
1927年に建てられたというビルの3階にある、古書店兼小さなギャラリー。
三方の壁に掲げられた瀧口さんのデカルコマニー、バーント・ドローイング、ロト・デッサン・・・に囲まれていると、味方の空間にたどり着いた、ここにいれば大丈夫だ、という安堵感がある。
瀧口修造の研究家であり、コレクターであり、そして今回の展示の企画者でもある、土渕信彦氏のギャラリー・トークを聞きに出かけた。
意外感があったのは、かつて佐谷画廊で毎年7月に開催されていた「オマージュ瀧口修造」展と土渕氏のかかわりに関するくだり。
土渕氏はオマージュ展の初期から企画に協力していたが、90年代半ば頃からは距離を置くようになったという。
確かに、ある時期から図録の中に執筆者として氏の名前が現れなくなる。
土渕氏の後期のオマージュ展に対する評価や、亡くなった佐谷和彦氏について語っていたことについては、正直よく分からない。
ぼく自身がオマージュ展を実際に見るようになったのは、まさにその90年代半ば以降、1996年の「七つの詩」展からなので、土渕氏が離れた以降ということになるのだろう。
在廊していた佐谷氏にぶしつけに声をお掛けしたこともある。
佐谷画廊が2000年に銀座を退いてからは、オマージュ展も毎年会場を変えて開催されるようになり、残念ながら展示を見逃してしまった年もある(ぼくは美術手帖を毎号購読するほど誠実な美術ファンではないし、当時は今のようにインターネットで美術展情報が入手できなかったということもある)。
会場については、誰よりも佐谷氏自身が思うに任せないこともあったのではないかと思うのだが。
それでも、各回の企画は、生前の瀧口修造と一定の親密さを持っていた作家を取り上げているように思えたし、作品や展示空間、そして佐谷氏自身を介して、間接的に瀧口修造の空気を感じるのは、ぼくには心地よいことだったのだが。
自筆年譜の1940年の項に現れる瀧口の「シュルレアリスム観の瓦解」が、ブルトンの軍医としての応召を知ったことによるのではないかという指摘は興味深く聞いた。
1958年のブルトンとの「最初の再会」での「和解」に至るまで、瀧口の中でブルトンやシュルレアリスムについて整理しきれない思いが続いていたとは。まさに「あまりにもながく待ちすぎた」ことだと嘆息しないではいられない。
瀧口が晩年に構想していた「オブジェの店」を、美術館制度の否定とする指摘も、スリリングで面白い。
デュシャンのレディメイドは、既存の美術の枠組みの中で、芸術家による選択によって芸術が芸術たり得ていることを示したが、「瀧口が試みたのは、選択しないものでも芸術たり得ることへの、拡張だったのではなかろうか」。※
選択という行為の制度性については、ぼく自身、間近で見て感じ入ることがあった。
ひょっとして何か別の可能性があるのではないか・・・という予感を、土渕氏の話を聞きながら覚えていたのだが。
※「瀧口修造 夢の漂流物」展(2005年)の図録に収められている土渕氏の「透明な部屋-瀧口修造の「オブジェの店」を開く構想の余白に」から引用。
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『瀧口修造の光跡Ⅰ「美というもの」』
会場: 森岡書店
スケジュール: 2009年06月29日 ~ 2009年07月11日
住所: 〒103-0025 東京都中央区日本橋茅場町2-17-13 第2井上ビル305号 森岡書店
電話: 03-3249-3456
関連イベント:
ギャラリー・トーク「瀧口修造の光跡」(土渕信彦)
スケジュール: 2009年07月11日 19:00~ 18:30開場