アサヒ・アートフェスティバル2008の報告会に『検証ドキュメント 水上アートバス「ダンスパフォーマンス!」5年間の軌跡』の映像上映を見に出かけた。
水上アートバスのパフォーマンスは、何度も見たことがあるような気がしていたけれど、実際に体験したのは、2006年のほうほう堂と、翌年の伊藤キムと神田京子の時だけだ。
もっとも、パフォーマンスの記録映像は別の機会で見たことがある。今回、改めて2002年からの記録映像を通しで見て、実体験と映像体験の記憶が頭の中で混乱するような思いがした。
水上アートバスについては、このブログでも感想を書いたことがある。
以下、そのときの文章と内容が重なる部分もあると思うが、改めて覚え書きをしておく。


インタビュー映像の、桜井圭介氏の「シカトされることの大事さ」という言葉が記憶に残った。
水上バスの客の多くはダンスなど見に来ているわけではない観光客だから、積極的にパフォーマンスを見るよう要求すること自体、どだい無理な相談だろう。
そのような客をどのようにして船内に振り向かせるか。
要は、水上バスの上では、パフォーマーの芸が試されるということだ。
桜井氏の言葉を逆にとらえれば、たいていのダンス・パフォーマンス関係のイベントでは、客はダンサーをシカトしないということになる。
ダンス関係のイベントに足を運ぶと、毎回、かなりの枚数のフライヤーをもらって帰る。
よくもまあ、これだけあちこちでダンスの公演が行われているものだと、半ば関心、半ばあきれつつチラシに目を通すが、ほとんどは一瞥しただけでゴミ箱行きとなる。
が、これらのチラシを情報源にダンス・パフォーマンスの公演に出かけている人も多いことだろう。また、それなりの広告効果があるから、毎回大量のチラシが撒かれているのだろう。
これは、クラシック音楽の公演と似ている。
クラシックのコンサート会場の入口で、持ち重りのするほどの分厚いチラシの束が渡されるのに驚くことがある。そして、どうやらそれが、クラシックの公演の流儀らしい。
クラシックの公演がマスメディアで取り上げられることはそう多くはないが、ファン層は確実に存在していて、しかも彼らは忠実に公演に足を運ぶ。熱心なリピーターにとって、公演会場で手に入れるチラシは重要な情報源なのだ。
残念ながら、立派なハコ物に集う常連客によって堅く守られたクラシック音楽が、今後、未来に向けて社会のありかたを大きく揺さぶることは考えにくい。
コンテンポラリー・ダンスがその轍を踏まないためには、ダンサーは、時々は劇場の外に出て、一見の客に真剣勝負を挑むことも必要なのだろう。
そこでは、大道芸人と同様な強靭さを身に着けなければなるまい。
いや、今や大道芸も、かつての強靭さを失ってしまっているかも知れないけれど・・・。
ともあれ、水上アートバスの企画に参加したダンサーたちにとって、客に「シカトされる」体験はまたとないものだったことだろう。
では、水上バスの客にとっては、コンテンポラリー・ダンスの体験はどのようなものだったのだろう?

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