つがい

ラジオで上方言葉で「井戸の茶碗」をやっている人がいる。上方らしい笑いを折々にまぶしながら、しっかりと噺を聞かせる。誰だろうと思いながら聞いていると、笑福亭銀瓶さんだった。世評高い銀瓶師だが、私は生で聞いたことがない。いつか聞く機会があればと思う。できれば上方で。

ところで、江戸が舞台の落語を大坂に移す時、お殿様が登場人物の場合は一考を要する。江戸と違って、大坂に大名屋敷を構えて住まっていたお殿様は少ないだろう。

その点、この「井戸の茶碗」も薩摩の細川公が出てくる噺だが、銀瓶さんは、お殿様が参勤交代の折に大坂に立ち寄ったということにして、上手く処理していた。こういうディテールに気を配っているかどうかの違いは大きいと思う。

昼過ぎに出た。空に雲が被さっている。

隅田川テラスにカルガモが上がっていた。相当近づいても逃げる様子はない。人に慣れているのか、あるいは、まだ人を怖がることを知らないのか。

最初は一羽だったのが、後からもう一羽やって来て、二羽でのんびり草を食んだりしている。この二羽はつがいなのだろうか。

カルガモの写真を撮って遊んで(遊ばれて?)いたら、雨が降り出してきた。

雨を避けて首都高の高架下に入った。ここにいれば雨も気にならない。しばらく高架下を行ったり来たりして、雨雲が通りすぎるのを待つ。

そのうち雨が上がったので、高架下から抜け出した。

桜橋の欄干の上の鳩も、かなり近づいても逃げない。いい度胸である。やはり人を恐れることをまだ知らないのか。

銭湯帰りにしばしば立ち寄っていた飲み屋が、ゴールデンウィーク中にランチ営業しているというので来た。当然お酒は出ない。オムハヤシライスとコーヒーの間に通り雨が降った。

雨上がりの街を歩く。山谷堀公園から土手通りに入り、三ノ輪の手前まで。

初めての銭湯に来た。

去年の11月に改装開店したという店で、もちろんまだ新しくて綺麗だし、少し熱めのお湯とぬるめの炭酸泉の組み合わせもいい。露天のエリアにはシルキーバスと水風呂、休憩用の椅子も完備。水風呂は深くて宜しい。拙宅からは少々遠いが、むしろこの銭湯を目当てに散歩の足を伸ばしたい。

ひとつ気がついたことがある。前にも書いたが、昔ながらの銭湯では、椅子と桶は流し場の入口にまとめて積んであって、客がめいめい持ってカランの前に座る流儀になっていることが多いと思う。

ここの流し場では、椅子と桶が最初から各カランの前に置かれている。考えてみれば、これはサウナ・スパ施設の流し場では普通に見る光景である。流し場の雰囲気が、昔ながらの銭湯というより、サウナ施設ふうだったので、最初から椅子と桶が置かれていることにまったく違和感がなかった。

そうか、押上の大黒湯は、昔ながらの銭湯の構えなのに、椅子と桶が最初からカランの前に置かれているという、サウナ施設ふうの流儀だったことに違和感があったのだと気づいた。

湯上がり、三ノ輪から竜泉、千束、浅草へ。

観音裏をぐるりと回って、デンキヤホールに。奥の部屋に通された。

小腹が空いたので焼きそばを頼んだ。たっぷりかかった青のりと、お好みの一味が嬉しい。アイスコーヒーは銅のコップ入り。

たまたま喫煙者が集まっていたのかも知れないが、タバコの臭いがきついのには閉口した。

二人連れの若い客が奥の席に居座って、職場の先輩と後輩なのか、一方が仕事の心得のようなことを延々と語っていた。

身体に染みついたタバコの臭いを洗い流したい。いつもの銭湯に。

あまなつ湯というのは初めてだったが、半分に切った甘夏がいくつもネットに入ってお湯に浮かんでいる。湯船に初夏の気配が横溢して、すっかり生き返った。

21,206歩。

財布

目が覚めたら8時。空き缶、空き瓶を玄関前に出して、洗濯機を回す。洗濯物を干して外出。錦糸町へ。

鳩の街の千輪さんでは何度か自転車のタイヤに空気を入れてもらったことがあるが、もし腰痛を我慢して応対していただいていたとしたら申し訳ない。

書道で「二十」と書こうとはなかなか思いつかない。こういう発想には敬服する。そして、まだまだ書かれていない言葉があるはずだと思う。

前にも書いたが、私道に置かれた自転車をめぐる紙上のやり取り。私道の所有者と、自転車で子供がケガをした親の、当事者二人の言葉のみが残されている。第三者の意見が上から貼られていたのは、剥がされてしまったようだ。通行人が次々に私見を記した紙を貼って、議論が拡大していく展開になれば面白いと思ったが、残念ながら、そうはならなかった。

11時から所用なので、軽く朝を済ませようと、オリチカのサブウェイに行ったら、持ち帰りのみの営業だった。外のベンチで食べればいいので、中で食べられなくても構わない。パンの種類だのトッピングの追加だの、あれこれ聞かれて、さあお勘定というところで、家に財布を忘れてきたことに気づいた。バッグの中に札入れも小銭入れもない。電子マネーなど、金目のものも見当たらない。注文をキャンセルしてそそくさと退出。実に恥ずかしい。

実は、所用を終えたら、その足でどこか早い時間からやっている銭湯でも行こうかと思って、カバンにタオルを入れてきたのだが、そういうところばかりに気が回って、大事なところがお留守になってしまっていたようだ。サザエさんなら財布を忘れて出かけても笑い話になるが、いい年のおじさんでは格好がつかない。お金がないから、所用の後で、どこかに寄ることもできない。空きっ腹を抱えて歩いて帰宅。

こんなところに羽子板の店があるんだ。もう何年も近所に住んで、散歩の時はすぐそこを通るのに、全然知らなかった。この時世だから店は開いていなかったけど、いつか見てみたいものだ。

飯を食ってぼんやりしていたら、雨音がし出して、慌ててベランダの洗濯物を取り込んだ。そのうちに大降り。結果論ではあるが、財布を忘れて家に帰ってきたおかげで、洗濯物を濡らさずに済んだ、と言うこともできる。

夕刻、雨は上がったようだし、夜の散歩に。先日ユニクロで買ってきたジョガーパンツとジャケットを下ろそうと思う。こういう時は、少し嬉しい。

桜橋から隅田川テラスに降りた。そうか、先日からの桜橋の工事は「伸縮装置取替工事」だったのか。

隅田川テラスを歩いていると、雲行きが怪しい。雷の音が近い。ここは一旦引き返したほうがよさそうだ。

帰宅して、雨雲をやり過ごしてから、出直した。いつもの銭湯に。

湯上り、外に出ようとしたら、また雨が降っている。しばらくロビーで待たせてもらった。テレビでは玉置浩二が歌っている。スマホの雨雲レーダーと玉置浩二を交互に見ながら、雨が上がるのを待った。晴れ間を見て退出。それでも途中で雨に降られた。22,905歩。

仕方がない

雨上がりの朝。

鳩の街通りにところどころ歯抜けのような空き地がある。昨夜の雨を吸い込んでねっとりと泥状になったところもあれば、草花に覆われたところは、もう昨夜の雨などなかったような顔をしている。

この「パリ祭」の公演のポスターは、昔からしばしば見かけるもので、シャンソンファンというのは根強く存在するのだなあと感心するばかりである。しかし、小野リサや藤あや子もシャンソンの範疇に入るのだろうか。もっとも、よく言われることだけれど、フランス語のシャンソンは単に歌を意味する言葉だから、その点ではボサノバも演歌もシャンソンと呼んで差し支えない(のだろうか?)。シャンソンもそうだが、ROLLYという人の融通無碍さにも感心する。こないだは筒美京平トリビュートコンサートのポスターで名前を見たところなのに、今度はシャンソンですか。ローリー寺西ではないか。

私は街なかに現れる文字に興味があるようだ。

通り道の喫茶店でモーニング。今日はベーコンエッグにした。後から常連らしい客が入ってきた。

昼はそばにした。その後コーヒー。

夕刻、バスで錦糸町に。ゴールデンウイーク期間中の平日、4月30日と5月6日、7日は、バスは特別ダイヤになっているようで、おかげでいいタイミングでバスに乗れた。

所用の後、歩いて帰宅。飯を済ませてから、夜の散歩に。行先はいつもの銭湯。

帰り道の途中で、日付が変わって5月になった。

4月の最終週は長かった。というのは、モバイルWi-Fiルーターの月間容量制限の7GBに4月はなぜか早々に到達してしまって、散歩の途中にインターネットラジオを聞くのに都合が悪かったのだ。ここ数ヶ月は毎月7GBで収まっていたのに、4月は何か変わった使い方でもしたかな。やむを得ずポッドキャストを活用するなどして、この1週間程は切り抜けた。

そんなこともあって、モバイル接続サービスの見直しを考え出した。本当は、3月がモバイルWi-Fiルーターの契約更新月だったので、間が悪いんだけど、仕方がない。

16,427歩。そして4月は、上手くいけば月間平均で一日あたり15,000歩を超えられるかなと思って、途中から意識していたのだけど、残念。平均歩数の結果は14,404歩。これも仕方がない。

積み重ね

雨の朝。

近所の空き地に囲いができた、じゃない、分譲地の看板が立った。まとまった広さの土地をどうするのだろうと思っていたが、切り売りするのか。

雨の公園に人影はない。

急いで何か腹に入れたい。駅ナカのカフェと思ったが、思うところあって直前でパス(店の問題ではない)。錦糸町まで出ることにした。

駅前の喫茶店でモーニング。窓際の席に陣取る。

ひどく疲れが出て、身体がだるい。モーニング程度ではエネルギーを補充できそうにない。向こうの席の二人客が朝からカレーを頼んでいる。カレーもあるのか。私もそれにすればよかった。雨の中、お客が次々やって来たので退出。

実はこの後すぐにドトールでサンドイッチを腹に入れた。もう少し食べないとエネルギーが切れそうで仕方がなかった。なお、このひどい疲れの原因はコロナではないので、念のため書いておく。

5月8日のトリフォニーホールでの坂東玉三郎丈の会は延期になったんだな。できれば私も行きたかったが、先に予約していた地域寄席と時間が重なってしまって、先約を優先してこちらは見送っていたのだ。その地域寄席も中止になってしまった。

あまりにも疲労感がひどく、最初は午後の予定までコーヒーでも飲んで時間をつぶしていようかと思っていたのだが、それどころではない。まだ少し時間もあることだし、いっそマッサージにでも行こうかと、あれこれ近くのマッサージ店を検索していたが、やっぱりやめた。

錦糸町から総武線で東中野に。ポレポレ東中野へ。14時からの回を見るつもりで予約していたのだが、一本前の12時10分の回から見ることにした。映画には悪いが、半分寝るつもりで椅子に座っているほうが身体は楽だ。

ポレポレ東中野もずいぶん久し振りで、去年の1月に『さよならテレビ』を見に来て以来ではないかと思う。

毎年この時期、ポレポレ東中野では、原子力発電にまつわるドキュメンタリー映画を特集上映している。というのは、1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故があったから。私自身は原発問題に日頃思いを巡らしているわけではなく、人並み程度の関心しか持たない。ただ、今回の上映作品にも含まれている『ナージャの村』でのベラルーシの農村に生きる人々の暮らしぶりや、『原発切抜帖』での新聞の切り抜きのみで組み立てられた映像構成には感じ入った。そして、両作品とも、ナレーションは小沢昭一さんの至芸である。

一本目に見た『アンダーコントロール』は、ドイツ国内の原子力施設を記録したドキュメンタリーで、制作年は2011年というが、福島事故と関係はあるのか、知らない。少なくとも福島事故の前には着手されていたのだろう。人間は必ず失敗するからと徹底的に人間を疑い、さらに人間をカバーするために導入した機械を疑う。ドイツの原子力開発には、徹底した懐疑と、技術に対するペシミズムが根底にあるのだと思った。この強靭な思考力こそが、わが国に欠けているものではないのか。ドイツが原発の廃止に政策を転換できたのも、分かるような気がした。

前にも同じようなことを書いたかも知れないけど、人間の生は、数十年、長くてもせいぜい百年程度のことだが、原子力は数千年、数万年の世界で、時間の物差しが違う。

『アンダーコントロール』の中に、原発に一生を捧げた技術者や、原発で働く人を相手に生計を立てている商人の話が出ていて、ドイツにも原子力ムラ的なものがあるのかなと思った。原発の廃止は、そういった人たちには不本意だろうが、言ってみれば、どちらも数十年単位の話である。数万年単位の話が、数十年単位の話で動かされるべきではないと思う。

続けて見た『人間の汚した土地だろう、どこへ行けというのか』は、映画『ナージャの村』『アレクセイと泉』監督の本橋誠一氏と製作の神谷さだ子氏が、2019年に撮影地のベラルーシを再訪した旅の記録。映像の中で両氏は、撮影で出会ったベラルーシの人々と再会し、製作のきっかけとなった老人で、『ナージャの村』撮影の直前に世を去ったアルカジィ・ナボーキンの記憶を辿っていく。

『人間の汚した土地だろう、どこへ行けというのか』では、数十年の間の人々の出会いと別れが映像に映し出される。放射線は映像には映らない。

映画が終わってもまだ15時前で、少し時間が中途半端である。同じビルの7階で写真展をやっているというので見に行った。本橋氏の2019年のベラルーシ再訪時に撮影された写真に加えて、本編でも引用されていた1995年の取材時の映像も見ることができた。

ポレポレから程近い銭湯のアクア東中野に行った。ここは二回目かな。前回はサウナも試したけど、今日はサウナは休止中。

15時開店からまだ20分程も経っていないけれど、すでにお客さんが一杯である。場所柄か、休日ということもあるのか。中高年に加えて、子供や若者の姿も目立つ。若者といっても、サウナブームに乗せられたような軽い感じではない。近くに学生寮でもあるのだろうか。

ここは、アクアと冠しているだけあって、水がいい。水風呂は深くてたっぷりしている。お湯につかりながら大型テレビが見られる(音声はなし)のは珍しいかも知れない。文庫本を持ち込んでいる人もいる。心置きなく長湯ができそうだ。

映画を見て、お湯に入って、身体もずいぶん楽になってきた。ポレポレに戻って、ポレポレ坐でキーマカレーとコーヒー。ここのキーマカレーはさっぱりした味。自分で作る時はスパイスたっぷりで油が浮く、こってり、ギラギラのキーマカレーになってしまうが、そうか、こういうのもありだなと思う。

コーヒーをお替りして、いい時間になった。錦糸町へ。駅ナカでラーメンも食ってしまった。今日は仕方ない。辛うじて所用を終えた。

オリナスは休館中だが、中の通り抜けはできる。また、地下1階のスーパーのカスミは営業している。地下駐車場経由でしか入れないのが少々分かりにくいが、ちょっと覗いてみた。

オリナスの中をうろうろしたのは、ここで歩数を稼ぎたいという魂胆からで、できれば今日も1万歩を目指したい。とは言え、雨なので外は歩きたくない。錦糸町駅で電車が来るまで構内を行ったり来たりして、曳舟駅でもホームを少し歩いた。変な人だと思われたことだろう。そんな積み重ねで、11,435歩。

青梅

寝坊。朝の散歩その他は省略。コーヒーを淹れて、有り合わせで済ます。

昼間、抜け出す。近所の梅の木が実をつけている。この木は春先に見事な花を咲かせていた。花が咲けば実がなるのは道理だが、立派な青梅がごろごろと枝からぶら下がっている眺めに感心する。

昼は二階の食堂の日替わり。今日は野菜の肉巻き。酸味の効いたソース。具だくさんの味噌汁。

新聞を整理していたら、月曜日の朝刊に掲載されていた全面広告に神田川俊郎氏が出ていた。

氏の訃報は火曜日の朝刊に掲載されていたが、死去したのは日曜日だったというから、この朝刊が出た時にはもう亡くなっていたわけだ。制作時点では、氏の訃報は伝わっていなかったのだろう。

夕刻、外出。諸事情で某所。

帰宅後、飯を済ませて、遅くなりすぎないうちに、夜の散歩に。雨が降りそう。レーダーの画像を見ると雨雲が近い。

猫が夜道を横切るのを見た。

いつもの銭湯に。あれ、今度の張り紙では、サウナは休止ではなく中止ですね。

こちらの銭湯にはしょっちゅう来ているから断言できるけれど、サウナが休止または中止になって、今日は水風呂に入る人が明らかに少ない。水風呂をひとり占めできるのは有難いけれど、この機会に、普段サウナに入らない人にも、水風呂の気持ちよさが知られるようになるといいのかも知れないね。

帰り道の途中で雨が降り出して、パーカーのフードを被った。傘が必要な程ではない。程なく上がった。

歩いているうちに日付が変わった。11,955歩。

中止

ゴミを出して外出。寄り道しつつ歩ける程度には早起きした。

弘福寺に寄った。境内の八重桜はとうに葉桜になった。特に参詣者が訪れる時期でもなく、私の他に境内に人影は見えない。朝の静かな古刹の雰囲気は好ましい。気まぐれに「咳の爺婆尊」にお参りした。滅多に親を顧みない私だが、多少は母親のことを思わなくもない。

前を行く女性の黒いパンツスーツと黒靴の間に覗く純白の靴下が眩しい。あれ、そういえば、女性はスーツの時に靴下を履きませんね。男性でスーツの時に靴下を履かないのは石田純一くらい。この女性のような人が増えるか、石田純一が増えるかすれば、スーツの着こなしはもっと自由になるのだろう。

通り道の喫茶店でモーニング。フルーツサラダが嬉しい。ベーコンエッグとハムエッグが選べるのも、ささやかな朝の楽しみという感じがする。客は私だけ。BGMはFMラジオ。

夕刻、歩いて帰宅。先に飯を済ませてから、所用。

所用が終わって、遅くならないうちに出た。火曜日はいつもの銭湯が定休日なので、久し振りの湯どんぶり栄湯に。

こちらは本日からサウナ中止。昨日の銭湯はサウナ休止で、こちらは中止。細かいですが。

遅い時間のわりに、心なしか空いているようにも思うが、たまにしか来ないので、普段と比べてどうなのかは分からない。

湯上がりは千束通りからいつもの散歩道に。少し遠回りして帰った。18,257歩。

休止

寒くて布団から出られない。布団をかけ直して、しばらく寝床で半睡。
辛うじてまずまずの時間に起き出した。朝の散歩に。

身体に当たる風が冷たい。日曜は昼間歩いていて汗ばむ陽気で、Tシャツ姿でもいいくらいだったのに、まだしばらくは肌寒い日もあるのかな。陽当たりのいい場所を探すように歩く。


桜橋を渡って台東区側に出た。そうか、ここで隅田川テラスに降りずに、堤防の上を白鬚橋のほうに歩くと、浅草病院の裏手のデッキに出るのか。芝生の斜面に寝転がったら気持ちよさそうだ。

台東区側は陽当たりがいい。墨田区側は首都高の高架が日射しを遮る。その日陰が有難くなる時期ももうすぐだが、今のところは、まだ朝の光を浴びていたい。

白鬚橋を渡って、墨堤通りを歩いて帰った。

昼は二階の食堂のカレー弁当。菜の花のおひたしを付けた。

注文する時、「菜の花」のアクセントに迷った。長年東京に住み暮らしているけれど、まだまだだなと思う。アクセントの正解は、「ナ」が高い頭高型。

夕刻。今日はひとつ魂胆があって、これからユニクロに夏物の服を見に行こうと思う。

この近くでは、アルカキットの中のユニクロも、ソラマチの中のユニクロも休業中である。というか、アルカキットやソラマチ自体が休業している。が、浅草ROXの中のユニクロは営業しているらしい。要は、大家の判断に従うということなのだろう。商業施設の中に入居していない、単独店舗のユニクロは営業しているようだ。

歩いて浅草へ。

浅草寺や仲見世は閑散としているが、そもそも夜が早い街なので、もともとこの時間の浅草はこんなものだったか、そうでもないのか、よくわからない。

確かにROXは営業中である。店を開けても密になるほど客は来ないという判断なのだろうか。それもひとつの考え方ではある。ただし、まつり湯は休業していた。

あれこれ買い物をして、普段の散歩ルートに戻る。

いつもの銭湯に。買い物した荷物がかさばるので、番台で預かってもらう。帰りに忘れないように、下駄箱の鍵を一緒に預かると言われた。

緊急事態宣言に伴ってサウナのみ休止になるとのことだが、もともと私は銭湯のサウナには入らないから、特に困らない。もし水風呂が休止するようなことになったら困る。

今日も電気風呂に少しだけ入ってみた。

15,449歩。昼間弁当を買いに出る時、スマホを持っていくのを忘れたから、これに1,000歩程プラスか。

変容

午前中は怠惰に過ごす。ラジオで桂南天さんの「一文笛」など聞きつつ、インスタントラーメンを作って食べるなど。

行きつけの楽天地スパもタイムズ スパ・レスタも、今日からしばらく休み。寄席はやっているらしいが、今日はいいや、という気分。いつもの銭湯が3時に開くから行こうと思うが、それまで特段予定もない。

昼過ぎに出た。アジサイが花の季節の準備を始めている。

隅田川沿いの首都高の高架下をぶらぶらと歩いて、言問橋で台東区側に渡った。

「戦災により亡くなられた方々の碑」とある。隅田公園のこのあたりは、東京大空襲等で失くなった人々の遺体を仮埋葬した場所であったらしい。

「アリの街」というのは聞いたことがある。何年か前に、かつて江戸・東京にあった芸人街に興味を持った。芸人街は貧民街と重なる。その頃に読んだ本の中に、アリの街について触れたくだりがあった。当時は特に注意を払うこともなかったが、そうか、ここにあったのか。

「この地に戦災で家や家族を失った人々が廃品回収を生業に働き共同生活する場が誕生しました」とある。

廃品回収を生業にしている人なら、「アリのように勤勉に働」いているかどうかはわからないが、今でも橋のたもとに住み着いているようだ。

待乳山聖天に寄ったら、参詣客の姿がちらほら見える。人力車夫に案内されてここまで来ているようだ。観光ルートに入っているんだなと思う。人出が緊急事態宣言に影響されているかどうかは知らない。

馴染みの店に来た。今日からしばらくはランチ営業に限って、アルコールも出ない。しょうが焼きがランチメニューにあるのは珍しい。ご飯はもう少し柔らかいほうが有難い。

コーヒーでしばらく過ごして、いい時間になった。昨夜の分のお代も合わせてお勘定してもらいながら、これから銭湯に行くと言ったら、電気風呂に入るよう勧められた。

電気風呂はあちこちの銭湯にあるが、私はまず入らない。どちらかというと苦手である。まあでも、勧められたことでもあるし、意を決して、入ってみた。

最初、壁に掛かった注意書きを読みながら、壁に向かう姿勢で、左右の電極の間に恐る恐る身体を沈めた。案外、刺激を感じない。こんなものかと思って、壁を背に向き直ったら、ずん、と重い刺激が腰に来た。結構来ますね。

まずは程々にして、電気風呂の隣の変わり湯(今日はラベンダー湯)に移った。言うまでもなく、こちらの浴槽には電気刺激はない。これまで何度となく変わり湯に入っているが、電気刺激がないという、いわば不在の感覚を覚えたのは初めての体験だった。電気風呂に入ることで、電気風呂でない風呂の入浴体験まで変容するのだと感じ入った。

銭湯から出たら、まだ外が明るい。日が長くなったこともあるだろう。今日はあまり長く歩くつもりはなかったけれど、歩いているうちに足がどんどん前に進む気がしてくる。

ヒルガオの花が咲くのを今年初めて見たと思った。14,180歩。

鯨を捕る船

昨夜遅くまでだらだらとYouTubeなど見ていて、朝早く起きられず。それでも7時前には起き出したが、本当はもう一時間、できれば二時間早く起きたかった。

資源ごみの日だが、ペットボトルを出すのは少々迷った。というのも、以前、玄関前に資源ごみを各種出して、ペットボトルだけ回収されなかったことがあったので。お向かいさんに聞くと、ペットボトルも普通に持っていってくれるよ、とのことだったのだが、もし持っていってくれなくて、ペットボトルだけ玄関に置きっぱなしというのも格好悪いし。とはいえ、さすがに溜まってきたので、思い切ってペットボトルも出して外出。帰宅時どうなっているでしょうか。

鳩の街通りでドラマか何かの撮影をしていた。朝早くからご苦労なことだと思う。この時間にカメラを回しているということは、出演者やスタッフは何時起き、何時出なんだろうか。もっとも、当節はすっかり日の出が早くなったから、人が少ない早朝のうちに撮影を行うのには好都合だろう。

水戸街道、そして曳舟川通りを越えて、高木神社、飛木稲荷を横目に歩く。

壁に張り紙を見つけた。最初は言わんとすることがよく分からなかったが、以下のような経緯だろう。

○この通りから入る狭い道に自転車が置かれていて、それにぶつかった子供がケガをした。その子の親Aが「ここに自転車を置かないでください」云々と赤字で書いた紙を置いた。

○その狭い道は実は私道で、かつて自動車が入り込んで事故があったため、自動車が入らないよう自転車をバリケード代わりに置いていた。Aの紙を見た私道の所有者Bが紙の余白に追記し、左記の状況を訴えて自転車を置くことへの理解を求めた。

○AとBの紙上でのやり取りを見た第三者Cが、危険が遍在していることを子供に教えれば教訓(「一生の宝物」)となる旨を別の紙に書いて貼った。

Cはお節介というか、余計なお世話だと思うが、この論戦(?)が今後どう展開するのか、さらに第四、第五の参加者が現れるのか。

押上から錦糸町へ、そして楽天地スパに。

楽天地の一階に行列ができている。もしやサウナ待ちかと思うと、そんなわけはなく、映画の入場待ちなのであった。しかし、楽天地スパと映画館は同じエレベーターで行くから、行列と関係なくエレベーターに乗った私が、まるで行列を無視したように見られたようで、決まりが悪い。

朝の空いたサウナは気持ちいいが、ご承知のように楽天地スパは朝8時半から清掃になる。もう一時間、二時間早く起きたかったのはそのため。

楽天地スパ11周年記念クイズに応募しようと、ロッカーキーを外して書いていたら、ロッカーキーが行方不明になって焦る(無事出てきました)。

13時前に退館。というのも、13時から錦糸町で所用の予定と勘違いしていた。さっきのロッカーキーもそうだし、何だか昨日から間が悪いことが続く。

ともあれ、一時間ぽかっと空いたので、歩いて一旦帰宅。

少々休んで、古靴を持って、さあ出掛けよう。墨堤通りから明治通り、白鬚橋を渡って、玉姫稲荷神社に。

こんこん靴市というのは初めて来たが、境内や外にも出店があって、普段静かな神社が賑やかである。おそらく、コロナ禍でなければ、もっと人が集まっているのだろう。

まずは持ってきた古靴を納めようと、社殿脇の会場に行くと、すでに古靴がうず高く積まれている。

古靴を納めると、火焚串(と言うらしい。護摩木のような細い板)に名前を書くように促されて、何かこれから行われる神事に参加しなければならないような雰囲気である。そこで用意されていたパイプ椅子に座った。参加者は20人程か。

程なく神官が現れた。頭を下げるよう言われてお祓いされる。その後、靴を納めた人に火焚串の束が神官から渡されて、順に火にくべていった。私も諾々と従う。参加者全員がくべ終わると、記念品(スリッパ)を貰って解散。

会場に掲げられていた次第には、一同起立だの、祝詞奏上だのと延々と行事が書いてあったので、これに参加させられるのかと思ったが、違ったようだ。

二足古靴を納めて、二足新しい靴を買った。むろん分相応な値段のものだが、市価よりも安いのだろう。

玉姫稲荷を出て、日本堤から浅草警察署の前を通って、馴染みの店に。荷物のせいか、案外遠く感じた。少々早いが、昼を飛ばしているし、始めた。おそらく、次にこの店で飲めるのも、しばらく先になるだろう。

しばらくして、マスターのお義父さんがやって来て、これから浅草の某有名な、鯨を捕る船の名前の店に行くという。私も誘われて行くことになった。

この某有名店は、浅草の芸人が来る店として知られていて、私も一度だけ、10年ではきかないくらいの昔に入ったことがあるが、それ以来である。思いの外、カウンターの中は若い女性で切り盛りしている様子。元芸人という店主は、今は仕込みだけで、お店には出ていないのだとか。

お義父さんの口から悠玄亭玉介の名前が出たのは、どんな流れだったか。何かの機会に幇間芸を見たという話だっけ。朦朧としてはっきりしない。

8時終了。この人はまた来るよ、などといじられつつ退出。

浅草から東武線に乗った。曳舟で降りて帰宅。そうそう、ペットボトルは回収されていました。

楽天地スパも日曜日から休業だとか。22,071歩。

体毛

ゴミ出し。洗濯機を回して朝の散歩に。隅田川テラスを歩く。

白鬚橋を渡って台東区に入る。橋場、清川。アサヒ会通りを歩く。ガスタンクの見える街。

玉姫稲荷神社に寄ったら、「靴まつり市」の看板が出ている。明日、明後日じゃないか。

安い革靴で、がしがし歩けて、くたびれたら履きつぶせるようなのが欲しいと思っていた。先月Amazonで買った安靴は大きくて足にフィットしない。やっぱり実際に履いて試したい。いい機会だから、明日来ようかな。

お参りしようとしたら、お社の中から猫が出てきた。この猫は何度か境内で見たことがあるが、こうやって自由に建物の中まで行き来しているのはいいなあ。

同じ境内にある口入稲荷にもお参り。今戸焼のおきつねさまに書かれている文字は入口じゃなくて口入。

ちょうど捨てようと思っていた古靴があるので、明日持ってこよう。

ハイヒールのお神輿が鎮座していた。かなまら祭りのエリザベス神輿に匹敵する衝撃感である。これを担ぐ様子を見てみたいが、今年は期待薄かな。

昼は二階の食堂に。毎週金曜日の日替わりはスパゲッティ。今日はたらこスパゲッティ。

さすがにこれだけでは物足りなかった。

夕刻、所用の後、夜の散歩に。行き先はいつもの銭湯。

両肩から腕にかけて立派な彫り物を入れた人がいて、感心して眺める。そして、肌がもち肌でつるつるとしている。

一体に、刺青を入れた人で、毛深い人を見たことがない(和柄の彫り物に限るかも知れない)。体毛が濃くては、せっかくの絵柄も映えないだろうし、彫り込む時も面倒だろうと思う。

ここで仮説を二つ挙げてみる。

仮説1 刺青を入れる人は、もともと体毛が薄い。

仮説2 刺青を入れる人は、体毛を剃毛あるいは脱毛している。

もし仮説1が正しかったら、面白いだろうと思う。頭髪を除く体毛の濃さは、男性ホルモンが影響していると言われる。体毛が薄い人は、男性ホルモンの濃度が薄いということになるが、同時に男性ホルモンは、いわゆる「男らしい」体格や性格にまで影響を及ぼしているらしい(Web情報なので真偽の程は各自確認されたい)。

身体に刺青を入れる人は、一般に「男らしい」人と見られていると思うが、体毛の濃さに現れる男性ホルモンの濃度の観点でいうと、実は「男らしい」人ではないのかも知れない。

逆に仮説2が正しいとすると、目の前のいかつい人たちが、ムダ毛のお手入れに気を使っている様子が想像されて、それはそれで興趣深い。

20,103歩。