感じられてくる。
この悪趣味さゆえか、展示室の入口に小さな注意書きの看板が立っていて、曰く、15歳未満は見てはいけないとか、作品が不快感を与えることがあるとか、いちいちうるさい。実はそれもこの作品だけではないので、例えば、冒頭に紹介したヘルマン・ニッチュの作品も同様である。あちこちでこの看板に出くわすので、しまいに可笑しくなってきた。普通、美術館に行っても、あんまりこういう掲示って見ないよね。
この横浜トリエンナーレが、それだけ間口の広い美術展ということなのか、普段から現代美術を見慣れている客の感性のほうがオカシイのか、それは知らない。
少なくとも現代美術の世界では、決して善良な子供たちには見せられないような、まともなシロートには不快で醜悪なものとしか映らないような作品に価値があるということになっているようだ。
あえて現代美術の側に立つならば、あまりにもぼくたちの日常生活が、快適さや清潔さを加速度的に増大するような動きに取り込まれてしまっているのだろう。不快さをことさらに警告する注意書きがあちこちに立てられていること自体が、ひとつの社会批評的な作品じゃないかとさえ思えてくる。
一方で、不快さの中にこそ快楽を見いだすような、現代美術好きの屈折ぶりもいかがなものかと思うけどね。
マシュー・バーニーや勅使河原三郎の作品は見逃した。また出直そう。
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写真はBankART Cafeの前に停まっていた横浜トリエンナーレ非公式リヤカー。のびアニキの写真が貼ってある。
この携帯カメラには珍しく、やたらとこってりとした原色で写っているな。
リヤカーと一緒に行動している(?)自称詩人(?)の女性に、ぼくが一声発した「ふ」という音をもとに即興詩を書いてもらう。
ぼくがこの日の口開けの客だったようだ。小雨交じりの肌寒い天気に、言葉をつむぎ出すのに難渋している様子だった。
どうもありがとうございました。
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横浜トリエンナーレ 2008 – BankArt Studio NYK
会場: BankArt Studio NYK
スケジュール: 2008年09月13日 ~ 2008年11月30日
10:00~18:00 (入場は閉場の1時間前まで)
住所: 〒231-0002 横浜市中区海岸通3-9

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