そもそも、万博で工芸品や美術品の展示というのがピンとこなかった。
万博と聞いてまず思い浮かべるのは、とりあえず1970年の大阪万博を挙げておくけれど、もっとも、ぼくはまだ生まれていない。それでも、生まれてからの後付けの知識が、ぼくなりの大阪万博像を構成している。最近でいうと、去年ICCでやっていたEAT展で、大阪万博で展示されていた作品を再現していたのが印象的だった。
実際に足を運んだ博覧会というと、82年の神戸ポートピア、85年の筑波科学万博というあたりからで、もちろん、どちらもまだ子供のころの話だけど、実際には、このふたつの博覧会の印象が、ぼくの万博イメージのかなりの部分を占めている。
つまり、万博というと、だだっ広い敷地に民間企業や各国政府のパビリオンが建ち並んで、その中では大掛かりなCGやロボットのショウなどが見られるというもの。
そういうイメージが植えつけられてしまっているので、万博の展示品として(どれだけスゴイ品物かはともかくとして)陶器やら漆器やらが並んでいるのを見ると、どうしても違和感があって、万博というより、むしろ見本市とか物産展という感じもする。
まあ、工芸品は昔は日本の一大輸出品だったわけだから、もしかすると、今でいったら車とか電気製品が展示されているようなものかも知れない。とすると、見本市とか物産展みたいという印象も、あながち間違っていないのかも知れないけど。
ただ、今度は工芸品を美術品扱いさせようっていう話になってくるわけでしょう。
工芸品が美術品の範疇に入らないというんだったら、強引に額縁をつけて美術品扱いさせてしまえ、それだったら万博に展示しても文句ないだろ、ということも、シカゴ万博ではあったらしい。
工芸品が美術品なのかどうかというのは別にして、そのエピソード自体は、当時の日本と西洋近代の間の美術概念のズレを示していて、とても興味深いんですが、もうひとつ、ぼくの中では、そうか、万博って美術品を展示するところだったんだ、という再認識というか、軽い驚きがあったわけです。
要するに、万博が美術品を展示する装置として機能していて、しかもそれが美術界にとって一定の権威を持っていたというのが、どうもぼくの万博イメージと合わない。
今回の展覧会でも、その後のブースに行くと、当時の万博に出展されていたヨーロッパの絵画作品が展示してあるけど、逆に、展示から漏れた人たちが、わざわざ万博会場の近くで個展やってたりする。でも、それって、万博をすごく意識してるってことでしょう。
いや、よく考えれば、やっぱり今も昔も万博に美術って不可欠なのか。それこそ、最初に書いた大阪万博でのEATの作品もそうだし。
それでもまだ、万博と美術の関係について、どこか違和感があるのは、多分、万博が、出展企業や政府の扱っている商品の売らんかなの場になっている(というイメージがある)からじゃないかと思う。
つまり、パビリオンの中に入っているモノは売り物で、それに対して、美術品というのは、あくまで美術館の中に入っているモノで、かつ基本的にそれは売り物じゃないよ、という思い込みが(少なくともぼくの中に)あるんじゃないか。
例えば大阪万博でも愛知万博でもいいけど、そこに何か美術作品が展示してあったとしても、それはその美術作品そのものを押してるわけじゃなくて、ほかに展示してある商品を売るための補助的な効果として機能しているという見方になっちゃうんじゃないですか。大阪万博のEATの作品だって、そういう意味では、ペプシ館の、ペプシコーラを売るための範囲内で機能するものだったわけでしょう、きっと。
ちょっと展覧会の本題と違ったかもしれないけど、どうでしょうか。
東京国立博物館 平成館
「世紀の祭典 万国博覧会の美術 〜パリ・ウィーン・シカゴ万博に見る東西の名品〜」
http://www.tnm.jp/jp/servlet/Con?pageId=A01&processId=02&event_id=4

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