数人の若者と公園のような場所にいる。
何かアート・マネジメント関係のレクチャーに出た帰りなのだろうと思う。その若者たちは、先程まで一緒にレクチャーを受けていた、顔なじみの連中のように思われるが、ひとりひとりの顔は浮かんでこない。
新緑の頃のような陽光を感じる。
植栽の中にさまざまな形の風車がいくつも設置されていて、どの風車も勢いよく回転している(その割には、風は吹いていないようだ)。
もしかすると、これらの風車は野外展示のパブリック・アートの類であり、とすると、ここはどこか芸術祭の会場かも知れないと思う。
若者たちから、ひらきさんも今度は作品を作ったらどうですか、などと唆されて、調子に乗ったぼくは、風車を見ながら、横回転する円盤状の風車に映像インスタレーションを組み合わせた作品はできないか、その場合の風車の羽根はどんな形が一番よいかなどと考えている。
その後もしばらく、若者たちと一緒にその公園のような場所を歩いて、他にも何かアート作品めいたものを見たようにも思うが、その記憶は既に定かでない。
いつの間にか、ぼくは放し飼いの動物公園のような場所に来ており、先程の若者たちの姿は消えて、代わりに1匹のゴリラと連れだって歩いている。そして、それは自分の本意ではないような気がしてならない。
(なぜゴリラなのか。人間である自分は、彼の上位であろうとする態度を装いつつ、内心では今にも彼の凶暴さが爆発することを恐れている。そのような心象を夢判断的に解釈することも可能だろうが、ここでは深く立ち入らないことにする。あるいは立ち入ることを避けようとするブレーキが働いている?)
ぼくは、直径3センチ程の球形の手芸のマスコットが、全宇宙あるいは全存在を表象した精妙な芸術作品だと思う。
(唐突なようだが、あるいは既に記憶から薄れてしまった、この場所に至る道すがらに見たはずのアート作品と関係があるのかも知れない)
ところが、尾籠な話で恐縮だが、ぼくの目の前でそのゴリラは排便をはじめ、例のマスコットの形をした糞を出して得意げである。ご丁寧に糞の横には、これは芸術作品のレプリカですという説明書きまで添えられている。
その様子を見ながら、ぼくは、とても大切なものを奪われたような気分で、やるかたない怒りがこみあげてくる。
ここで目を覚ましてしまう。
夢うつつの状態で、今見たばかりの、まだ生乾きの夢の記録を、多くの人が同時に共有するコミュニティーができたらいいと思う。
何か新しい景色が見えるのではないだろうか。